初の長距離通信——声は辺境を越える
フェルゼン村。ハルベルトの北東、街道沿いに五時間の距離にある小さな集落だ。人口は四十人足らず。しかしこの村は——辺境北東部への街道の結節点にあたる。ここに通信塔を置けば、北東の孤立集落群をカバーできる。
トビアスの建設班が基礎工事を担当し、ドラガのマギクリート柱が塔の骨格を形作り、フェリスが頂部の通信術式を刻んだ。工期は八日。ハルベルトの一基目より二日短い。経験が工期を縮める——前世の建設業界でも同じだった。
「通信術式の調整、完了しました」
フェリスが塔の頂部から降りてきた。銀髪が秋の風にたなびいている。琥珀の瞳に——達成感と緊張が入り混じっている。
「テストしましょう」
健悟が通信塔の制御盤に手を置いた。ハルベルトの塔まで直線距離で約三十キロ。魔法通信の有効範囲は——フェリスの計算では四十キロ。余裕はあるはずだ。
しかし計算通りにいかないのが——現場というものだ。
「ハルベルト、こちらフェルゼン。聞こえるか。応答を求む」
制御盤から——ノイズが返ってきた。ザー、という砂嵐のような音。声ではない。ただの雑音だ。フェルゼン村の住民たちが遠巻きに見守っている。期待と不安が入り混じった顔だ。
「信号が減衰しています」フェリスが制御盤の数値を読んだ。「出力の四割が途中で失われている。これでは——音声信号を維持できません」
「原因は?」
「地形でしょう。ハルベルトとフェルゼンの間に——丘陵地帯があります。直線では届いても、地形の起伏が信号を遮っている可能性があります」
健悟は《万象鑑定》を発動した。通信塔の信号が放射される方向に——青い線が空中を走る。
【魔法通信信号:発信強度100%】
【中継地点推定:丘陵B地点で信号屈折】
【受信地点到達推定:38%(通信不可閾値以下)】
【信号減衰主因:標高差による魔力拡散】
「やはり地形の影響です。丘陵の頂部で信号が拡散している。——中継高度を上げれば回避できるかもしれない」
「中継高度?」フェリスが首を傾げた。
「信号の発射角度を変えるんです。低い角度で水平に飛ばすと丘陵にぶつかる。もっと急角度で上空に飛ばして——成層圏とは言わないまでも、丘陵を越える高度で中継させる」
(前世の携帯基地局と同じ原理だ。ビルの谷間では電波が届かない。だから基地局を高い位置に設置し、電波の発射角度を最適化する。国交省時代に——通信インフラの基盤整備計画に関わったことがある。あの時の知識が、まさかこんな形で使えるとは)
フェリスが術式の調整に入った。通信術式の発射角度を——水平から上方十五度に変更する。細い指が制御盤の上で魔法陣を描き直していく。
「調整完了。——二度目のテストを」
「ハルベルト、こちらフェルゼン。応答を求む」
ノイズが減った。しかし——まだ声は聞こえない。かすかに何かが混ざっている気はするが、音声として判別できる水準ではない。
「減衰率が二十八パーセントまで改善しました。あと少しです」フェリスの声に力がこもった。
健悟は《万象鑑定》を再度発動し、信号の軌跡を追った。上方に飛ばした信号は丘陵を越えている。しかし——受信側での角度が合っていない。ハルベルトの塔の受信術式が水平方向からの信号を想定しているため、上空からの信号を十分に捉えられていないのだ。
「受信側の問題です。ハルベルトの塔の受信角度も調整が必要だ。——フェリスさん、ハルベルトの塔に遠隔で術式修正を送れますか」
「微弱ですが通信は繋がっています。術式パルスなら——データ量が少ないので届くはずです」
フェリスが制御盤に集中した。琥珀の瞳が魔力の光を帯びる。微弱な通信回線を使って——ハルベルトの塔に受信角度の修正データを送信する。
三分後。
「修正完了の応答がありました。——三度目を」
健悟が深呼吸した。フェルゼン村の住民たちが——息を呑んで見守っている。村長の老人が杖に両手を置き、祈るように目を閉じている。
