◆第四話『空の果て』
角ばった結晶たちが好き勝手に天へと伸びるさまは、まるで樹林を思わせた。
とても美しく、まるで別世界に放り込まれたかのような景色だ。ここが死後の世界だと言われても信じてしまうかもしれない。それほどの神秘を孕んでいた。
『……ひどいですね』
シャラの悲嘆に満ちた声が聞こえてきた。
辿りついた《空の果て》の外縁には、多くの帝国兵や聖王国兵が倒れていた。両者ともに最期まで死力を尽くして争ったのだろう。そこかしこに血が飛散していた。
「おそらくセレス様は中央の祭壇におられます」
フレルダリア先導のもと、アーチのように折り重なった結晶の下をくぐりながら中央側へと進んでいく。と、山のように巨大な結晶が行く手に現れた。おそらく外からも見えていた、もっとも大きなものだろう。
翼竜が余裕を持って通れる穴が開いていた。そこから内部に入った瞬間、思わず息をのんでしまった。飛び込んできた光景があまりにも幻想的だったからだ。おそらく結晶の中をまるごとくり抜いたのだろう。床を除いた全方向が結晶で包まれていた。
頭上に空はない。にもかかわらずどこまでも世界が続いているような、そんな錯覚を抱かされる。凄まじい解放感だ。
ここが《空の果て》。
──そして世界の中心。
帝国に反乱する最中、ソフィアと出会った。あの日からずっと目指していた場所だ。思わず感慨に浸りそうになったが、そんな浮ついた気持ちは一瞬にして吹き飛んだ。
重い衝撃音とともに閃光が辺り一帯に迸ったのだ。出所と思しき中心部に目を向ければ、戦斧を振り上げた格好のディメルを見つけた。カインと呼ばれていた翼竜人の少年もそばにいる。
ディメルたちの向こう側には、3段造りの円形床が設けられていた。中央のもっとも高い場所には、《流命核》のよりも大きく、縦に細長い結晶が緩やかに回っている。おそらくあれがフレルダリアの言っていた祭壇だろう。
その祭壇を囲むように半球型の青い光膜が張られていた。アストラの防御術だ。おそらく先ほどの閃光は、あの光膜にディメルが戦斧を叩きつけたことによって起きたものだろう。
そして、その防御術を展開しているのは──。
「セレス様っ!」
フレルダリアが悲鳴にも似た叫びをあげる。
祭壇には、憔悴しきった様子の少女が座り込んでいた。周囲の床へとこぼれた背丈よりも圧倒的に長い髪に、いっさいの穢れを感じさせない簡素な衣服。
フレルダリアがセレスと呼んだことからも、あの少女が聖王セレス・ビアトル本人で間違いないだろう。だが、どう見てもミリィと同年齢ぐらいだ。
とはいえ、危機に瀕しながら揺らがぬ意志強き瞳から、本当に子どもではないことは本能的に感じ取れる。それに、いまはセレスの姿は問題ではない。ゼノは、即座に湧き上がった疑問を頭の隅に追いやった。
セレスが苦し気に息をしながら、ゆっくりと顔を上げた。
「フレルダリア……来てくれたのですね」
「はい、いますぐにそこからお救いいたします」
フレルダリアがそう返事をするや、踏み込もうとする。が、遮るように雷光が激しい炸裂音を響かせながら走った。フレルダリアのアストラをもっても消せない威力のようだ。彼女は悔しげに呻きながら踏みとどまった。
ゼノはフレルダリアとともに地に降り立った。
あわせてシャラも翼竜から人の姿へと戻る。
「おじさん、あの人たちがまたきたよ」
「傍観者として生かしてやったというのに無駄にするとは。愚かな奴よ」
カインとともにディメルが振り返る。
ただ対峙しただけなのに、とてつもない威圧感だ。
一度の敗北がさらにそれを強めているのは間違いない。
「貴様は、なぜ我に歯向かおうとする?」
「まるでこっちから仕掛けたような言い分だな。先に俺の大事なものを奪ったのはそっちだろう」
「そのような些末なことを訊いているのではない」
「またお前は、人の命を──」
「我が成そうとする大義を、なぜ妨げるのかと訊いている」
ディメルから向けられる目に敵意はなかった。
混じりけのない純粋な疑問だ。
