◆第五話『風となりし者』
互いに戦斧の投擲から始まった。
雷光を纏った2つの戦斧が激突。結晶で囲まれた内壁のあちこちに弾けた雷光が迸り、抉るように砕いた。
戦斧を手元に戻すなり、ゼノはシャラとともに前へと翔けた。敵もまた距離を詰め、こちらへと向かってくる。その巨体と緑に光った目があいまって、人という存在を凌駕したかのような威圧感を放っている。
相手は風翔石を体に埋め込んだ風人。最初から様子見をする暇なんてないことは身をもって知っている。ゼノは裂帛の気合とともに敵の戦斧とかち合わせた。腕を伝って肩、腰にまで衝撃が抜けてくる。
相変わらず凄まじい膂力だ。しかも交わった刃の向こう側、映る敵の顔は涼しいままだ。こちらは死ぬ気で力を込めているというのに──。
「なぜそうまでして島を落とすことにこだわる!? あんたも理解してるんだろ! 地上に戻ったところで未来はないと!」
「話す必要はない。もはや貴様はここで死を迎えるのだからな……ッ!」
ぐいと押し込まれ、背をそらしてしまった。瞬間、我慢していた痛みが一気に押し寄せてきた。どれもが黒帝城でディメルにつけられた傷だ。
「その体でよくここまで来たものだ」
余裕に満ちた笑みを浮かべながら、ディメルがさらに力を強めてきた。もはやまともに受けきれる体勢ではない。このままではシャラごと両断されてしまうと思った、瞬間。視界がぐんっと上方へと流れた。シャラが一気に高度を下げ、ディメルの攻撃範囲から離脱したのだ。
「助かった、シャラ……!」
応じるように咆えるシャラ。だが、上空に位置するディメルは追撃の手を止めようとはしていなかった。戦斧を勢いよく振り下ろし、投げてきた。
「避けろッ!」
シャラが弾かれるように右方へと移動した、直後。敵の戦斧が耳朶を打つ炸裂音を鳴らしながら、すぐそば通り過ぎていった。あまりの風圧にシャラがよろめく中、敵の戦斧が地面に激突。とてつもない大穴を穿った。
その威力に恐ろしさを感じる間もなく、ディメルがこちらの尻をとろうと向かってきていた。地面に激突した戦斧を雷光で引き寄せ、振り上げている。だが、その戦斧が振り下ろされることはなかった。横合いから青竜に乗ったフレルダリアが突撃をかましたのだ。
「ゼノ・クラーラッ! 後退を!」
フレルダリアの剣をディメルが戦斧で受け止める格好となっている。彼女が持つアストラによる影響か、ディメルの目の光がわずかに弱まっていた。さらに突撃の勢いも相まってフレルダリアがディメルを押している。
「聖騎士か……たしかに豊潤なアストラを扱えるようだ。しかし、我が力を圧するには及ばぬッ!」
すぐさまディメルが体勢を立て直し、押し返した。そのままフレルダリアの青竜の首を落としたのち、フレルダリアの体を上下に両断する軌道で薙いだ。その刃が肌に触れる直前でフレルダリアは剣を割り込ませることに成功していたが、勢いを殺すことは叶わなかった。
彼女は青竜の背から投げ出されるような恰好で吹き飛び、結晶の壁に激突。その巨体もあって、とてつもない衝突音を響かせた。どさりと地面に倒れた彼女は、気絶したのか動かなくなってしまう。
「フレルダリアッ!」
「この戦いに貴様は不要。そのまま地に這いつくばりながら見ているがいい」
どうやらフレルダリアのアストラでさえも、ディメルの力のすべてを抑えることはできないようだ。危惧していたこととはいえ、実際に直面すると嫌気がさしそうだった。
「さあ、我が力をとくと味わうがいい……ゼノ・クラーラ!」
ディメルがわずかに口元を歪めながら言った。
