47話・悪霊宿す人狼と武器宿す人形と
『聞き捨てならねえなあ』
ファナティック・ウルフとの戦い終わり、気が緩んだ一瞬。
再び周囲の警戒を密にするまでの合間に狙いすまされたように差し込まれた声、低く掠れたようなそれの中に微かに混ざる獣の唸り声は、その主をこれ以上なく主張している。
『ああ、聞き捨てならねえ。
そいつらは俺の下僕だ、そいつらを軽く見るってことはつまり俺を軽く見てるってことだよな?』
聞こえはするが、周囲の闇に反響するように全方位から打ち付けられる声に危険な獣の臭いを感じると、小さく手招きしてプリメロを引き寄せつつ、ススっとフィーユたちの傍へと戻る。
人間の抵抗なぞ気にせずに、襲撃が失敗した時点で興味を失ってどこかへ行ってくれるのでは?と期待していたが、3人の言葉に激昂して声を荒らげている。
こちら側からしたら、ツリービング・ドラゴンがダンジョンの外へと出た原因であろう魔獣の実力が、強いとはいえ相応しくないようだったから他意なく首を傾げているだけだったのだが、グラットン・ワーウルフからしたら、下等な生き物に自らの眷属を侮辱されたと憤る材料になってしまったのだろう。
「ねえ、フィーユ」
「んぇ?な、なんだい?というかこの声――」
なのでフィーユの服を小さく引っ張り、突然投げかけられた声の出処を探るべく近くの結晶樹の影へと視線を彷徨わせていた3人の目だけをもらい、なるべく相手に声が届かないように声を落として相談する。
「それだけどさ、ちょっと危なそうだから逃げない?」
「そうさね、この声は危なそうだから賛成だね」
「俺も賛成だ。ドラゴン並にやべぇ感じがする」
「私は初めてだけど、魔族ってやつかも……」
相談といっても、3人ともすでに結論は出ているようで話が早くて助かる。
さすがにBランク間近の冒険者なだけあって危機察知能力はすばらしいものがある。
が、ソキーヌの一言でフィーユがビクリと身体を震わせ、歯を剥き出しにして怒気を露わにすると、先程まであった撤退の雰囲気を吹き飛ばし、結晶樹に投げていた視線をさらに鋭くさせ臨戦状態へと入ろうとする。
「なに?」
「おいフィーユ、今はやめときな」
「……すまなかったね、じゃあ――」
咬み殺さん勢いでソキーヌに聞き返したのも仕方がないだろう。
親の、故郷を壊した魔族と同一かは不明だが、その可能性がある敵なのだ。
キャマラダがソキーヌへと注がれた眼光の盾になって言い聞かせなければ、あたりかまわず叫びどこかへと潜んでいる魔族へと向かって走り出していたであろう。
フィーユも我を忘れてしまっていたのは一瞬で、すぐに現状を思い出すと冷静になって撤退の為の一歩を踏み出そうとすると、
『って無視すんなよゴラァ、なんで俺はこんな下等生物に軽く見られなきゃいけないんだ?クソふざけんなよ。
お前らの臓物を生きたまま引きずり出して喉に詰め込んで、喚けないようにして体の端からミンチにして食ってやるよ。
この苛々の代償をお前ら自身で償ってもらうぞ、下等生物どもが!』
フラリと魔素溜まり近くの結晶樹の影から出てきたグラットン・ワーウルフ――暗闇に星光のように浮かぶ宝石を幾つも繋げた金の鎖を身体中に巻きつけている人狼が、さきほどのソキーヌとは比べ物にならないほどの怒気と殺気を放ってきた。
身を隠しているものは腰に巻く苔色の布のみだが、剥き出しの腕はエミルの胴体ほどの太さがあり、筋肉が隆々としている。
無手ではあるが、鋭く伸びる爪と赤い舌と共にチラつく牙、両の手首に嵌っていてマジックアイテムであろう輝きを見せているが、飾り気はない鈍色の無骨な腕輪、そして同じくマジックアイテムであろう全身の鎖はどう控えめに見ても脅威だ。
両脇に、襲う際に待機させていた2匹のファナティック・ウルフを両脇に付け、尻尾を、全身の毛を逆立たさせ、白目のない真っ赤な瞳を爛々と光らせてゆっくりと焦らすように近づいてくる。
その気になればファナティック・ウルフが駆けて数秒かかった距離も瞬き一つ程度の時間で詰めることが出来るはずなのに、だ。
「あ……」
「うお、出遅れた」
「やばい」
その威圧感に気勢を削がれ、完全に逃げるタイミングを逃してしまった。
