防壁の試練——押し寄せる第二波
ガルドは防壁の上に立っていた。見張り台から南東の森を睨んでいる。右手に剣。左手で防壁の縁を掴んでいる。冷たい風が防壁の上を吹き抜けている。マギクリートの白い壁が——午後の日差しを受けて眩しく光っていた。防壁の内側では、リーゼが住民を集会所に誘導している。避難民を含めて二百五十人以上。全員の顔を見ながら「大丈夫、防壁がある」と声をかけていた。
最初の波は六体だった。灰色の毛皮に覆われた獣型魔物。フィンケンを襲ったのと同じ種だ。森の奥から一列になって走ってきた。速い。犬より速い。しかし——防壁の前で立ち止まった。壁に体当たりする個体が二体。マギクリートの壁が衝撃を受けて——微かに震えた。しかし——崩れない。
ガルドが壁の上から剣を振り下ろした。一体の頭蓋を砕いた。返す刀で二体目の首を断った。三体目がガルドの足元に飛びかかった。ヴォルフの槍が横から突き刺さった。
「遅い」ガルドが低く言った。
「文句を言うな。二十年前はもっと遅かったぞ」ヴォルフが槍を引き抜いた。血が壁を伝って流れる。
残りの三体が——壁に沿って走り始めた。壁の端を回り込もうとしている。ガルドが壁の上を走った。大柄な体が——信じられない速度で壁の端に到達し、飛び降りざまに一体を斬った。
第一波。六体。処理時間——三分。壁の外に六つの死骸。血の匂いが風に乗って防壁の内側にまで漂ってきた。鉄錆に似た、重い匂い。
「軽いな」ヴォルフが槍の穂先を布で拭きながら呟いた。
「これで終わりじゃない。偵察だ。群れの先遣だろう」ガルドの目が森の暗がりを射るように見ている。冒険者時代の経験が——体に染みついている。「——来るぞ」
第二波は——十二体だった。第一波の倍。しかも——種類が違う。甲殻を持つ虫型の魔物が混じっている。剣が通りにくい。ガルドの最初の一撃が甲殻を滑った。火花が散った。
「面倒な奴が来やがった」
健悟は通信塔の制御室の窓から防壁の状況を見ていた。窓越しに防壁の白い壁面が見える。魔物が体当たりするたびに、微かな振動が建物まで伝わってくる。《万象鑑定》を発動した。青い構造線が防壁の全体を覆う。
【防壁構造健全度: 94%】
【衝撃吸収余力: 残り87%】
【応力集中点: 南東角、接合部に微小亀裂】
防壁は持っている。第二世代マギクリート——圧縮強度が従来比十二倍の超高強度建材が、魔物の体当たりを跳ね返している。ドラガとフェリスの共同開発が実を結んでいた。しかし南東角の接合部に微小亀裂が検出された。壁本体ではなく、パネル同士の接合部だ。繰り返しの衝撃で——亀裂が拡大する可能性がある。前世のコンクリート構造物でも、接合部が最大の弱点だった。
「トビアスさん。南東角の接合部に亀裂が出ています。補強してください」
トビアスが建設班の三人を連れて走った。マギクリートの補修材を担いでいる。戦闘中の防壁を——戦闘中に修繕する。前世では考えられない光景だ。しかしここでは、建設と戦闘が同時に起きる。
トビアスが亀裂にマギクリートを充填した。手際が良い。建設班の棟梁として何百回と繰り返した作業だ。ただし——目の前で魔物が壁を叩いている状況は初めてだった。壁が揺れるたびに——充填材が跳ねる。
「揺れるな! 固まるまで持ってくれ!」トビアスが壁に向かって叫んだ。壁に向かって怒鳴る大工。状況は異常だが——トビアスの手は正確だった。鏝でマギクリートを押し込む。均す。表面を整える。建設班の若い二人がトビアスの両脇で壁板を支えている。魔物が壁を叩くたびに全員が揺れる。それでも——手は止めない。
「あと三十秒——硬化が始まるまで持たせるぞ!」
マギクリートが白く固まり始めた。魔法石粉の結晶が硬化の過程で微かに光る。青白い光。フェリスの魔力パルスで均一分散された結晶が——壁の内部で輝いている。ドラガの建材が——戦場で命を守っている。
ガルドとレオンハルトが——並んで戦っていた。防壁の上で背中合わせに立ち、左右から来る魔物を迎撃している。ガルドの剣が左を薙ぎ、レオンハルトの長剣が右を突く。二十年前のパーティ時代のように——呼吸が合っている。
「昔みたいだな」レオンハルトが剣を振るいながら言った。
「昔より——守るものが多い」ガルドの声に力があった。
第二波を凌いだ。十二体中、壁を越えた個体はゼロ。ガルドとレオンハルトで八体。ヴォルフと自警団で三体。最後の一体は——助走をつけて壁に突進し、そのまま自滅した。マギクリートの硬度が、魔物の甲殻ごと頭蓋を砕いた。壁面に放射状の血痕が残った。
