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過労死した国交省官僚、異世界で《万象鑑定》を得て辺境村のインフラを直したら交易都市の王になっていた件  作者: ぽんぽこライフ


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通行権と維持費——道を守る仕組み

 農具が壁に掛けられ、干し草の匂いが染みついた木の床。冬には薪ストーブを囲んで村人が集まるが、夏場は使われない。しかし今日は違った。リーゼが招集をかけたのだ。


 長い作業台をテーブル代わりに据え、椅子が足りないので木箱を並べた。集まったのは二十人ほど。村の主要な働き手と、ノルンのような長老格。子供たちは外で遊んでいる声が、窓越しに聞こえてくる。


 マルテがヴァッサーでの交渉結果を報告した。イレーネの提案。資材と人夫の提供。通行料免除五年と優先取引権。帳面を読み上げるマルテの声は明瞭で、数字が正確に並んでいく。商人の報告だ。


「つまり——外の町から人が来るってことか」


 カールが眉を寄せた。


「資材と人夫の派遣よ。十人。港の荷揚げ人だから、力仕事は慣れているはずだわ」


「十人も余所者が来たら——飯はどうするんだ。寝る場所は」


「その分の食費と宿泊費はヴァッサー商会が負担する。あたしが条件に入れたわ」


 マルテが帳面を指した。細かい。さすがに抜かりがない。


 しかし村人たちの表情は複雑だった。五十人の村に、外から十人が来る。二割の人口増加だ。嬉しいことのはずだが——顔が晴れない者がいる。五十年間、外の世界と断絶していた村だ。余所者への警戒心は、理屈では消えない。


「それで——通行料の話に移りたいのですが」


 健悟が立ち上がった。板に描いた図を壁に立てかける。今度はガントチャートではない。街道の断面図と、その横に矢印で繋いだ通行料の仕組みを示した概念図だ。


 リーゼが図を見て、首を傾げている。ガルドは腕を組んで壁にもたれている。ドラガは椅子に座って顎鬚を撫でている。マルテだけが帳面を開いて、何かを書き込む準備をしていた。


「街道が完成した後、通る人から通行料を取ります」


 一瞬、集会所が静まった。村人たちの視線が健悟に集中した。リーゼが口を開いた。


「みんなに使ってもらいたいのに——お金を取るの?」


 予想していた反応だった。健悟は頷いた。


「リーゼさんの気持ちはわかります。しかし——街道は完成したら終わりではありません。毎年、補修が必要です。マギクリートは五十年持ちますが、排水溝は泥が詰まる。法面の草は伸びる。冬の凍結で路面がひび割れる。放置すれば——十年で道は元に戻ります」


「十年で?」


「前世の——いえ、以前の経験です。道路は造った後が大切なんです。維持管理をしなければ、すぐに使えなくなる。無料の道は——誰も直さない道になります」


 健悟の声が低くなった。国交省時代の記憶が蘇っていた。道路特定財源の議論。ガソリン税の使途。維持管理費の不足。予算要求のたびに財務省と折衝し、維持費を削られ、後回しにされ——結果として橋が落ち、トンネルの天井が剥がれる。


 (日本ですら維持管理は後回しにされた。この世界なら——もっとひどいことになる。造ったものは守らなければ意味がない)


「具体的には、こういう仕組みを考えています」


 健悟が図を指した。


「街道を通る商人や旅人から、少額の通行料を徴収します。その全額を、街道の維持管理に充てる。使い道を限定する——これが重要です。村の他の費用には使わない。あくまで道のための金です」


「使い道を限定するって——どうやって?」


「帳簿を分けます。通行料の収入と、維持管理の支出を、別の帳面で管理する。マルテさんに——やってもらえますか」


「もちろん。帳面を分けるのは商売の基本よ。入りと出が混ざったら、何が儲かって何が損してるかわからなくなるもの」


 マルテが即答した。数字の管理は任せろ、という自信が声に滲んでいる。


 ガルドが腕を組んだまま口を開いた。


「通行料を取るなら——徴収する人間がいるだろう。誰がやる」


「街道の入り口に関所を設けます。そこに番人を置く。自警団から——一人か二人、交代制で」


「番人か。——まあ、門番のようなものだな。自警団の仕事が増えるが、街道の安全管理と兼ねれば効率はいい」


 ガルドの承認は大きかった。自警団長が動けば、人の配置がスムーズに進む。


 ノルンが手を挙げた。


「通行料の額は、いくらにするつもりだい」


「人ひとり銅貨二枚。馬車一台で銅貨十枚を考えています。隣町の市場で小麦が銅貨五枚ですから——歩いて通るだけなら、パン半個分の値段です」


「安いわね」マルテが首を傾げた。「もっと取れるんじゃない?」


「高くすると、街道を避けて獣道を通る人が出ます。安くして——全員に通ってもらう方が、総額は大きくなります」


 (薄利多売。高速道路の料金設定と同じ原理だ。利用率を最大化して、維持費をカバーする)


