◆第ニ話『シャラの本能』
シュボス中央塔の5階。
会議後、ゼノは自身のものとなったばかりの部屋に戻ってきた。
元はデジャンが使っていた部屋だからか。
1階から3階にずらりと並んだ部屋よりもはるかに広い。置かれた調度品はどれも上質なうえによく手入れも行き届いている。
個人的にはもっと質素な部屋でよかった。
だが、頭としてもっともいい部屋を使ってほしい。なによりこの部屋をほかの誰かが使えば絶対に揉めると言われ、それならばと使わせてもらった次第だ。
ソファにどすんと腰を下ろした、そのとき。
こんこん、と扉が小突かれた。
「入ってくれ」
そう声をかけると、クァーナが入ってきた。
「やっ、いまいいかな?」
「構わないが……どうした?」
「大したことじゃないんだけど、さっき1つだけ嘘を言っちゃったから」
そう答えながら彼女は近づいてくると、ソファの隣に座った。
「わたしは〝ある人〟に命じられたんじゃなくて志願したの。《雷帝のクラーラ》の力になりたいって」
「……理由を訊いてもいいのか?」
こくりと頷いたのち、クァーナは静かに話しはじめる。
「幼い頃、帝国に親を殺されたの。細々と商売をしていたんだけど、それが帝国にとって目障りなものだったらしくて」
珍しい話ではなかった。
仲間の中にも、帝国に親を殺されて囚人となった者は多い。
「親が殺されたとき、わたしはなにもできなかった。ただ、隠れて震えながら親の悲鳴を聞くことぐらいしかできなかった」
当時のことを思いだしているのか。
まるで再現するようにクァーナの体が震えていた。
「そのあとは頼れる人もいなくて困ってたんだけど、〝ある人〟が手を差し伸べてくれたの。おかげで生き長らえられたけど……歳を重ねるたびにいつか帝国に復讐してやるって気持ちが強くなっていった」
彼女は手に拳を作って話を続ける。
「でも、怖くて実際には行動に移せなかった。そんなときに《雷帝のクラーラ》の話を聞いたの。圧倒的に劣る戦力で幾つもの島を帝国から解放して……すごいなって思った。わたしにはできないなって」
クァーナの目が答えを語っていた。
《雷帝のクラーラ》の力になりたいと願った理由。
それは強い憧れだ。
「……だが、負けた」
「たしかにそうかもしれない。ただ、わたしにとって重要なところはそこじゃないの」
「実際に会って幻滅したんじゃないか?」
「ううん、思っていた以上に素敵だったわ。それこそ惚れちゃうぐらいにね」
クァーナがゆっくりとしなだれかかってきた。
こちらの胸板を堪能するように掌を沿わせ、物欲しげな顔を近づけてくる。
姿からして蠱惑的な空気を持つ彼女だ。漂う甘い匂いもあいまって余計にその色を強く感じられた。彼女の細い腰をそっと抱き寄せ、そのまま眼前の瑞々しい唇へと、自身の唇を合わせようとした、瞬間。
扉が控えめに小突かれた。
「ゼノ、ご飯を持ってきました」
聞こえてきたのはシャラの声だった。
シャラとの恋仲という立場は体裁的だ。
彼女に情事を見られたところで問題はない。
だが、急激に後ろめたい気持ちに襲われた。
気づけばクァーナをそっと離していた。
「……これは出直しかな」
「悪いな」
「ううん、充分な収穫はあったもの。問題ないわ」
クァーナは微笑とともにソファを立ち上がった。
その後、何事もなかったかのように扉を開けにいく。
扉の先に立っていたのは、やはりシャラだった。
質素な食糧が乗ったトレイを両手で持っている。
「ごめんね、少しだけ借りてたわ。それじゃ、お邪魔しました~っ」
そう言い残して、クァーナが飄々と去っていった。
彼女の背を見送ったシャラが不安げな顔を向けてくる。
「なにを……してたのですか?」
「あいつの過去について少しだけ話を聞いていた」
「それだけ、ですか?」
「聞きたいのか?」
意地悪な問いかけだったかもしれない。
ただ、シャラは予想外の行動をとった。
トレイを近くの机に置いたのち、なにを思ったかこちらの股の間にトスンと座ってきたのだ。彼女の体が細いこともあって、すっぽり収まった形だ。
さらになにを思ったか、シャラは頭をこちらの体にこすりつけてきた。先日の朝、寝起きにされた行動に近い。まるで自身の匂いをすりつけるような、あれだ。
「あ~、これはなんのつもりだ?」
「き、聞かないでください……っ」
「飯を食うんじゃなかったのか?」
「……いまはこちらのほうが重要です」
恥ずかしいのならやめればいい。
そう言おうと思ったが口を噤んだ。
あまりにもシャラが必死だったからだ。
先ほどクァーナ相手には欲情した。
だが、いまのシャラには不思議とそうした気分にはならなかった。出会った頃はシャラにも欲情していたが、いまはもうなくなっている。
かつての相棒であるソフィア。
彼女の影がちらついているからかもしれない。
いずれにせよ悪くない気持ちだった。
それこそ戦闘で昂ぶった心が落ちつくほどに。
いまも懐でもぞもぞと動きつづけるシャラ。
彼女の頭を撫でながら、ゼノはふっと笑みをこぼした。




