測量の日々——定規と鑑定の二刀流
華々しくもなければ、劇的でもない。ただひたすら、地面の高低差を読み、距離を測り、勾配を計算する。国交省時代は外注先のコンサルタントが測量をやっていた。自分は成果品を受け取って図面を確認するだけだった。しかし今は——自分の足で歩き、自分の手で測り、自分の目で確認しなければならない。
旧街道発見から三日後。健悟はトビアスを助手にして、街道予定ルートの測量を開始した。
「健悟さん。この棒、何に使うんですか」
「水準測量用の標尺です。地面に立てて、離れた場所から見通して高低差を読みます」
「……それ、ただの真っ直ぐな棒ですよね」
「真っ直ぐな棒が一番大事なんです」
健悟が自作した測量道具は原始的だった。直線状に削った木の棒に、十センチ間隔で刻み目を入れたもの。水平を出すために、水を入れた透明な管を使う。ドラガに頼んで作ってもらったガラス管だ。「こんな細いものを作れというのか」とぼやきながらも、精密な管を吹いてくれた。《万象鑑定》で高低差を直接読み取ることもできるが、手で触れない距離の地形は目視測量に頼るしかない。スキルは万能ではない。道具と併用して初めて実用になる。
朝霧がまだ残る森の入口で、測量が始まった。空気が冷たい。露に濡れた草が足元を湿らせる。トビアスが標尺を持って先に進む。百メートルごとに棒を立て、健悟が水管で高低差を読む。数字を羊皮紙に書き込む。炭筆の先が潰れる。削り直す。また書く。指先が冷える。息が白い。
この作業を——延々と繰り返す。
「健悟さん。面白くないですね、これ」
「測量は地味です。でも——測量なしに道は作れません。一センチの勾配の違いが、雨水の排水に影響する」
「一センチで?」
「一センチで水は流れる方向を変えます。国交省の道路設計要領では、横断勾配は一・五パーセントから二パーセント——」
「すみません、何を言ってるか全然分かりません」
トビアスが正直に白旗を上げた。健悟は苦笑した。前世でも部下に同じことを言われたことがある。「土師さんの説明、数字が多すぎて頭に入りません」。あの頃は「勉強しろ」と思っていたが、今なら分かる。伝え方が悪かったのは自分のほうだ。
「簡単に言うと——道路の表面に微妙な傾きをつけて、雨水が溜まらないようにするんです。水たまりだらけの道は使えませんから」
「ああ、それなら分かります。うちの前の畑道がいつも水浸しで——」
「それです。勾配がないからです」
トビアスの目が初めて輝いた。自分の生活に結びつくと、理解は早い。
午前中かけて、五百メートルを測量した。旧街道の石畳区間と、新規造成が必要な区間の境目が明確になった。石畳は村から南西に二キロほど続いた後、途切れている。途切れた地点で《万象鑑定》を使うと、石畳の端が不自然に切られていた。自然の劣化ではない。人為的に剥がされた痕跡だ。おそらく——街道付け替えの際に、意図的に破壊されたのだろう。三百年前の政治的判断が、石の断面に刻まれていた。
その先は——森だ。ヴァッサーまで残り八キロ。うち六キロが新規区間だ。
昼食の時間に、マルテが現場に来た。
帳面を片手に、泥道を歩いてきた。足元はブーツだが、裾が汚れるのは構わないらしい。商人の目が、街道の予定ルートを見据えている。
「健悟。これ、完成したら隣町のヴァッサーまで何時間で着くの」
「荷馬車で半日ですね。現在は丸一日以上かかりますが」
「半日——」マルテの目が輝いた。「それなら日帰りで行商できるじゃない。朝出て、商談して、夕方に帰れる」
「そうなりますね」
「輸送コストが半分以下になるわ。今はヴァッサーまで荷物を運ぶのに——獣道を迂回して、渡し船を使って——銀貨三枚もかかるの。街道ができれば荷馬車一台で済む」
マルテの計算は早い。健悟が測量している傍から、経済効果を算出している。帳面にはすでに数字がびっしり書き込まれていた。
「あなた、うちの省にいたら出世してますよ」
「何の省?」
「……すみません。前の世界の話です。マルテさんの計算能力は——僕の知る商人の中でも突出しています」
「お世辞はいいわ。——で、工事費はいくらかかるの」
「概算で——銀貨五百枚。資材費と人件費を含めて」
マルテの顔が固まった。帳面を持つ手が止まった。
「五百枚? この村の年間収入が銀貨二百枚よ。二年半分じゃない」
「だから——外部資金が必要です。ヴァッサーとの共同事業にできれば」