魔獣や魔物とは違い、単純に肉体的、魔力的に人間を凌ぐだけではなく、その力を無駄なく操るための知能も兼ね備えているので、怯んでしまうのも仕方がないだろう。
身を装うマジックアイテムの、能力はわからないが感じる力もフィーユたちには圧倒的だ。
3人の装備もマジックアイテムで揃えられてはいるが、それは性能差がある人間が地力をカバーするものであって、相手もそれを身につけていたら人間のメリットが打ち消されてしまう。
だが、威圧感に圧倒され二の足を踏み迷うのも数秒で立ち直る。
即座に逃げれないとなれば、プリメロから聞いたツリービング・ドラゴンとの戦闘のように交戦し、相手の機動力をある程度削ってから逃げるという手段に頼ることになるだろう。
牛歩のように歩み寄ってくる異様な人狼に向き直り、いつ攻撃されても対処できるように素早く暗視ポーションを飲み直し、凝視する。
暗視ポーションの制限時間が迫っていたので恐る恐るといった感じだったが、グラットン・ワーウルフは口の端を歪めニヤニヤと笑いながらそれを眺めているだけであった。
(うわぁ……舐められてるなあ、これ)
《エミル様、如何しましょう》
《5人で応戦できるならそれでいいけど……》
《おそらく、Cランク相当の力に抑えていますと全滅します》
《だよねえ~》
取るに足らない足掻きを全て見逃した上で完全な勝利の上、いたぶるのを目的とした嗜虐心に濡れた瞳が嫌らしい。
〈念話〉でコソコソとプリメロとこの場面をどう切り抜けようかと話し合うが、時間が全く足りない。
「しょうがない、いくよアンタたち!」
「おうさッ!」
「あいー」
「あっ、うん」
「はい」
「せいぜい無駄に足掻くがいいわ、屑どもがすぐに潰れたら面白くないからなあ」
まだ互いの距離はそこそこあるが、攻められるよりかはこちらから攻めにいったほうがまだやりやすいと判断したのだろう。
全力とまではいかないが、そこそこの速さで走り出す。
グラットン・ワーウルフも両手を広げ攻撃を受け入れる体勢になっているが、油断も容赦もない。
フィーユ、キャマラダ、ソキーヌは一斉に機動力が削れそうな箇所を狙って進む。
「エミルとプリメロはあの狼を先に片付けといておくれ」
「うん……」
比較的危険度が低いが、戦いに横槍を入れられるには致命的な強さをもつファナティック・ウルフは放置できない存在だろう。
2匹をプリメロと受け持ち、攻撃の範囲内に入れば即座に〈鎌鼬の鈎爪〉を叩き込めるように見定めながらも、視界の中に人狼も入れておくと、懐から笛を取り出し攻撃とは別の魔法をいつでも使えるように用意しておく。
《エミル様……》
《とりあえず、様子見して危なそうだったら僕が助けるから、それまで適当に戦ってて》
《了解しました》
ファナティック・ウルフは中々こちらの間合いに入ってきてくれない。
遠くでエミルの魔法を目撃したせいか、警戒して唸るばかりだ。
プリメロの方もそれは変わらずで、右手に揺らめく黒の刀身に腰が引けているようだ。
「さて……どうしようかなあ」
牽制しあっているようなこちらとは裏腹に、グラットン・ワーウルフの方はというと……激戦を繰り広げていた。一方的に。
いや、一方的にと表現してしまうのは語弊があるかもしれない。
フィーユ、キャマラダ、ソキーヌの三者の烈火の如き攻撃を、そよ風を受けるように受け止めているグラットン・ワーウルフの図は、反撃をあぐてねているというよりは子供がじゃれているのを軽く受けて遊んでいるように見えるし、実際にそうなのだろう。
(まあ、僕も働いてたほうがいいよね)
手助けしたい気持ちをグッと抑え、目の前のファナティック・ウルフを見据えて魔法を紡ぐ。
〈月影の矢守り〉
笛の音によって、地上まで伸びている管状の木から漏れてくる月の光を束ね、ファナティック・ウルフより1回り大きいヤモリ、ヴァンを生成して戦わせる。
ヴァンは攻撃用の召喚獣ではないが、戦えないこともない。
この程度の敵ならば、多少時間がかかってしまうが余裕を持って食べてくれるだろう。
使いきりの攻撃魔法を放つよりも、こうして召喚獣を生み出したほうが魔力のコストパフォーマンスと応用が効いて良い。