瞬間、違和感を覚えた。これまでのディメルは冷徹ながら大きく感情を表に出さない人間だった。だが、いまや露骨に感情を出している。その姿は、いままでに幾度か見た狂人のそれに近いものがあった。
「ディメル……お前もやっぱり狂人に──」
「先にも言ったはずだ。我をあのような失敗作どもと同じにするなと……ッ!」
ディメルが怒りを滲ませながら突撃してきた。相手のほうが先に翔けだし、また勢いも強い。ゼノは交差の瞬間に敵の戦斧を受け流すが、あまりの威力にすべての衝撃を消すことはできなかった。戦斧を持った右腕のしびれに、ゼノは思わず顔を歪めてしまう。
ほかの狂人と同じになったところで力が弱まるわけではないようだった。むしろ強くなってさえいる。風人の力を使いすぎれば肉体に負担がかかると踏んでいたが……いまだその兆候は見られない。結局、ディメルを止めるには力で上回るしかないということか。
「どうしたッ! 貴様の力はそんなものか!? もっと我を愉しませてみよ!」
互いに旋回し、再び対峙。交差しては戦斧をぶつけ合う。衝突のたびに島全体が揺れているかのような音が響き、また雷光が周囲へと散っていく。
続く小細工なしの衝突。傍目には互角に映るかもしれないが、実際はこちらの限界が近かった。腕を通じて響く震動が全身に負った傷にも伝わり、じわじわと体力を削られていき──ついに腕の感覚が薄れてしまった。視界も白で埋め尽くされ、いま自分がなにをしているのかと意識が朦朧としはじめた。
『ゼノッ!』
シャラの声が聞こえた瞬間、視界が開けた。
なにより先に飛び込んできたのは、ディメルから払うように繰り出された戦斧。とっさに自らの戦斧を差し込み、受け止める。が、充分な体勢ではなく、シャラの背から弾き飛ばされてしまった。
不格好に落下し、長い距離を転がった。ようやく勢いが止まったとき、もはや腕だけでなく全身の感覚がなくなりかけていた。辛うじて開けられた目には、白銀の翼竜に乗ってこちらを見下ろすディメルの姿が映っている。
「貴様も、こんなものか……」
ディメルが持ち上げた戦斧には、抱いた失望の深さを物語るように凄まじい雷光が集まっていた。いま、あの戦斧を受ければもうあとはないだろう。動かないと思っていた口が動いた。思いきり歯を食いしばり、拳に力がこもる。
これまで死を覚悟したことなんて一度や二度ではない。だが、いまほど悔しいと思ったことはなかった。集まった多くの仲間たちとともに、ようやく自由な未来に手が届くところまで辿りついたというのに──。
こんなところで終わるのか。
結局、また負けてしまうのか。
胸中で己の無力さを嘆いたところで、映る光景が変わることはなかった。ディメルの腕が振り下ろされ、その手から戦斧が離れんとする。
直前、ディメルが騎乗する白銀の翼竜へと、大きな影が激突した。同じく白銀の鱗を持つ翼竜──シャラが体当たりをかましたのだ。
ディメルが体勢を崩し、戦斧の投擲を踏みとどまった。が、その矛先は反射的にシャラへと向いた。苛立ち混じりにディメルが戦斧を振り、シャラの左翼の一部を深く刻んだ。
「シャラッ!」
シャラが苦痛に呻きながら、よろよろとこちらへ飛んできた。そのままどすんと転ぶように下り立つと、翼竜化の状態を維持できなかったのか、人の姿に戻った。
「ゼノは……わたしが守ります」
言いながら、シャラはこちらを庇うようにディメルと対峙した。先ほど受けた傷の影響か、彼女の左肩辺りから大量の血が流れている。だが、彼女は泣き叫ぶどころか、怯えてすらいない。ただ、真っ直ぐにディメルへと向かっている。
「その勇ましさ、殺すのが惜しいな。だが、鍵としての価値がなくなったいま、我に敵対するものを生かすことはない」
