動かない村人たち
健悟、リーゼ、トビアス。そしてロッテが握り飯を持って現れた。
「ほら、朝飯。空きっ腹じゃ石は運べないよ」
握り飯は固くて味が薄かったが、湯気が立っていて温かかった。ロッテの手のひらの跡が残っている。
四人——いや、ロッテは食事担当なので実質三人。橋脚の根固めに必要な石を五十個運び、正確な位置に積む作業を、たった三人でやる。気温は低い。川から冷たい風が吹き上げてくる。
(災害復旧現場では、三人チームは珍しくない。問題は、三人のうち二人が素人だということだ)
リーゼは力仕事に慣れているが、土木作業は初めてだ。トビアスは力自慢だが、石の積み方を知らない。健悟自身も——図面を引いたことはあるが、実際に石を運んだ経験はない。国交省はデスクワークだった。
「まず——廃屋から石を運びます。この図面の通りに」
昨夜描いた図面を広げた。紙と炭筆で描いた粗い図だが、寸法と手順は正確に入れてある。
「一番大きい石を下に置いて、上に小さい石を積むってこと?」
リーゼが図面を覗き込んだ。
「そうです。根固めは——下から順に、大きい石から小さい石へ。隙間に小石と砂利を詰めて、水の流れを分散させます」
「ケンゴ。それ、何語?」
「……すみません。要するに、大きい石を土台にして、隙間を埋めて固めるということです」
「最初からそう言ってよ」
リーゼが笑った。健悟は苦笑した。国交省では専門用語を使わないと怒られた。ここでは使うと怒られる。
廃屋に向かった。村の東端にある、屋根が落ちた元商家。昨日《万象鑑定》で選別した石材がある。壁に手を触れると、再び青い構造線が浮かぶ。石の内部の結晶構造が見える。亀裂の深さが分かる。風化の程度が数値で出る。強度が十分な石を指示し、トビアスが鉄梃で外す。
「この石はいい。こっちは——内部に亀裂があるので使えません。その隣の——これもいい」
「すげえな。触るだけで分かるのか」
トビアスが素直に感心している。健悟は——少し嬉しかった。国交省では、自分の仕事を誰かに感心されたことがなかった。書類を仕上げても「当然」で、予算を取っても「遅い」で。
石を橋まで運ぶ。背負子がないので、二人で抱えて歩く。石は重い。一つ二十キロ以上ある。腕が千切れそうだ。廃屋から橋までの三十メートルが果てしなく遠い。足元の泥が靴を吸い込む。借り物の革のブーツが——ロッテが「うちの亭主の形見だよ」と出してくれた——既に泥だらけだった。
「健悟、大丈夫? 顔色悪いよ」
「大丈夫です。体力はないですが——気力はあります」
「気力だけじゃ石は運べないんだけど」
リーゼの呆れた声。正論だ。
午前中で運べた石は十二個。予定の四分の一にも満たない。
「このペースだと——三日では終わりませんね」
健悟は正直に言った。手のひらが赤くなっている。マメができ始めていた。国交省の十一年間で、手にマメができたことなど一度もなかった。
計画を修正する必要がある。人手が足りない。圧倒的に足りない。
昼食をロッテの握り飯で済ませた。今朝よりも塩気が強い。「汗かいたでしょ」とロッテが言った。細かい気配りだ。
木陰に座り込んでいると——広場の方から視線を感じた。何人かの村人が、遠巻きに作業を見ている。手伝いに来るわけではない。「どうせ無駄だ」という目で眺めているだけだ。
「気にしないで」
リーゼが隣に座った。額に汗が光っている。亜麻色の髪が首筋に張り付いている。
「皆、怖いんだよ。期待して裏切られるのが。この村は——何度も期待を裏切られてきたから」
「分かります。限界集落の住民心理は——前の世界でも同じでした」
「ゲンカイシュウラク?」
「……人がいなくなって、衰退が止まらない村のことです」
「あはは。まさにうちのことだね」
笑っているが、目は笑っていない。リーゼのこの笑い方——辛いことを笑い飛ばす癖だと、二日目にして分かってきた。村長を務めるには若すぎる。二十歳で五十人の生活を背負っている。父親が急死した後を継いだとロッテに聞いた。
「リーゼ。この村は——まだ間に合います」
「うん。……うん。だから頑張るんだよね」
立ち上がって、泥を払った。午後の作業が始まる。
午後の作業を再開した。石を運び、位置を決め、隙間に小石を詰める。単調だが集中を要する作業だ。石の向きを間違えれば水流に弱くなる。《万象鑑定》で一つ一つ確認しながら積んでいく。
陽が傾き始めた頃——足音がした。重い足音だ。
ガルドだった。