ヴァンの場合、時間稼ぎも出来るのもお得だろう。
だけど、その時間稼ぎも長く必要にはならないかもしれない。
グラットン・ワーウルフの圧倒的な筋力と、強靭な毛皮とおそらくマジックアイテムの防御力により、辛うじてかすり傷を与えられる程度という苦しい戦況だったのが、子供が虫の手足をもぎ弄び殺すように、徐々に反撃の手を加えられてくることによって、崩されようとしているのが目に入る。
3人が付けたかすり傷を何十倍にもしてお返ししようと牙を凶悪に剥き出している様は完全に狩る側の者のそれで、彼女たちは冷や汗を流しながら耐えている。
数秒前の形勢とは一変して、もはや反撃の手も出せないほどだ。
3つに分散されている攻め手が集中するか、これ以上に苛烈になってしまえば、逃げるどころの話ではなくなってしまう。
『はっはああああああ!おらおらおら、どうした?さっきまでの元気がもうないぞ、下僕相手に調子乗ってた勢いはどうしたんだおいいいいい』
「くっ、きつぃ」
「好き勝手言ってくれるじゃないかい……」
「だけどこれは、やべえ」
(これは……危ないね)
まさに攻撃の嵐の真っ只中にいるフィーユたちもそれは自覚しているだろうが、自覚しているだけで切り抜けられるはずもなく、ジリ貧になっている。
もう十数秒もしてしまうか、あの人狼がもう少し攻め手を苛烈にしてしまえば、重大な怪我をもらい崩されてしまうのがわかってしまう。
《ヴァン、プリメロ、おねがい!》
それは3人も嫌でもわかってしまったことだろう。
なので、エミルがヴァンを横入りさせて狼をフリーにしてしまっても感謝はせども文句は言われなかった。
そして意を受け取り動いたのはヴァンだけではない。
プロメロは対峙していた狼の前足を両方とも切り落とすと、すぐさまヴァンが受け持っていたほうへとフォローに入る。
そちらの敵もすぐさま行動不能にさせることもできたが、さすがにそこまであからさまに力を見せてしまうと、狼にもフィーユたちにも警戒はされないだろうが異様に思われてしまうので、とりあえず盾となったヴァンの穴を埋めるだけに留まってもらう。
『っち、なんだこいつ、うぜぇ。
無駄にかてぇ喰うぞごらあああああ』
生意気な人間に向かうはずだった自身の爪や牙の攻撃を受け止め、それでも平然としているヴァンにイラつき毒づくと、フィーユたちに向けたものとは比べ物にならないほどの殺気でもって噛み付き始める。
人間のような有象無象は完璧に無視した行動に一瞬3人は呆然となるが、すぐに我に返りまたとないチャンスと剣を向ける。
――が、とりあえず待ってもらう。
《あ、皆ちょっと来て》
プリメロはそのままに、3人に近くに来てもらうように手招きする。
もちろん、言葉に出して呼ぶと魔法の効果が解けてしまうし、異様に沸点の低い敵がどのような行動を取るのかわかったものではないので、〈念話〉で。
「なんだい?半端な用じゃないのはわかってるけど、余裕ないから早めに言っておくれ」
フィーユたちはすぐに駆けつけてくれる。
顔と体はいざという時のために敵に向けているが、耳はこちらに向けてくれている。
エミルもヴァンに噛み付いている人狼から目を離さずに3人へと寄ると、
「うん、重要な用なんだけど――えいっ」
〈錫鐘音色の子守唄〉
「あ?なにを――」
「ぅあ……」
「ねむ……」
地下に鳴り響いていた口笛を止めて一つ、手拍子を打つ。
そして、ヴァンを形作っていた音が無くなったことで突然消えた〈月影の矢守り〉の様子に面食らった3人と人狼の耳に別の音が届く。
肉同士を叩くパンッというものではなく、カァアーンというよく澄んだ教会の鐘の音のような音が、微かにだが数度響くように広がる。
それと、同時に近くに立っていたフィーユたちの膝が崩れる。
遠くに立っていて、かつ少し魔法の耐性があったであろうグラットン・ワーウルフは足が少しグラつく程度だったが、やむなしだ。
〈錫鐘音色の子守唄〉は、鐘の音を真似た響きを生み出し周囲にいる者を眠らせる魔法なのだが、その効果は近ければ近いほどよく通り、行使者よりも力の差が大きいほどよく効く。