みたびディメルが戦斧の投擲体勢へと移った。
今度こそあれが投げられれば終わりだろう。
シャラに逃げろと言いたい。だが、言ったところで逃げないことはわかりきっていた。いまも映る彼女の背からは、絶対に動かないという強い意志が見て取れる。彼女も諦めたのだ。だからこそ、ともに死ぬことを選び──。
──いや、違う。
よく見れば、シャラが肩越しに振り向いていた。彼女の目には死を覚悟したような諦めの色はない。あれは、あの目は──勝利を信じて疑わない目だ。とても脅威を前にした人間のものとは思えない。だが、そんな彼女を見て思わず笑みをこぼしてしまった。
──出会ったときからずっとそうだった。あいつは本当にいつも、いつも……。
全身を風が翔け抜けたかのような感覚に見舞われた。痛みが引き、気づけば立ち上がってシャラの前に飛び出ていた。迫りくる敵の戦斧は、いまも絶大なる殺意をもっている。だが、不思議と恐れもなく己の戦斧を振り抜き、弾き飛ばしていた。
「……信じていました」
美しく舞う銀髪に包まれたシャラの顔は、とても戦闘中とは思えないほど柔らかで、安心しきった笑みを浮かべていた。
「なんだ、その光は……ッ!?」
ディメルがひどくうろたえていた。
言われて初めて気づいたが、周囲に穏やかながら力強い緑風が流れていた。フェザリアを使えば無数の燐光が現れ、その流れを可視化することはできる。だが、これほどの量を捉えたことはなかった。
「さあな。だが、いまならもう、お前に負ける気はしない」
フェザリアの力は、雷光に至ったときこそが最強と思っていた。だが、いまやその考えはなくなった。ゼノは悠然と振り返り、問いかける。
「シャラ、いけるか」
「はい。ゼノさえいれば、わたしはいつまでも、どこまでも飛べます」
再び翼竜化したシャラに乗った、瞬間。纏っていた緑風が彼女をも包み込んだ。緑風を巻き込んだ彼女は、これまでよりも遥かに速く、またひどく滑らで、まさに風そのものといった飛行を見せてくれた。
「……まだ我の知らぬ力があるとはな。だが、我の力を試すにはちょうどいい」
ディメルが纏った雷光は先ほどとは比べ物にならないほど激しく、また禍々しかった。雷光による炸裂音も耳が痛くなるほどに響き続けている。
「さあ、存分にやりあおうぞ……ッ!」
狂気に満ちた顔で突っ込んでくるディメル。
こちらも応じて真っ直ぐに向かうが、接触の瞬間にシャラがするりと横へずれた。
敵は真正面からの撃ち合いになると踏んでいたからか、対応がわずかに遅れていた。こちらが早く振り下ろし、ディメルが受け止める格好となる。
「こざかしい……!」
「お前が戦ってるのは俺だけじゃない!」
旋回を経て再び肉薄しては、撃ち合う。力では敵のほうがいまだ上だ。しかし、俊敏さではこちらが圧倒的に上回っていた。素早い動きで敵を翻弄し、その身を削っていく。だが、敵もしぶとく、なかなか致命傷を与えられなかった。
そうして攻めきれずにいたときだった。
ディメルが口から血を流していることに気づいた。
顔もひどく苦し気だ。
やはり風人なる力に負担はあったようだ。
しかし、ディメルに弱った様子はない。
強靭な精神力でもたせているのかもしれない。
いつかは倒れるかもしれない。だが、待っていられるほどこちらにも余裕はなかった。再び立ち上がったときは薄れていた痛みが段々と戻りはじめてきたのだ。
──早く決着をつけなければ。
そう焦る気持ちが募った、瞬間。
『もっと、フェザリアを集めるのです』
声が聞こえてきた。
シャラのものではない。
これは……セレスの声だ。
彼女はいまも祭壇で座り込んだ状態だが、その目は真っ直ぐにこちらを見ている。