革鎧を脱いで、作業着姿。何も言わずに——健悟が「次に積む石」として川原に並べておいた石を、一人で持ち上げた。二人がかりで運んでいた石を、片手で。
「……ガルド」
リーゼが目を丸くした。ガルドは何も言わない。黙って石を運び、黙って橋脚の横に置いた。
「どこに置けばいい」
三語。短い言葉。しかし——それは「手伝う」の意味だった。ガルドの目が健悟を見ている。
「そこから三十センチ右に——いえ、そこです。ありがとうございます」
ガルドは頷き、次の石を取りに行った。
リーゼが健悟の横に来た。小声で囁く。
「何があったの。昨日は『出て行け』って——」
「分かりません。ただ——あの人は、橋のことを気にかけていた」
ガルドが何を考えているかは分からない。しかし——行動が全てを語っていた。言葉よりも雄弁な参加表明だった。
ガルドが加わったことで——現場の空気が一変した。遠巻きに見ていた村人たちがざわめいた。「ガルドが手伝ってるぞ」「あの頑固者が?」「ガルドが認めたなら——本当に橋がやばいのか」。自警団長の行動は——村人にとって何より雄弁な信用の証だった。
ガルドは一言も喋らず、ひたすら石を運んだ。二人分の石を一人で運び、正確に指示された位置に置く。冒険者の体力は伊達ではなかった。
夕方までにさらに八個——合計十個の石を運べた。ガルドの腕力は三人分に値する。合計二十個。予定の四割。悪くない。
ガルドは作業が終わると、また何も言わずに去った。ただ去り際に——橋の欄干を見た。崩れた欄干の、まだ残っている部分を。古い石の表面に——小さな手形が刻まれていた。子供の手形だ。
リーゼが気づいた。
「……あれ、昔この村にいた子供たちが遊びで押したの。泥を塗って手形をつけた。ガルドの——ガルドの娘さんの手形も、あるんだよ。十年前に病気で亡くなった」
健悟は黙った。ガルドがこの橋に執着する理由が——分かった気がした。
午後、ロッテが村の中を見て回った。ロッテは宿の女将であると同時に——村の情報通だった。誰が何をしているか、誰が暇かを全て把握している。
「ねえ健悟。ハンスとヨルグなら明日手が空くってさ。畑の石拾いが終わったんだって」
「二人も? ありがたいです」
リーゼが嬉しそうに声を上げた。
「ロッテ、どうやって説得したの?」
「説得なんてしてないよ。ただ——『橋が落ちたら困るのは自分たちだ』って言っただけ」
ロッテが微笑んだ。この女性は——言葉の使い方を知っている。脅かすのではなく、気づかせる。
夕暮れ。進捗は石二十個。ガルドのおかげで予定を大きく上回った。明日はハンスとヨルグも加わる。ガルドが来てくれるなら——七人だ。
健悟は図面を見直した。人手の増加に合わせて工程を組み直す。七人なら——明日中に根固めの石を全て配置できる。三日目の工程に余裕が生まれる。
ロッテが夕食を出してくれた。豆のスープと硬いパン。根菜の煮込み。質素だが——労働後の食事は何でも美味い。前世のコンビニ弁当よりずっと美味い。トビアスが隣のテーブルでパンを三つも食べている。
「トビアス。明日は——もっと重い石を運んでもらうことになります」
「任せろ。俺の力が足りなかったら、牛を連れてくる」
「牛?」
「隣の家のベルタ。荷馬車を引ける牛だ。石も運べるだろ。まだ持ち主に聞いてないけど」
「聞いてからにしてください」
「大丈夫だって。おじさんは俺の頼みなら断らないから」
トビアスの解決策はいつも直球だった。しかし——こういう人間がチームにいると助かる。国交省にもこういう若手がいたら、組織はもう少し風通しが良かったかもしれない。
夜。ベッドに横たわり、天井を見た。蝋燭の灯りが揺れている。
一日目が終わった。石は二十個。予定よりは遅いが——ガルドの参加で大きく前進した。動き始めた。ゼロから一になった。
国交省で十一年間、書類と画面の向こうにしかなかったインフラ整備が——今、自分の手の中にある。石の重さ。泥の冷たさ。汗の匂い。全てが——リアルだ。
腕が痛い。腰が痛い。全身が痛い。
(これが——現場か)
しかし——不思議と、嫌ではなかった。国交省で三百時間残業した時の疲労とは質が違う。身体は痛いが、心は痛くない。
ガルドの娘の手形が——目に焼き付いていた。あの手形を守るために、ガルドは来たのだ。きっとそうだ。
明日は——もっと多くの石を積む。橋を守る。この村を守る。
(定時に帰れるかどうかは——まだ分からないけど)
眠りに落ちる直前、そんなことを考えた。