この条件ならば人狼も眠りについてもよかったのだが、閉じた空間とはいえ広い空洞で音が分散してしまったのが、あまり効果を見せてくれなかった原因の中で一番大きなものだろう。
反響した際に音にかけてある魔力が散ってしまうからだ。
と、長々と心の中で誰宛でもない言い訳をすると、プリメロへと目を向ける。
当然だが魔法の効果を受けている様子はないが、相手をしていた狼はそのようにはいかず、戦闘中だというのに死んだように寝ていて、前足を切り捨てられたものも、魔法の効果で出血は止まりスヤスヤと伸びの体勢で目をつむっている。
これは、ただ敵対者を眠らせるだけの単純な魔法ではなく、眠らせた者には行使者の祝福を与え、自己治癒能力の促進と僅かばかりの守護防壁を纏わせるという些か使いどころが難しく、その勝手もさほど良くない効果からくるものだ。
……グルゥ。
(あ、イビキかいた)
「プリメロ、その子はいいからあのグラットン・ワーウルフの相手してくれる?僕は皆を守ってるから」
「わかりました。
……始末はいかがしましょうか、話はできるほどにとどめますか?」
寝ているファナティック・ウルフの姿に心ときめくものを感じ、黒の刀身を差し向けるプリメロを止めて、突然の出来事に牙を剥き唸る人狼の相手を任せる。
人狼の眷属たる狼も、こうして見ると少し可愛くも見えてくるので、手懐けられるなら飼ってみたいなという思いがムクムクと出てきてしまった。
懐かないにしても、スヤスヤと寝ている動物に手をかけるよう命令をするのも、自ら実行するのも嫌というのもある。
「うーん、そうだね。
なんでここにいるのか聞いておきたいかも……やり過ぎないようにお願い」
「わかりました」
『ってなに勝手言ってんだ?妙な魔法使いやがって、効かねえし自分の立場わかってんのかガキが』
グラットン・ワーウルフからの話は、できれば五体満足の状態で聞きたかったが、全身無傷で生きたまま相手の戦意を喪失させてほしいなどという無茶な注文を付ける気はない。
だが、最悪四肢の1つか2つは失わせてもいいけど、出血死させるほど傷つけないでねと付け足す。
話していると、無視されていることにイライラと肩を怒らせて唾を吐き、咆哮するかのように怒気を露にする人狼が、次の獲物はお前かというように近づいて来るが、
「黙れ」
『あ?』
「貴様はエミル様の温情により殺さない。
だがその下賎な口から吐く言葉に侮辱を込めるのならば、手荒になるぞ」
『調子乗ってんなよ、少し腕が立つからって所詮は人間に俺様が――』
立ち塞がるプリメロの気迫によって押しとどめられる。
エミルとしては、あの口の形で唾を吐くなんて器用だなあとしか感想はなく、自分が(エルフとしては)子供で、かつ魔法が効かなかったのは事実なので侮辱として捉えていなかったが、目の前のメイドは違うようだ。
そして、口調がいきなり変わったプリメロのほうが、下卑た笑いとイラつきで口を歪めている人狼よりも怖かったりする。
といっても危機を感じてのことではなく、ただ単にいきなり横から出てきた貧弱そうな女が自分に噛み付いてきたから面食らっただけで、仕留める獲物の矛先を変えて嘲笑いながら手を伸ばしてくるが、
『――ック、ぐぅあああああああ!?』
一歩、抱きつくかのように懐に入り込み、〈大鴉の尾羽〉を下から上へと何気ない仕草で逆袈裟に振るい、2mを超す勢いの巨体を吹き飛ばした。
その鎧のような筋肉を切り裂くでもなく、弾くように空へと投げ出したのは、その身に纏う鎖の強靭さか、それともわざと手加減した一撃だったのか。
おそらく後者だろう。
自慢であり誇りを持っている黒刀の攻撃で斬れなかったことに動揺した様子は見られず、予定調和といったふうだ。
その様子に、もしかして僕たちに戦いの火の粉が散る事を危惧してくれたのか、ただ単純に狼藉者を近寄らせたくなかったのかなと考えるが、所詮は予想は予想でしかないので、こちらはとフィーユたちが起きてこないよう強い衝撃がこないよう気をつけながら、張り切ってるなあとぼんやり見守ることにする。
「彼我の実力の差も計れない愚か者が、己の非力さを後悔する暇を与えるのも勿体無い。死ね」
