036⚫️嘔吐する仮説 嫌悪する内容
我々は、自然淘汰や適者生存などの進化の結果、生まれたのだろうか?
それは、直線ではなく、幾重にも枝分かれした樹のような系譜である。その枝のひとつ、約70万年前に中国に生きた北京原人は、火を使い、狩猟を行い、集団生活を営んでいた。洞窟の奥深くから見つかった、彼ら彼女らの骨は、時に切断痕や焼かれた跡を伴って発見された。それは、儀式のためか、それとも食料のためだったのか。今も議論は続いている。
一方、ネアンデルタール人はヨーロッパに広がり、死者を埋葬し、道具を洗練させ、ホモ・サピエンスと交雑した。ジャワ原人、クロマニョン人、デニソワ人。それぞれが異なる環境に適応し、異なる文化を築いた。だが、彼ら彼女らは滅びた。なぜか?
もし、彼らが誰かに「家畜化」されていたとしたら?
その仮説は、進化の自由と支配の構造を根底から揺るがす。家畜とは、他者の目的のために改良され、管理され、繁殖される存在だ。北京原人の骨に残る焼痕は、食料としての痕跡かもしれない。ネアンデルタール人が死者を埋葬した行為は、より従順で、より管理しやすい「家畜」としての習性を植え付けるための儀式だったのかもしれない。彼らは、より栄養価が高く、より従順になるように「設計」されていたのではないか。
この想像は、宇宙人=神というSFの領域に踏み込む。高度な文明を持つ’恐竜人’や’天竜神’が、複数の惑星に人類型種をばらまき、遺伝子を操作し、信仰を植え付け、家畜として育てていたとしたら?北京原人も、ネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスも、その「製品群」のバリエーションだったのかもしれない。
宗教的儀式や神話は、養殖者の存在を讃えるように設計され、反抗の芽は遺伝的に抑制される。人類は、自らの運命を’養殖者の意志’として受け入れ、供物となる、あるいは誰かを供物とする。生贄である。北京原人の洞窟の奥にあった骨は、その残骸だったのかもしれない。
そして今、我々ホモ・サピエンスは、他者を家畜化し、遺伝子を操作し、環境を自分たちの都合で変えようとしている。だが、その行為の根底に、かつて自らが家畜だった記憶があるとしたら・・・。
それは、単なるSFではない。文明という名の支配の連鎖であり、我々の足元に忍び寄る恐怖であり、警鐘である。
進化とは、本当に自然選択の結果だったのか?それとも、見えざる手による設計だったのか?北京原人の骨も、ネアンデルタール人の遺伝子も、沈黙の中で我々に問い続けている。支配と共存の境界線は、常に曖昧だ。その曖昧さの中で、我々は何を選び、何を拒むのか。
文明とは、進化の記憶を忘れた者たちの夢なのかもしれない。




