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過労死した国交省官僚、異世界で《万象鑑定》を得て辺境村のインフラを直したら交易都市の王になっていた件  作者: ぽんぽこライフ


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自警団長の矜持——ガルドの過去

 自警団の詰所。村の東端にある小さな石造りの建物だ。かつては衛兵の詰所だったが、今は物置同然になっている。ガルドがここを自警団の拠点として使い始めてから、埃が払われ、壁に武器が掛けられ、人の気配が戻った。


 岩狼偵察の前夜。ガルドが詰所の前で焚き火をしていた。炎の向こうに、剣の手入れをする大きな背中が見える。健悟は薬草茶を二つ持って近づいた。


「ガルドさん。明日の作戦を確認したいんですが」


「座れ」


 丸太に腰を下ろした。焚き火の熱が顔に当たる。薪が燃える匂いが鼻に届く。樫の木だ。硬い木は長く燃える。夜風は冷たいが、火の正面は温かい。ガルドが剣を膝の上に置き、茶を受け取った。茶碗が大きな手の中で小さく見える。


「明日のルートは決まっているのか」


「はい。測量時に確認した地形データから、岩狼の巣は三箇所あります。街道ルートの両側に——扇状に広がっている。まず最も小さい巣から偵察して、鑑定で構造を読み取ります」


「小さい巣が先か。賢いな」


「リスクを段階的に評価する原則です。国交省では新工法の試験施工と呼んでいました」


「何のことか分からんが——段階的にやるのは冒険者も同じだ。いきなりボスの部屋に飛び込む馬鹿はいない」


 ガルドが茶を啜った。苦い顔をした。ノルンの薬草茶は——慣れないと辛い。


 焚き火が爆ぜた。沈黙が降りた。虫の声が遠くに聞こえる。テール川のせせらぎが微かに届く。


「ガルドさん」


「何だ」


「冒険者時代の——パーティのことを、聞いてもいいですか」


 ガルドの手が止まった。膝の上の剣を握る手に——一瞬、力が入った。しかしすぐに緩んだ。


「なぜ聞く」


「明日、一緒に危険な場所に入ります。あなたの戦い方を理解しておきたい。——そして、あなたがどんな経験を持っているのか」


「……仕事のためか」


「それもあります。でも——純粋に知りたいんです。ガルドさんのことを。堤防の夜に、あなたは『居場所を見つけた』と言ってくれた。あの言葉が——僕にとっても大きかったんです」


 長い沈黙があった。焚き火の炎が揺れている。薪の中心が赤く燃え、その周りを青い炎が舐めている。ガルドの横顔が——炎に照らされて、年齢より老けて見えた。四十五歳。冒険者としては引退する年齢だ。傷が多い。顎の下に薄い傷、右腕の古傷、左手の薬指が少し曲がっている。この男の体には——何年分もの戦いの履歴が刻まれている。


「——レオンハルトという男がいた」


 名前を口にする時、ガルドの声が微かに揺れた。


 ガルドが口を開いた。低い声で。焚き火の音に紛れるような声量で。


「パーティリーダーだ。『鉄壁のレオンハルト』と呼ばれていた。盾術の達人で——どんな攻撃も受け止めた。俺は前衛。レオンハルトの横で剣を振るっていた」


「強いパーティだったんですね」


「ああ。辺境伯の依頼も受けるほどだった。魔獣討伐、遺跡探索、護衛任務——何でもやった。五人パーティで、六年間一度も全滅しなかった。前衛が俺とレオンハルト。後衛に魔法使いのヴィクトル、弓使いのエーリカ。斥候にカイル。最高のパーティだった」


 五人の名前を——ガルドは淀みなく口にした。十五年経っても忘れていない。体に刻まれた仲間の名前だ。


 ガルドの目が遠くなった。炎の向こうに——過去の光景を見ている。仲間と肩を並べて戦った日々。剣と盾が噛み合い、魔法が飛び交い、勝鬨を上げた日々。


「——しかし、レオンハルトは完璧主義者だった」


 ガルドの手が無意識に右腕の傷に触れた。声が——低くなった。


「任務の準備に何日もかけた。装備の点検を何度も繰り返した。作戦を完璧に練り上げるまで動かなかった。それ自体は——悪いことじゃない。むしろ正しいやり方だ」


「しかし?」


「完璧を求めるあまり——仲間にも同じ水準を要求した。休憩を削り、睡眠を削り、訓練を増やした。文句を言う者には『お前の命を守るためだ』と言った。正論だ。正論だから——誰も反論できなかった」


 健悟の胸が——痛んだ。聞き覚えのある話だ。


「疲弊したんですね」


「ああ。六年目のある任務で——崩壊した。遺跡の奥で魔獣の群れに遭遇した時、全員の判断が一瞬ずつ遅れた。疲労だ。蓄積した疲労が、最悪の瞬間に表面化した。レオンハルトの盾が——初めて間に合わなかった」