「……いや、死なせちゃダメだよ!?」
「っは!つい……申し訳ございません、言葉のあやでした」
いや、のんびり見守れない。
幽鬼のようにゆらりと距離を詰めようとする一挙手一投足に殺気がにじみ出ていて、完璧に目的を忘れているさまは不安しかエミルに抱かせてはくれなかった。
戦闘特化の召喚獣なのに煽り耐性が低すぎるとはこれ如何に、と思うが、だからこそ沸点が低いのかとも納得できるようなできないような……。
(かなり本気そうだったんだけど、大丈夫かな……)
ともあれ、なんとか殺気を押しとどめ、代わりに純然たる闘気を立ち上らせるプリメロに、不意打ちの形となった攻撃から立ち直ったグラットン・ワーウルフが目を見開き、今しがた自身に起きた出来事への驚きを隠せられないでいるようだった。
そして、唸る。
『気力を使ってた気配はなかった!お前ッ、魔族か!?』
「はい、貴方のようなお方にも名乗らせていただきます。
エミル様のお身内でありメイド長のセルヴァ・リリーローズ様の召喚獣にして忠実なるメイド、プリメロと申します。
短い間になると思われますが、以後お見知りおきを」
対してプリメロは、先ほどのエミルの言葉で我に返ったのか、口調がいつものように戻る。
どちらが素の彼女だかは聞かないほうがいいだろうなあ、と大人らしさを醸し出しつつ先ほどの一幕はなかったことのように視線を送ってあげる。
一応、人間として潜伏している手前、不用意にこちらの情報を流してしまうのはどうかとも思ったが、どの道エミルとプリメロが魔族だとバラさざるを得ない状況に追い込まれた時点で、逃すつもりもなかったので最低限の礼儀として名乗るくらいはいいかと考え直す。
少し、ピリピリしすぎていたのかもしれない。
知らない土地に出向くのも、表向きはそう見えないようにしていたが、内心かなり気を張っていたので、こうして予想外すぎる出来事に直面してボロが出たのだろう。
まあ、誰にも知れない心の中に留められた動揺であったが、念のためと気を引き締めて、プリメロの名乗りを聞いて神妙な表情で口を歪めている人狼へと目を移す。
『リリーローズ?聞いたことあるような……。
まあいい、お前が魔族なら名乗ろう!俺様の名はセイブルス・トゥシュ。
黒の森を駆ける一族の長、アムバルク・トゥシュ第一の息子にして最強の戦士だ』
「黒の森ですか……耳にしたことはないですね。
まあ、いいです。
質問は両手両足の動きを断ち切った後にしましょう」
人狼――セイブルスの素性はエミルにしてもピンとこないものだったが、魔王だった母の近くにいたセルヴァの名を小耳に挟んでいてもおかしくはない。
互いに似たような反応を、全く違う理由でしている様子に思わず吹き出してしまいそうになるが、さすがに空気も読めない子供ではないので、グッと堪える。
ただ、そのせいで真顔で固まった状態でプルプルと震えるという醜態を晒してしまうわけだが、幸いなことにエミルを見る目がないので、誰にも見られずに済んだというところか。
エミルが1人自分自身と戦っていると、プリメロは互いに戦う前の語らいは終えたと足を踏み出す。
初撃の素早い動きとは対照的に、今度はゆっくりと、待ち構えて返り討ちにしてくれろうと両手を地につけ四つん這いになるセイブルスへと、まるで街の中で買い物をするかのように自然で無造作な足運びで進む。
そして、間合いに入る。
『ぐるぅぅううううらあっしゃああああああああ』
互いの距離はまだ5mほどあったが、セイブルスにとっては一足の距離だった。
後ろ足の筋肉をバネのようにたわませ、投石器が放つ巨石のように暴力の風を唸らせながら、右の爪で体全体の勢いを乗せて斬りかかる。
受けるプリメロは、右手に持つ黒刀を防御には使わずに、左腕を掲げ攻撃を受け止める。
向かいかかる驚異は爪の先端ただ一点ばかりという動きでセイブルスの手首を掴むが、メイド服に包まれたたおやかな細腕が、荒縄を編み込んだような筋肉の塊から繰り出される衝撃を受けきった事態に違和感を感じる。
(速さで掻き回す戦い方をするのかと思ったけど、案外パワータイプなのかも……?)
