表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死した国交省官僚、異世界で《万象鑑定》を得て辺境村のインフラを直したら交易都市の王になっていた件  作者: ぽんぽこライフ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/86

アーチの頂で

 一箇所目の漏水補修は完了していた。崩落した石を除去し、新しい石を《万象鑑定》で選別して嵌め込み、粘土と砂利で目地を固めた。鑑定で確認すると、漏水は止まっていた。


 しかし二箇所目——橋脚により近い方の漏水箇所に到達した時、健悟は青ざめた。


  【漏水箇所2:水路天端崩落区間1.8m】


  【崩落原因:アーチ橋橋脚荷重による地盤沈下】


  【修復難易度:高(橋脚直下のため掘削にリスクあり)】


  【注意:掘削時に橋脚基礎の安定性を損なう可能性】


 水路の崩落した二箇所目は——まさに橋脚の真下にあった。最悪の位置だ。掘削すれば、せっかく安定させた橋脚の基礎を再び不安定にする可能性がある。橋を壊さずに水路を直す。相反する要求だ。


 (これは——難しい)


 国交省時代、近接施工の問題は何度も経験した。既存構造物の近くで新しい工事をする場合、既存構造物への影響を最小限に抑えなければならない。都市部の地下鉄工事で、地上のビルが沈下した事例がある。同じリスクだ。


「ガルドさん。ここは——慎重にやる必要があります」


「何が問題だ」


「水路の崩落箇所が橋脚の真下にあります。乱暴に掘ると、橋脚の基礎が崩れます。鑑定しながら、少しずつ慎重に掘削しなければなりません」


「時間がかかるということか」


「はい。しかも——掘削中は常に鑑定で基礎の安定度を監視する必要があります。僕が穴の中に入って、手で触れながら掘削を指示するしかない」


 ガルドの目が細くなった。


「穴の中に入る。橋脚の真下に」


「はい」


「橋が崩れたら——生き埋めになるぞ」


「ですから、《万象鑑定》で常に監視します。危険な変化が起きたら即座に退避します」


 ガルドが黙った。顔が険しい。リーゼも口を結んでいる。


「他に方法はないのか」


 リーゼが聞いた。


「ありません。水路の崩落箇所を直すには、実際に触れて鑑定しながら作業するしかない。遠隔では——《万象鑑定》の精度が落ちます」


 沈黙が流れた。風が吹いた。テール川の水面が波立った。——水位が少し上がっている。上流の雨が影響し始めている。時間がない。


 国交省時代、災害対応の指揮を取ったことがある。台風で河川が増水し、橋脚が洗掘され、緊急で根固めブロックを投入した。あの時も時間との勝負だった。しかしあの時は——重機があった。ブロックがあった。専門の作業員がいた。今は——鍬と石と、素人の村人だけだ。条件は比較にならないほど悪い。


 しかし——一つだけ前世にはなかったものがある。《万象鑑定》だ。このスキルがあれば、見えない地下の状態をリアルタイムで監視できる。盲目の工事が有視界の工事になる。その差は大きい。


「——俺が支える」


 ガルドが言った。


「橋脚に異変があったら——俺があんたを引きずり出す。それでいいか」


「ガルドさん——」


「冒険者時代、仲間を引っ張り出すのは日常茶飯事だった。崩れる洞窟の中から荷物を担いだ仲間を背負って走ったこともある。——俺の足なら間に合う」


 健悟は——ガルドを見た。武骨な顔。しかし目には、迷いがなかった。覚悟が決まっている。前世で——こんな風に自分を守ると言ってくれた人がいただろうか。国交省では全員が自分のデスクを守るだけだった。信頼に値する男だと——改めて思った。


「お願いします」


 周囲に集まった村人たちが、固唾を呑んで見守っている。トビアスが鍬を握りしめている。ロッテが手を合わせている。リーゼが——唇を噛んで立っている。


 ロープを腰に結んだ。ガルドがもう一端を握る。命綱だ。冒険者が使っていた結び方——ガルドが手慣れた動作で結んでくれた。


「引っ張ったら即座に引き上げる。分かったな」


「はい」


 穴に入った。深さ一・五メートル。土の壁が迫る。狭い。暗い。松明の灯りが届かない。自分の影が穴の底に溶けている。橋脚の基礎石が目の前にある。根固めで追加した石の向こうに——元の基礎石が見えている。その直下に、水路の天端がある。