「お前が言う大義ってのは、世界を恐怖で支配することか? それともすべての人間を殺すことか? いずれにせよくだらないことには変わらないだろ」
「……やはり道化に踊らされた駒に過ぎないか」
そうディメルがこぼしながら、祭壇のほうへと視線を向けた。そこにはセレスしかいない。つまり彼女が道化ということか。セレスはばつが悪そうに目をそらしていた。
「かつて地上で暮らしていた人間たちが、なぜ空で暮らすようになったのかは知っているか?」
「……地上が荒れ果てて暮らせなくなった。だから、古代の人間たちが流明核を使って空に──」
「違う。それは、こやつら聖王国が作った偽りの歴史。真実は地上を荒らした人間をガイアスが空に上げるという形で排除したのだ」
聞いたことのない話だった。だが、ディメルの言い分が正しいことを示すかのように、セレスやフレルダリアはだんまりを決め込んでいる。
なぜ聖王国が嘘をついたのかも気になる。
だが、それ以上に聞き慣れない言葉が頭から離れなかった。
「……ガイアス?」
「星のアストラ、風のフェザリアと並ぶ力の源たる存在です」
そう答えたのはフレルダリアだ。
いまだ彼女はディメルへの敵意を消さず、その切っ先を向けつづけている。
こんな押し問答をするために《世界の果て》に来たわけではない。だが、話をやめたいとは思わなかった。地上にまつわる話は、そこから来たというシャラの過去に関係しているかもしれないからだ。
また、話を聞くうちに輪郭が見えてきたものがある。先にディメルが口にした〝大義〟という言葉だ。その全貌について推測するだけの材料はすでに揃っている。
「……まさか、お前のしようとしていることは」
「空に浮かぶ島々を地上に落とすことだ。そしてそれは、白銀の翼竜とそれに選ばれた人間が《空の果て》に存在する祭壇に触れることで可能となる」
《空の果て》で叶えられる望みは都合のいいものではないと予めセレスから教えられていたが……まさにそのとおりだった。いや、都合が良い悪い以前に限定的過ぎる。
「強き人間を求め、この地に連れてくる。それは白銀の翼竜に植えつけられた本能。つまり、貴様も我と同じように選ばれたのだ、ゼノ・クラーラよ」
「違います! わたしがゼノを選んだのは自分の意志で──」
「本当にそう言い切れるのか? これほど多くの人間がいる中で、貴様と、貴様の姉がただ1人の男を選んだことが偶然ではないと」
これまでの行動が種族の本能によって決められた。
それを認めてしまえば自信の意志がなかったことになる。だが、強く否定できない自分もいるのか、シャラは強い葛藤に苛まれているようだった。
「本能だとか、そんなことはどうでもいい。俺はシャラの言葉を信じるだけだ」
「……ゼノ」
安堵したように顔を綻ばせるシャラだが、その顔にはわずかな翳りが残っていた。そんな彼女に向かって、カインが小首を傾げながら問いかける。
「やっぱりお姉ちゃんにも記憶がないの?」
「……は、はい」
「じゃあ、どうしておじさんに反対するの? 地上に行けば記憶が戻るかもしれないのに」
カインの無邪気な質問は、いまのシャラにひどく突き刺さったようだった。
もとよりこの旅を始めた理由は2つある。
1つは帝国の支配から逃れ、仲間とともに生き延びること。2つ目はシャラとともに《空の果て》に辿りつき、そこになにがあるのかを知ること。
2つめに関しては、いま果たされようとしている。だが、いまや目的は《空の果て》を知ることだけではなく、シャラの記憶を知ることも含まれている。
島々を落として地上に戻ることで、果たしてシャラの記憶が戻るのか、と。セレスに視線で問いかけたところ、わずかな間を置いたのちに返答が来た。
「白銀の翼竜は、ガイアスの使いとしてこの空に上がってきた地上の存在です。ゆえに、地上に戻ることで記憶が戻る可能性は充分に考えられます」
セレスは険しい顔で「ただ」と付け足して続ける。
「彼の思い通りにはなりません。仮に地上に戻ったところでガイアスはまた人間を排除するでしょう。課された約束が果たされていないのですから」