そしてそれは対峙しているセイブルス本人とて同じだろう。
そもそも、避けるないしは受け流される覚悟で初撃を叩き込んでみたようだったが、まさか受け止められるとは思いもしなかった。
予想外の出来事に動きが止まったのは、だが一瞬だった。
プリメロが、まるで足と握手をするかのように刃を左腿へと差し入る。
毛皮の中に刀身の冷たさを感じた瞬間には既に足を引っ込め、皮一枚斬らせはしたが避けると、そのまま気力を纏う蹴りを握れば折れてしまいそうな細い腰のくびれへと、振り下ろしていた右手共々粉砕すべく吸い込ませる。
鈍い、轟音。
金属の芯に、硬い硬いゴムの塊を纏わせた大きな棒同士を叩きつけたかのような音を洞窟中に響き渡らせると、体中から激しい気力の奔流を迸らせ右腕のみで受け止めた。
足は踏ん張り、蹴りの衝撃を全て飲み込むと、なんでもなかったかのように右手を丸太のような脚の表面を滑らせ剣を握ったままセイブルスの右腕へと掌底を繰り出し、勢いを利用し左手で握る手首を砕きながら地面へと叩きつける。
『ぐッ、がああああああああああ!?』
その衝撃は如何程か、人狼の背から広がる地のヒビは広く、2人を包む凹みとなっているほどだ。
一連の攻撃を受け止められ、かつ手痛い一撃を食らったことで絶叫しつつ、だが頭は冷静なのだろう。
石畳の地面に縫い付けられながらも、即座に左手を動かし近づきすぎて死角となっているプリメロのうなじをえぐり取ろうとする。
もちろん、エミルからはその様子が見て取れるが、注意する間もない。
まるで別の生き物のように放たれた爪の打突に貫かれ、真っ赤な鮮血が吹き出し――とはならなかった。
実際は、突きを受けて吹き飛ばされるという普通ではありえない光景に差し変わっていた。
2,3とバウンドしながら投げ出される姿はまるで壊れた人形のようであったが、すぐに体勢を立て直すと立ち上がり、土埃に汚れてしまった服を払う姿は、まるで一瞬前の攻撃なぞありはしなかったと仕草でアピールし、エミルに心配させる要素すらも払ってしまうようだ。
「服が汚れてしまうのであまり血は流させませんが、容赦はしませんよ?」
『ッチ、召喚獣なんてデタラメ吹きやがって、俺様の攻撃が効かないなんて巫山戯てやがるぜ』
悪態をつき、それでも期待していた反応が返ってこないことに舌打ちしたセイブルスは、右腕を押さえて睨んでいる。
召喚獣は基本的に召喚者よりも力が劣るものだ。
例外はあるにしろ、命令を下し従わせるにはあるていど御し易い者でなければ、呼び出したはしから食べられてしまったり逆に操られてしまったりしてしまう可能性が高いから。
なので、目の前で自分に比肩しもしかしたら超えているかもしれないほどの力量をもつ者がそうだとは信じがたいのだろう。
ただ、その勘違いを正す言葉を重ねる必要はないので、再びゆっくりとセイブルスへと近づいていくプリメロ。
溢れる血液は、おそらくプリメロが攻撃を受けて離れる瞬間に切りつけたものだろう、浅くはない切り傷に力を吸われ、だらんと垂らしている。
しかし、人狼のその顔には苦痛の歪みではなく、血に飢えた獣が極上の肉を前にした時のような喜色に染まっていた。
セイブルスがディセンダント・オーブラから大山脈を超え、森に下りて肉を狩ってきたが、それらは差し出された餌のように容易く手折れる貧弱な者たちだった。
ようやくと好敵手と呼べるような相手と出会えて、血が滾り戦士としてのプライドを刺激されたのだろう。
アォオオオオオオオオン
魔力を込めて遠吠えを一つ、放つ。
細長く、どこまでも突き抜けていきそうな音は、洞窟内に響き渡り再びエミルたちへと降りかかってくる。
〈始祖返りの降霊術〉
それと同時に、セイブルスの身体に変化が起きる。
白目が紅く染まっていき、頭から2本の角が伸びてくる。