 ガルドが右腕の袖をまくった。焚き火の灯りに、古い傷跡が浮かんだ。腕を斜めに走る——深い切り傷の痕。


「この傷は——あの時のものだ。魔獣の爪が盾を越えて、俺の腕を裂いた。ヴィクトルが——庇って、防御魔法を展開した。しかし詠唱が一拍遅れた。疲労で集中力が切れていた。二撃目が——ヴィクトルの胸を貫いた。そいつは——帰ってこなかった」


 ガルドの声が——かすれた。火が揺れた。薪が崩れる音がした。


 沈黙が落ちた。焚き火が爆ぜる音だけが響いた。


「——レオンハルトはパーティを解散した。自分のせいだと。自分の完璧主義が仲間を追い詰め、殺したと。エーリカとカイルは別のパーティに移った。俺は止めたが——あいつの目を見て止められなかった。何を言っても届かない目をしていた。あいつは騎士団に入った。俺は故郷に帰った。それが——十五年前だ。この村に帰って——剣を置いた。冒険者を辞めた」


 健悟は黙って聞いていた。言葉が見つからなかった。しかし——胸の奥で、何かが共鳴していた。国交省の廊下を思い出した。深夜三時のオフィス。蛍光灯の下で青白い顔をした部下たち。「土師さん、もう限界です」と言った若手がいた。「仕事の質が落ちるぞ」と自分は答えた。正論だった。正論で——人を潰した。


「完璧を求めて自分も周りも壊す。——僕もやっていました」


 ガルドが健悟を見た。


「前の世界での話です。年間三千二百時間の残業。部下にも同じ水準を求めていた。『仕事の質のためだ』と。『国民の安全のためだ』と。正論だと思っていた。正論を盾にして——自分も部下も追い込んだ。結果——僕は過労で倒れて死にました。部下は何人も辞めていった。それでも——止められなかった。止まることが怖かった」


「……似ているな。お前とレオンハルトは」


「ええ。レオンハルトさんと——僕は同じ病気だったんだと思います。正しいことをしている確信が——周りを見えなくする病気です」


 ガルドが短く笑った。苦い笑いだった。


 ガルドが長い息を吐いた。白い息が夜気に溶けた。


「だからお前は——この世界で変わろうとしているのか」


「変わりたいと思っています。あの世界では変われなかった。死ぬまで——止まれなかった。でもここでは違う。完璧な設計より——みんなが動ける設計のほうが、結果は良くなる。七割の堤防が洪水を止めたように」


「七割か。——あの堤防を七割と呼ぶのか。俺には十分に見えたが」


「設計上は七割です。でも——みんなの手で三割を埋めた。ガルドさんが体で止め、ドラガが急速硬化を配合し、リーゼが村人を指揮した。残りの三割は——仲間が埋めてくれた」


 ガルドが空を見上げた。星が見えた。焚き火の煙が星を遮る。しかし——風が煙を払えば、また星が現れる。


「健悟。お前の作戦を聞かせろ。——力押しじゃない、お前のやり方を」


「岩狼の巣を《万象鑑定》で分析して、構造的な弱点を見つけます。換気口を塞いで煙を焚き込めば、居住性を奪える。巣を壊すのではなく——住めなくするんです。追い出された岩狼は、縄張りの外に移動する。戦闘は最小限で済む」


「面白い。——力を使わずに勝つのか」


「勝ち負けではなく、目的の達成です。目的は街道を通すことであって、魔物を全滅させることではない。追い出せれば十分です」


「問題は——巣に近づく必要があることです。鑑定の射程は短い」


「だから俺がいる」


 ガルドが立ち上がった。剣を腰に差した。焚き火の向こうで、元冒険者の目が——久しぶりに輝いていた。


「明日の朝、日が昇る前に出発する。トビアスと自警団の二人も連れていく。——寝ろ。睡眠を削るのは禁止だ。お前の悪い癖だからな」


「ガルドさんも、でしょう」


「俺は冒険者だ。戦いの前夜に眠れないのは——体質だ。心配するな」


 健悟は詰所を後にした。振り返ると、ガルドが焚き火の前で空を見上げていた。十五年前に失った仲間のことを——考えているのだろうか。それとも——明日からの新しい戦いのことを。


 星空が広い。前世のオフィスの窓から見えた空とは違う。ビルに切り取られた空ではなく——地平線から地平線まで広がる、途方もなく大きな空だ。レオンハルトという名の男がどこかにいる。騎士団に入ったという。ガルドはその名を——十五年間ずっと抱えてきた。忘れることも、許すことも、まだできずに。


 (ガルドさんの傷と、僕の過労死。形は違うが根は同じだ。完璧を求めすぎて壊れた。ここでは——違うやり方をする。七割の力で、仲間と一緒に。明日は魔物の巣を鑑定する。前世では書類の山が相手だったが、今度は岩の牙を持つ獣が相手だ。少しだけ——怖い。しかし隣にはガルドがいる。十五年前に仲間を失った男が——新しい仲間を守ろうとしている。その覚悟に——応えなければ)


 宿に戻る足取りが——少し軽くなっていた。明日が待ち遠しい。

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