◆第六話『新たな世界へと』
すべてが終わった安堵からか。
あるいはあの風の力が消えたからか。
全身が焼けるような痛みに襲われた。
苦痛から思わず倒れこんでしまいそうになる。
だが、まだ倒れるわけにはいかないと戦斧を突き立てて堪えた。
シャラが空から舞い降りてきた。
着地と同時に人の姿に戻ると、必死な顔で駆け寄ってくる。
「ゼノッ!」
「大丈夫、だ……」
彼女に少し体を預けながら、力を抜いた。だが、すぐにはっとなった。傷を負ったシャラの左肩が映り込んだのだ。気づけば、彼女の体を抱き寄せていた。
「あの、ゼノっ」
「……お前がいてくれたおかげだ、シャラ」
この銀の髪も、華奢な体も。
左肩に負った傷も、すべてが愛おしく感じた。
ずっと張り詰めた空気に触れていたからか、ずっとこのままでいたい、と。そう願う心を止められず、ただただシャラを抱きしめてしまった。初めこそ戸惑いや照れから顔を真っ赤にしていたシャラも、次第に体を預けてくれる。
「う、ぅ……」
ふいにどこからか呻き声が聞こえてきた。
見れば、そこにはもう1人の白銀の翼竜──カインが人間の姿で倒れていた。ディメルを倒す際、巻き込まないようにと気遣いはしたが、なんとか無事でいられたようだ。
呻いただけで目を覚ます気配はない。
だが、このまま放置するわけにもいかなかった。彼も地上から空に上がってきたのなら、身寄りがいないからだ。
「その子は、わたくしが保護します」
そう言ったのはセレスだ。
彼女は祭壇から、ゆったりとした足取りでカインのそばに立った。屈みこみ、あどけない顔にかかる一筋の髪を慈しむようにかきわける。
すべての事情を知っているセレスのことだ。
きっと悪いようにはしないだろう。
と、セレスは再び立ち上がると、祭壇を一瞥してからこちらに視線を向けてきた。
「わたくしにはもう、いまのあなた方を止める力は残っていません。いいえ、たとえ万全の状態であったとしても止めることはできないでしょう」
──祭壇に上がるかどうかはあなた次第。
セレスの言わんとしているのは、そういうことだろう。
ゼノはシャラと離れ、並び立つ格好でセレスに向かった。
「さっき言ったとおりだ。俺は……俺たちは祭壇に上がるつもりはない」
「わたしはここで……彼のいる、この空の世界で生きると決めました」
続けて、シャラも自身の想いを綴った。
世界をひとつになんていう約束が本当かどうかなんてわからない。だが、帝国に打ち勝ち、ようやく仲間たちが安全に暮らせる未来を勝ち取れたのだ。仮に地上へと戻ることが滅びに繋がるのであればわざわざ選ぶ理由はなかった。
「では、これからどうするのですか?」
漠然とした質問だった。
だが、2つの選択肢しかないことは自分自身が一番よくわかっていた。
「……俺は」
「去るつもりですか?」
セレスが持つ瞳は誰よりも澄んでいるからか。
目を合わせれば、心の奥底まで見透かされているような錯覚を抱かされた。
「あなたは、この争いを引き起こし、そして制しました」
「だから、その責務を果たせと言っているのか?」
「いいえ。ですが、あなたが新たな世界の象徴となることは、もう避けられません」
遠慮なく事実を突きつけてくる。
本当に厄介な相手だ。
「初めはあんたの言うとおり、去ることも考えていた。たぶん──」
「はい。わたしも同じです」
シャラに視線で問いかけると、そう返ってきた。
帝国を倒したあとのことについて相談したことはない。だが、互いに同じことを考えているとは思っていた。どこかのどかなところで静かに過ごせればいい、と。
「いまは、違うのですね」
そう口にするセレスは、どこか安心したような顔だった。
力による支配を否定しながら、力による対抗で帝国を討ち滅ぼした。そんな自分がディメルとすげかわる形で支配者となっていいものかと疑問は尽きない。だが、だからといってすべてを投げ捨てれば終わりという話でない、と。
いつからかそう考えるようになった。
「世界をひとつになんてものが実現するとはとうてい思えない。だが、いまの世界よりマシにすることはできる。事情を知ったからじゃないし、地上に戻りたいからでもない。ただ──」
シャラを一目見てから、セレスへと伝える。
「──この世界でできた仲間たちが好きになったからだ」
「とても……とても素敵な理由です」
そう応じながら、セレスは優しい笑みを浮かべた。
たとえどれだけの罪を背負おうとも自らの意志で始めた戦いだ。本当の意味で求めた未来を掴み取るまで歩みを止めるわけにはいかなかった。
「ただ、今度は力だけでどうにかなる問題じゃない。あんたも俺に協力しろ、セレス・ビアトル」
「……わたくしも、ですか」
彼女はひどく驚いているようだった。
目をぱちくりとさせながら、きょとんとしている。
「本当の意味で平和を手にするには人々が自発的に動かなくてはならない。そう考える理由もわかる。だが、あんたもその人々って奴だろ。責務や象徴だなんてもので動く理由ができるなら、あんたこそあるはずだ」
おそらくこのセレス・ビアトルという人間は、姿こそ幼いが子どもではない。なんらかの手法で長い時を生きている。そんな彼女だからこそできることはあるはずだ。
「どうした、また逃げるつもりか?」
「……いいえ。星読みは絶対ではないのだと、そう痛感していました」
セレスにしてみれば、これまでの生き方を否定するようなことを押し付けられた恰好だ。文句のひとつでも言ってもおかしくないはずだが、いやな顔すら見せなかった。それどころか、嬉しそうに笑っている。
彼女は目を伏せると、右手を胸元に当てた。
「わかりました。このセレス・ビアトル。あなたの進む道を照らす光となりましょう」
「……セレス様が行かれるのであれば、このフレルダリアもお供します」
ディメルに倒されて気を失っていた彼女だが、どうやら無事だったようだ。よろめきながらもその巨体を起こし、剣を支えになんとか立ち上がっていた。
すでにディメルは倒れ、辺りは静寂が支配している。
だが、これが《空の果て》に限ったことであるのは違いなかった。
「セレス、外の争いはまだ続いてるのか?」
「はい。帝国の王が倒れたと交信術を通じて多くの者に報せていますが……」
言葉だけで証明するのは難しいため、無理もない。
周囲に一目でディメルとわかるものはない。肉もなければ骨もない。地を彩った血があるぐらいだ。ただ、〝一時的にディメルの所有物だった〟ものならあった。
過去、帝国との戦いで敗れた際に奪われた戦斧だ。
先の攻撃で柄はなくなり、刃も破損している。だが、戦斧の刃とわかる程度には形を留めている。さすがはナナツガネ製だ。
……遅くなったな、ソフィア。
胸中でそう語りかけながら、ゼノは欠けた刃を手に取った。
「戦いを終わらせてくる」
「はい、お気をつけて」
セレスに見送られる中、ゼノは翼竜化したシャラに乗った。叶うなら得物を担いで飛ぶ最後の飛行であってほしい、と。そう願いながら──。
「行くぞ、シャラ」
『はいっ』