その鈎爪はより長く、その体はより大きく、その毛皮はより光沢を纏い、口の端から見える牙はより鋭く、獲物に食い貫くことに特化していく。
エミルはその様子を、フィーユたちにチラリと目を寄越しながら見守る。
一応、物理的な衝撃が加えられない限りどんなに騒いだところで起きないような魔法なのだが、エミルが使える魔法で実際に効果を試したことがあるものは実戦的なそれ以外ないので少し不安だった。
ただ、未だ静かに寝息をたてている3人は問題がないようで、胸をなでおろす。
そして、目の前の変化を見守っているのはエミルだけではなく、プリメロもだ。
不用意に飛び出すことはせず、古よりのお約束で変身中は敵の形態変化を詳しく把握するために足を止めている。
体に巻きつけている金の鎖は一回り大きくなった人狼の体に弾き飛ばされることなく、共に大きくなり依然そこに存在しており、よりいっそう金属の輝きを強めているような気さえさせる。
吐く息は白く、重さがあるように足元に沈殿していく。
『相手を舐めるのは俺様の悪い癖だ、親父にも言われたがこればっかりは仕方がねぇ。
だがな、俺様は……反省すると、強いぜッ!』
叫ぶように言うセイブルスの右腕の傷は完璧に塞がり、先ほどの交差は無いものとして仕切り直しを宣告するまでもなく見せつけると、毛皮の下の筋肉をはち切れんばかりに隆起させて、ゆっくりと四足になろうとし――その指先が地面に触れた瞬間、消える。
初めの飛び掛りに倍する速度で駆けたセイブルスがプリメロに接近し終わったのは、すでに大剣のような腕を振りかぶった動作を終わらせた後だった。
遠くから見ていたエミルは全体の動きをよく見れたが、殺気を向けられる当事者であるプリメロはそうはいかないだろう。
突然、目の前に小さな山の如き巨体が現れ、しかも接近に反応できた時にはすでに相手の攻撃が始まっているのだ。
辛うじて左腕を掲げ、さらに右手で支え防御するが、人狼を射手にして矢の如く吹き飛ばされ、その先の結晶樹へと突き刺さるのと同時に、再び瞬く間に詰め寄るセイブルスが貫手の雨を降らせる。
「これは……思ってたより危ない、かも?」
さっきまでの動きとは全く違うセイブルスに、戦闘面では多少楽観していたエミルもさすがに危機感を覚える。
種族の実力的には伯爵級ほどの力だと思っていた彼が、実はそれなりの実力者で、しかも自己強化によってその強さを底上げしたのだ。
セルヴァから公爵級の力は持たせていますのでと言われたプリメロが鎧袖一触にしてしまえると思っていたら、またもや予想外の出来事が起きたと頭が痛くなってくる。
フィーユたちは見ていたいが、助けに入るべきか悩んでいると、セイブルスの連撃に耐え切れず結晶樹が叩き折れ、その下敷きになっては面倒と離れたところで止まる。
そして、折れた結晶樹の切り株に寄りかかるようにして立っているプリメロは、ダランと死体のように脱力している。
(いや、本当に死んじゃったとか……?)
プリメロの安否が気になるほどの猛攻で不安になるが、すぐに起き上がる姿にホッとしたのと同時に息を呑む。
綺麗に仕立て上げられていたメイド服が、見るも無残にちぎれ飛び、原型も分からないボロ切れを身につけている状態になり、その下にある柔肌は肌の色を見せないほど血に塗れていた。
「プリメロ……」
「心配ご無用です、エミル様」
受けた傷の重さは血によってよくわからないが、満身創痍の状態そうだ。
だが、エミルの囁くような言葉に応え、真っ直ぐにこちらを見つめてくる瞳には力強い光が灯っており、立つ足はしっかりとしていて微塵のブレも見られない。
プリメロの言葉に、わかったよと返事をすると、一つ目礼してセイブルスへと向き直り――宣言する。
「ここまでの力を見せていただいた貴方に敬意を表し、私も全力で向かいましょう。
改めて名乗らしていただきます。
セルヴァ様の召喚獣にしてメイド、そして……主の皆々様の為の、“武器庫”です」