「共同事業——」マルテの目が再び光った。損得勘定が頭の中で高速回転しているのが、見ているだけで分かる。「あっちにもメリットがあるなら——交渉の余地はあるわね。ヴァッサーの商会長の名前、知ってる? イレーネっていう切れ者がいるの」
商人の頭が回転している。損得勘定の先に、村の未来を見ている。
マルテはロッテの娘だ。母親の宿屋を手伝いながら、村唯一の商家として細々と交易を続けてきた。橋が危うかった頃は、渡し船で対岸に渡り、そこから一日がかりで隣町まで歩いた。利益率は雀の涙だった。それでも「商売を止めたら村が死ぬ」と歩き続けた。
その女が——今、銀貨五百枚の投資計画を聞いても、怯むどころか目を光らせている。
午後。ガルドが偵察から戻った。
顔が険しい。泥だらけの外套を脱ぎ、腰の剣に手を置いたまま報告した。
「街道予定ルートの三キロ先。森の中に岩狼の群れがいる。少なくとも八頭」
「岩狼?」
「中型の魔物だ。体長は大型犬ほどだが、一頭なら大したことはない。しかし群れで来ると厄介だ。牙が岩を噛み砕くほど硬い。岩場に巣を作り、縄張りに入った者を集団で襲う。仲間を呼ぶ遠吠えが合図だ——聞こえたら、もう囲まれている」
リーゼが息を呑んだ。
「街道のルート上にいるの? 迂回できないの?」
「ルートを変えれば迂回できますが、五キロ以上遠回りになります。工期と資材が大幅に増える」
ガルドが腕を組んだ。右腕の袖を無意識に押さえている。古傷がある腕だ。冒険者時代に負った傷。天候の変化や——戦いの気配を感じると疼くのだろう。
「岩狼の掃討は可能だ。俺とトビアス、自警団の精鋭で——ただし準備がいる。奴らの巣の構造を把握して、逃げ道を塞いでから一気に叩く」
「力押しですか?」
「力押しが一番確実だ」
健悟は考え込んだ。力押し——正面突破。国交省時代の用地買収と同じだ。金と時間と人員を投入して、障害を排除する。しかし——もっと効率的な方法はないだろうか。インフラ屋の戦い方が。
「ガルドさん。巣の構造を——《万象鑑定》で調べてみませんか」
「鑑定? 魔物の巣を?」
「巣も構造物です。入口、通路、居室、換気口——建築的な構造があるはずです。構造を把握すれば、戦わずに追い出す方法が見つかるかもしれない」
ガルドの眉が上がった。
「……面白い発想だな。しかし危険だ。近づかなきゃ鑑定できないだろう」
「だからガルドさんが必要なんです。僕が鑑定する間、護衛をお願いします」
ガルドが短く笑った。武骨な笑みだ。
「文官の護衛なんぞ——冒険者時代にもやったことがないぞ。金にならん仕事だ」
「初めての経験です。お互いに」
ガルドが背を向けて歩き出した。しかし三歩目で振り返った。
「明後日の朝、出発する。それまでに——お前の鑑定で何が分かるか、整理しておけ。無駄な時間は作りたくない」
「了解です」
ガルドの後ろ姿が森の方角に消えていく。元冒険者の背中だ。仲間を率いて魔物と戦っていた頃の背中が——今、村を守る自警団長として蘇ろうとしている。
夜。ロッテの宿で、四人が地図を囲んだ。健悟、リーゼ、ガルド、マルテ。測量データと偵察情報を重ね合わせ、街道計画の全体像を描く。
課題は三つ。資材の確保。魔物の排除。そして——人手の不足。村の男衆は堤防補修にまだ手を取られている。街道工事に回せる人員は限られていた。橋と堤防の時は村内の問題だった。街道は——村の外に出る事業だ。規模が違う。
「マルテ。ヴァッサーから人を借りることは可能ですか」
「交渉次第ね。でも——タダでは貸してくれないわ。何か対価が必要よ」
マルテの目が帳面の数字を追っている。計算している。交渉のカードを。マルテの炭筆が羊皮紙の上を走る音が、静かな食堂に響いている。
ロッテが温かい薬草茶を持ってきた。「難しい顔してるね、あんたたち」。四つの茶碗を置いて、ロッテは厨房に戻った。背中が少し丸くなっている。年齢だ。しかしその背中は——誰よりも頑丈に見えた。
リーゼが窓の外を見た。星空だ。
「道を作るって——思ったより大変なんだね」
「橋より大変です。距離がある分だけ——問題も多い」
「でも——やるんでしょ?」
「やります。問題がある。解決しましょう」
いつもの台詞だ。しかし——リーゼはもう笑わなかった。代わりに、力強く頷いた。亜麻色の髪が揺れた。村長の顔だった。
薬草茶が冷めていた。四人とも——飲むのを忘れていた。地図の上の炭筆の線が、未来への道に見えた。まだ描きかけの線だ。岩狼が待ち、予算が足りず、人手が足りない。しかし——確かに、この線の先に道が生まれる。三百年ぶりの道が。