『この地には、すべての島々を浮かしても余りあるほどのフェザリアで満たされています。それらを使えば、あの男を打ち負かすことはできるはずです』
「集めろったって、どうやって──」
『できます。真に、白銀の翼竜人に選ばれたあなたであれば。――そうでしょう、白銀の翼竜人よ』
確信を持って様子でそう問いかけるセレス。
どうやらシャラにも交信術で話しかけていたようだ。
『……わたしにはよくわかりません。ですが、ゼノであればできてもおかしくないと思っています。フェザリアとは風を源とした力……わたしは、ゼノと一緒であればどこまでも飛んでいける。初めて会ったときからずっと、そう感じていたのですから』
その言葉は感覚的なものだった。
だが、口にしたのはシャラだ。
彼女の言葉を信じられないわけがなかった。
フェザリアの力を集めるときは、いつも頭の中で「来い」とただ命じていた。だが、いまは身に纏った緑風から、それだけでは不十分だと感じられた。きっと、この力は全身で感じるものだ。
──風と一体化し、そしてすべてを受け入れる。
ディメルと撃ち合う最中も感覚を研ぎ澄ませていく。気づけば纏った風の量も光も強くなっていた。周囲を見渡せば、あちこちから現れた燐光が無数に引き寄せられている。
『そうです……それが、あなたの本当の力です。ゼノ・クラーラ』
セレスがそう言い終えたとき、ちょうどディメルと肉薄。互いの戦斧をぶつけ合った。だが、これまで感じていた重みが嘘のように軽く振り抜けた。弾かれる格好で翼竜ごと眼下へと飛ばされたディメルが地に激突。大穴を造り上げた。
翼竜のカインが人の姿に戻った。気を失っているのか、立ち上がる気配はない。ディメルのほうは、ゆらりと立ち上がっていた。だが、こちらを見上げる目は動揺の色で満たされている。
「我は風人となったのだぞ……我が負けるなど、ありえん……ッ」
彼はいまの一撃で少なくない傷を負ったようだ。支える二の足は頼りない。風人の負担もまた激しいようで口から出る血も多くなっている。もはや死にていだ。だが──。
「我は負けん。宿願のため、負けるわけにはいかんのだ……!」
ディメルを突き動かす意志はさらに強まっているようだった。ついぞ彼の願いを知ることはなかった。だが、その願いがなんであったとしても、多くの人たち──仲間たちの命をもとに成り立つものである以上、叶えさせるわけにはいかなかった。
「──シャラ」
こちらがなにを望んでいるのか、シャラは言わずとも理解してくれていた。高く舞い上がり、反転。高速で落下を開始する。
最中、ゼノは集めたフェザリアのすべてを戦斧へと送った。周囲を満たしていた風が凝縮し、渦巻くように戦斧を包み込む。
「終わりだ、ディメル──ッ!」
ゼノはシャラから離れ、勢いのまま降下。抉れた穴の底で待ち構えるディメルへと戦斧を振り下ろす。敵が構えた戦斧と接触するも抵抗なく粉砕。咆え続ける顔面もろとも、肉を断ち、その先の地へと突き立てた。
島が揺れ、戦斧が纏っていたすべての風が周囲へと散る。やがてそのどちらも収まったとき、凄惨な光景に反した静けさが辺りを包み込んだ。
夢を見ているような、不思議な感覚に見舞われた。
だが、全身に感じる痛みも疲労も本物だ。
地に突き刺さった戦斧には肉の一片すら残っていない。逃げられたわけではなく、跡形もなく消し飛ばしたのだ。帝国の象徴たる存在を──。
ゼノは戦斧を抜き取ったのち、その場に立ち尽くした。天を仰ぎ、目を閉じながら震える唇で言葉を紡いだ。散っていった家族と、そして仲間たちに向けて──。
「……遅くなった……ようやくだ……ようやく終わったぞ」