彼女の責めるような目に、ディメルが冷めきった声で応じる。
「約束? 世界をひとつにというあの戯言か」
「戯言ではなく真実です。白銀の翼竜が空へと遣わされたのも、その審判を司るためなのですから」
つまり白銀の翼竜は、人々が平和に暮らしているかどうかをたしかめる存在ということか。そして人々が平和に暮らしていれば代表者をこの《空の果て》に連れてくる。本来はそういった役割を持っていたのだろう。
だが、空に上がることで白銀の翼竜に記憶の欠落が起こってしまった。ゆえに、〝人々が平和に暮らしているかどうか〟といった判断が適正になされていない状態となってしまった。話を整理すれば、こんなところか。
セレスは、なおもディメルに厳しい目を向けつづける。
「我々人間は一度ガイアスを失望させています。この与えられた機会で2度目はないと考えるべきです」
「であれば、なぜ真実を知る貴様はそれを成そうとしなかった。なぜ力を持ちながら傍観を続けた」
「本当の意味で世界に平和をもたらすには、人々が自らの意志で動く必要がある、と。そう考えたからです」
おそらく彼女の言い分では、過ち──争いを起こすことも含んでいるのだろう。幾度もの争いを悔い、平和への道を模索する。そうすることで真の平和が訪れる、と。
セレスが求める理想はひどく難しいものだ。
しかし、それこそがガイアスの求める正しい答えであると確信しているようだった。
「あなたは倒せばなどと考えているかもしれませんが、ガイアスは概念のようなものです。フェザリアやアストラのように実態はなく、倒すことはできません」
必死に説得を試みるセレスに、ディメルがあしらうように鼻を鳴らした。まるで妨害されようが知ったことではないと言わんばかりだ。
「貴様はどうする? いまの話を聞いてもなお我に敵対するつもりか?」
ディメルが改めて問いかけてきた。
やり方はともかく、世界をあるべき姿に戻すという考えは理解できる。だが、セレスの話が真実であれば、現状のまま島を落としてもガイアスによって人が滅ぼされる可能性があるという。
ならば答えは決まっている。
だが、この身はいまや1人のものではない。
隣に立つ相棒の答えを訊かんと目を向ける。
シャラは俯いたまま両手に拳を作っている。
体を震わしながら、「わたしは……」と紡ぎだす。
「ゼノとゼノが愛する人たちを守りたいです。そのために過去の記憶を犠牲にしなければならないなら、わたしは喜んでそれを受け入れます」
「……シャラ」
「これが、わたし自身の答えです」
最後に向けられた瞳からは揺らがぬ信念を感じられた。
過去を犠牲にする決断をさせてしまったことに悔いは残る。だが、それ以上にシャラが〝いま〟を選んだくれたことを嬉しく感じた。なぜなら、そう思えるだけの時間を彼女が過ごせたということだからだ。
「……ねえ、おじさん。あのお姉ちゃんがなに言ってるかわかんないよ」
カインが苛立ち混じりにそうこぼした。
ディメルが冷徹な目と言葉をもって応じる。
「ならば蹂躙すればよい。そうすれば、すべてが解決する」
「うん。おじさんの言うとおりにするよ。僕が欲しいのは記憶だけだから」
これまで年相応にあどけない顔を見せていたカインだが、明確な敵意を向けてきた。直後、その体が光り、美しき白銀の鱗を持つ勇壮な翼竜へと変化する。
ディメルが騎乗したのを機に、カインが翼をはばたかせて飛翔。緩やかに上がっていき、一定の高さで留まった。背に乗ったディメルは戦斧を担いだまま威圧的な目でこちらを見下ろしている。
この高さが、彼我の力の差を物語っているような気がした。だが、だからといって諦めるわけにはいかなかった。ディメルが進もうとしている破滅の道を阻まなければ、仲間たちと進む新たな未来はないのだから──。
「シャラ」
「はい」
翼竜化した彼女に乗り、こちらも飛翔した。
ディメルと同じ高さに達したのち、ゼノは戦斧で眼前の虚空を払った。舞うように流れるフェザリアの燐光に乗せ、宣言する。
「──覚悟しろ、ディメル。今日で帝国を終わらせてやる」