「なるほど。——商人としては悔しいけど、理屈は通っているわ」


 リーゼが板の図をじっと見ていた。碧い目が、数字と矢印の間を行き来している。


「道のための金を、道にだけ使う——ってことだよね」


「はい」


「それなら——みんなに使ってもらうための金ってことだよね。道を壊さないための。守るための」


「その通りです」


 リーゼが頷いた。納得した顔だ。この村長は——理屈よりも、「何のために」が腑に落ちれば動く。


「じゃあ——これを、村の決まりにしよう。ちゃんと紙に書いて」


「書面にしましょう。通行料の額、使途、管理方法——全て記録します」


 健悟は炭筆を取った。板の上に、条文を書き始めた。


「道路維持管理規程 第一条——」


 炭筆が板の上を走る。健悟の文字は角張っていて硬い。国交省時代に何百枚も書いた法令文書の癖が抜けていない。しかし内容は——この世界で初めてのものだ。


 ノルンが記録帳を開いて、健悟の文言を写していた。「歴史的な瞬間だよ」と呟きながら。大袈裟に聞こえるが——三百年の歴史を持つ村が、初めて法律を持つ日だ。ノルンの記録帳には、それに相応しい重みがある。


 リーゼが村長として署名した。少し震えた筆跡で「リーゼ・ハルベルト」。それがハルベルト村の、最初の行政文書になった。


 集会が終わった後、村人たちはそれぞれの仕事に戻っていった。しかし健悟の仕事は終わらない。ドラガの工房に向かった。


 鍛冶場の炉から煙が上がっている。ドラガが腕を組んで、在庫の棚を睨んでいた。


「健悟。——悪い知らせじゃ」


「魔法石粉ですか」


「よくわかったのう。在庫が底を突きかけておる。今のペースで舗装を続ければ——あと二十日分しかない」


 魔法石粉。マギクリートの核となる素材だ。特定の鉱脈からしか採れない。ドラガが修復した鍛冶場の近くに小さな鉱脈があったが、そこはもう掘り尽くしてしまった。


「新しい鉱脈を探す必要がありますね」


「それか——別の配合を考えるか、じゃ。石粉の比率を下げて強度を保つ方法があれば——量は稼げるぞい。しかしワシの経験では、石粉を減らせば強度は落ちる。当たり前の話じゃが」


「《万象鑑定》で最適配合を探ってみます」


「頼むぞい。素材が足りんのに仕事ができんのは——職人として一番つらいことじゃ。腕があっても材料がなければ、ただの老いぼれドワーフじゃ」


「老いぼれなんかじゃないでしょう」


「百年前はそう思っておった。最近は——少し自信がなくなってきたぞい」


 冗談めかしてはいるが、ドラガの声に珍しく焦りが混じっていた。二百年の経験を持つ職人が——素材の枯渇という、腕では解決できない問題に直面している。健悟は鍛冶場を見回した。棚の上に並ぶ瓶の中身が、目に見えて減っている。魔法石粉の残りが——時間を刻んでいた。


 深夜。リーゼの執務室——村長の家の二階にある小さな部屋だった。


 窓から月明かりが射し込んでいる。リーゼが机の上に広げた紙を見つめていた。健悟が書いた「道路維持管理規程」の清書だ。まだインクが乾いていない。


 健悟がノックした。


「まだ起きていたんですか」


「眠れなくて。——これ、読んでたの」


 リーゼが紙を持ち上げた。


「村ができて三百年以上——こういう決まりを紙に書いたのは、初めてだと思うよ。今まで全部、口約束だったから」


「行政文書は——統治の基本です。約束を紙に残すことで、人が変わっても仕組みが残る」


「人が変わっても——か」


 リーゼが窓の外を見た。月明かりに照らされた村の屋根が、静かに並んでいる。


「父さんが死んだ時、村のことは何も書いてなかった。全部、父さんの頭の中にあった。だから——あたしは何もわからなくて、すごく困った」


「——」


「だから、書いてくれてよかった。これがあれば——あたしの次の村長も、困らない」


 リーゼの声は静かだった。父の死を、もう涙なしに語れるようになっている。しかしその言葉の奥に——今でも癒えない傷があることを、健悟は知っていた。


「まだ——リーゼさんが村長の間に、もっとたくさん書きましょう。村の仕組みを。記録を。残すべきものを」


「うん。——お願いね、健悟」


 月明かりの中で、紙の上のインクが乾いていく。


 (国交省時代、法令の起草をしたことがある。何十ページもの条文を書き、上司の赤字を直し、法制局と折衝し——それが官報に載るまでに二年かかった。ここでは、一晩で法律が生まれる。規模は違う。しかし——最初の一歩の重みは、同じだ)


 ハルベルト村の最初の法律が——夜の静けさの中に、形を成していった。

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