ガルドが息を整えた。額に汗が光っている。大柄な体が——僅かに肩で息をしていた。十二体を相手に連続で剣を振るった代償だ。四十五歳の体は——二十代の時ほど回復が早くない。
健悟が《万象鑑定》で確認する。
【防壁構造健全度: 89%】
【南東角接合部: 補修済み、健全度92%】
五ポイント下がった。まだ余裕はある。しかし——第三波が来れば、さらに削られる。防壁の耐久力は無限ではない。
フェリスが制御室に走り込んできた。琥珀の瞳が緊迫していた。
「古代プロトコル信号が急加速しています。第三段階に移行しました。エネルギー出力が——跳ね上がっています」
「跳ね上がって——どのくらい」
「臨界値の八十三パーセント。二時間前は七十六でした。上昇が加速しています。このペースだと——次の波は、さっきの倍以上の規模になる可能性があります」
倍以上。二十四体以上の魔物が——防壁に押し寄せる。ガルドとレオンハルトが壁の上で戦い続けられる時間には限りがある。体力の問題だ。前世で残業時間が限界を超えた時と同じ——人間の体は消耗する。どんなに強い剣士でも、筋肉の疲労は蓄積する。魔物は——次から次へと、疲労を知らずに湧いてくる。
健悟は防壁の構造データを見直した。弱点は接合部。魔物が同じ箇所を繰り返し叩けば、いずれ突破される。しかし——魔物は防壁の薄い区間を狙い撃ちにしているようだった。まるで弱点を「鑑定」されているかのように。
通信塔に報告が入った。フェルゼンの通信塔から。
「フェルゼン。こちらでも魔物の接近を確認。自警団が迎撃態勢。——数が多い。三十体以上の群れが北西から接近中」
三十体。フェルゼンの自警団では——持ちこたえられない。レオンハルトの配置した騎士がいるが、五騎だ。五騎で三十体は厳しい。
「レオンハルト副団長に——フェルゼン方面の増援を」健悟が通信塔に向かって叫んだ。
ガルドが防壁の上から振り返った。血に塗れた剣を下げたまま——健悟を見た。
「行くな。ここの防衛が薄くなる」
「しかしフェルゼンが——」
「フェルゼンは騎士と自警団で凌げ。ここは——俺たちが守る。全部は守れん。優先順位をつけろ。お前が一番得意なことだろう」
優先順位。前世の国交省で、予算配分のたびにやった作業だ。どの道路を先に直すか。どの橋を先に補強するか。全てを同時にはできない。資源は有限だ。人も有限だ。
健悟は地図を見た。被害の大きさ、防衛力、街道の接続状況。全てを数字に変換する。感情ではなく——数字で判断する。
「フェルゼンは自力で持ちこたえてもらいます。騎士五騎と自警団で——三十体なら、防壁があれば凌げる。ハルベルトの防衛力を分散させるわけにはいかない」
ガルドは何も言わなかった。ただ頷いた。優先順位をつけることの残酷さを——この男は知っている。冒険者時代、全員を助けられなかった経験がある。
その判断は——正しかったのかもしれない。しかし正しさが——喉に刺さった。フェルゼンの自警団長の顔が浮かんだ。「通信塔で声が届くので前より落ち着いている」と言っていた男だ。声は届けた。だが剣は送れない。
声は届く。しかし——兵は送れない。通信塔の限界がそこにあった。情報は伝わる。だが情報だけでは、魔物は止められない。インフラは命を繋ぐ。しかし命を守るのは——最後は人の手だ。剣を振るう手。壁を直す手。スープを作る手。全てが噛み合わなければ——一つの命も守れない。
日が暮れた。魔力灯が防壁沿いに点灯した。フェリスの設計した三十二基の街灯が——戦場を照らしている。魔物は暗闇から来る。光があるだけで——迎撃の精度が上がる。平時の街灯が、戦時の探照灯になっていた。
防壁の外で魔物の唸り声が——低く、遠くから近づいてきた。複数だ。十体。二十体。数えきれない。地面を踏む足音が——大地を震わせている。第三波が来る。
ガルドが壁の上で剣を構えた。右腕の古い傷痕が——魔力灯の青白い光の中で浮かび上がっていた。二十年前、仲間を守れなかった夜の傷。今夜——同じ失敗は繰り返さない。
レオンハルトが隣に立った。長剣の切っ先が下を向いている。静かだが——体から滲む殺気が空気を張り詰めさせていた。
「第三波だな。——最大で三十体以上の群れか」
「それくらいは来るだろうな。しかし——壁がある。壁の上には俺がいる。それで十分だ」
闇の中から——無数の光る目が、魔力灯の光を受けて近づいてきた。
「来い。——この壁は、俺たちが守る」