 手を地面に押し当てた。青い構造線が広がる。水路の崩落区間が鮮明に浮かぶ。橋脚基礎の安定度を示す数値パネルが、視界の右上に固定された。


  【橋脚1基礎安定度:67%(許容範囲)】


 この数値が50%を切ったら——即座に退避する。


「掘削開始してください。ゆっくり、薄く。一回の掘削で五センチ以下」


 トビアスが鍬を慎重に振り下ろした。土が少し崩れた。安定度の数値が——66%に下がった。一%の低下。想定内だ。


「続けて。大丈夫です」


 鍬が振り下ろされる。土が崩れる。数値が変わる。65。64。63。一回ごとに一%ずつ低下していく。水路の天端まであと三十センチ。六回の掘削が必要だ。


「あと三十センチ。——ペースを落としてください。一回ごとに十秒待ちます」


 トビアスが頷いた。汗が顎から滴っている。緊張で唇が白い。力自慢の若者が——慎重さを求められる場面で、見事に応えていた。この男は信頼できる。


 62。61。60。数字が下がるたびに胃が締め付けられる。前世のデスクワークでは味わったことのない種類の緊張だ。


「ここからは——もっと慎重に。一回三センチで」


 59。58。


 水路の天端が見えた。崩落した石の端が露出している。あと十五センチ。


 57。56。


「健悟! やめろ!」


 ガルドの声が降ってきた。


「何を——」


「上を見ろ。雨だ」


 顔を上げた。——空が暗い。黒い雲が西から押し寄せている。そして——雫が一滴、頬に落ちた。冷たい。


 雨が来た。


 穴の中に雨水が入れば——泥が緩む。基礎の安定度がさらに低下する。しかし——作業を中断すれば、増水が来る。増水が来たら水路工事は不可能になる。


「続けます」


「正気か」


「止めたら——橋が危ない。ここで止めたら全部無駄になります」


 ガルドが歯を食いしばった。しかし——止めなかった。健悟の目を見たからだ。覚悟がある目を。


「十分だけだ。十分で終わらなかったら——俺が引きずり出す」


「五分で終わらせます」


 上から——リーゼの声が聞こえた。


「健悟。私がここで見てるから。——絶対帰ってきてね」


 短い言葉だった。しかし——その声には、命令とも祈りともつかない強さがあった。村長としてではなく、一人の人間として。


「帰ります」


 雨が強くなる。穴の底に水が溜まり始める。手が泥で滑る。しかし——《万象鑑定》は機能している。青い構造線が崩落箇所を照らしている。


 崩落した石を両手で引き抜いた。重い。腕が悲鳴を上げる。しかし石が外れた瞬間——水路の内部が見えた。暗い穴の奥から、微かに水の音が聞こえる。詰まった土砂が——水圧で押し出され始めている。水路が生きている証拠だ。二百五十年の眠りから、水路が目覚めようとしている。本来の流路に水が戻ろうとしている。


「石を! 詰め石を寄越してください!」


 上からガルドが石を手渡した。ガルドの大きな手から、泥水を通して石が渡される。《万象鑑定》で確認——強度十分。形状も嵌合も良好。崩落箇所に嵌め込む。粘土を両手で掬い、隙間に詰める。手が泥と水で滑る。指先の感覚がなくなっている。冷たい。しかし——手は動く。動かし続ける。


 55。54。基礎安定度が下がり続けている。しかし——もう少し。あと一つ石を嵌めれば——


 最後の石を押し込んだ。


 鑑定——。


  【漏水箇所2:補修完了】


  【漏水量:ゼロ】


  【橋脚1基礎安定度:53%(要注意だが許容範囲)】


「終わりました! 上がります!」


 ガルドの手が伸びてきた。太い腕が健悟の腕を掴み、一息で穴から引き上げた。地上に出た瞬間——大粒の雨が全身を叩いた。


 泥まみれだった。頭からつま先まで。髪の毛の先まで泥水が滴っている。リーゼが駆け寄ってきた。


「健悟! 大丈夫!?」


「大丈夫です。——水路の補修は完了しました」


 声が震えていた。寒さと疲労と——達成感で。二箇所の漏水が止まった。橋脚基礎への地下水浸食は——これで終わる。三百年間、橋を蝕み続けた根本原因が、ようやく断たれた。


 リーゼが泥だらけの健悟の腕を掴んだ。碧い目が——泣きそうだった。


「もう——こんな危ないことしないでよ」


「すみません。でも——必要なことでした」


「必要だったのは分かってるけど——心臓に悪いよ」


「……無茶しやがって」


 ガルドが低く呟いた。しかし——その声には怒りよりも、安堵が混じっていた。


 雨が本格化する中——健悟は橋を見た。修繕した橋が、雨に濡れて光っている。支保工の木材が雨を弾き、根固めの石が水の流れを分散している。テール川の水位が——目に見えて上昇し始めていた。


 (持ってくれ——)


 水路の漏水は止めた。根固めは完了している。支保工も設置済みだ。やれることは全てやった。あとは——この橋が、増水に耐えてくれるかどうか。


 雨脚が強まる。遠くで雷鳴が響いた。上流の山が——黒い雲に飲み込まれている。


 本当の試練は——これからだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