「ハルベルト、こちらフェルゼン。聞こえるか」
沈黙。一秒。二秒。三秒——。
そして——声が返ってきた。
「——こちらハルベルト。フェルゼン、感度良好。聞こえています」
ザインの声だった。若い文官の声が——通信塔の制御盤から流れ出した。三十キロの距離を超えて。丘陵地帯を越えて。魔法の信号が——人の声を運んだ。
フェルゼン村の広場が——一瞬、静まり返った。
そして——歓声が上がった。
「繋がった!」「声が聞こえたぞ!」「ハルベルトの声だ!」
村人たちが互いに抱き合い、子供たちが跳ね回っている。村長が杖を握ったまま——涙を流していた。
「わしらの声が——あんな遠くまで届くのか。魔法の伝書鳩じゃ」
トビアスが横で大きな体を揺すって笑った。
「魔法の伝書鳩か! いい名前だ! ただし——こいつは餌がいらねえ。糞もしない!」
建設班の職人たちがどっと笑った。十日間の工事の疲れが——笑いと共に溶けていく。
健悟は——笑いながらも、別のことを考えていた。
(前世の光ファイバー網。日本列島を縦断する通信インフラ。あれを整備するのに何十年かかった。衛星通信、海底ケーブル、地上基地局——膨大な投資と技術の積み重ね。ここでは魔法という技術基盤がある分、展開は速い。しかし原理は同じだ。信号の減衰、地形の影響、中継の必要性。三千年前の古代文明も、前世の日本も、この辺境も——通信インフラの課題は変わらない)
フェリスが制御盤のデータを記録していた。
「信号強度、減衰率、角度補正値。全て記録しました。次の通信塔ではこのデータを基に——最初から最適な角度で設計できます」
「PDCAサイクルですね」
「ぴーでぃー——?」
「計画、実行、検証、改善の循環です。前世の——いえ、以前学んだ管理手法です」
フェリスが小さく頷いた。
その日の夕方。通信塔が最初の実用通信を受信した。
南部の監視拠点からの緊急通報だった。「街道南西三キロ地点で魔物の群れを確認。推定十五体。住民に被害なし。移動方向は北東」。
ガルドが報告を聞いた瞬間、立ち上がった。椅子が軋む音が詰所に響いた。
「自警団第二班、出動。南西街道の合流地点で迎撃する」
命令から——出動まで、十五分。以前なら——伝令が走って半日、対応にさらに半日かかっていた。通信塔がなければ、魔物の群れが村に到達してから初めて存在を知ることになる。半日が——十五分になった。
翌朝。自警団が帰還した。魔物の群れは街道の合流地点で迎撃され、被害はゼロだった。
ガルドが健悟の前に立った。右腕の傷痕を無意識にさすっている。
「半日が——一時間になった。いや、もっと短い。通報を受けてから現場に着くまで四十五分だ。冒険者時代でも、こんな速さで動けたことはない」
「通信塔がなければ——」
「通報自体が来ない。群れが村に着いてから、逃げてきた住民が知らせに来る。その頃には——手遅れだ」
ガルドの声に——感情が滲んでいた。冒険者時代に——手遅れの現場を何度も見てきたのだろう。
「道が人を運び、塔が声を運ぶ。——お前の言った通りだ、健悟」
通信塔の丘に夕日が沈んでいた。青白い光が——夕焼けの中で静かに灯っている。一基目のハルベルト、二基目のフェルゼン。あと三基。辺境全域をカバーするには——あと三基の通信塔が必要だ。
健悟は制御室で通信記録を整理していた。今日のテスト通信と緊急通報のログ。信号強度のデータ。角度補正値の記録。全て——次の通信塔の設計に活かすデータだ。折り畳み定規でグラフの軸線を引き、数値をプロットする。前世の報告書と同じ作業だが——ここでは紙と魔法ペンだ。それでも、データは嘘をつかない。
その時。制御盤が——かすかに震えた。
フェリスが即座に振り返った。琥珀の瞳が鋭くなっている。
「健悟さん。——今の信号、気づきましたか」
「はい。通常の通信信号ではない。何か——別のパルスが混じっていた」
「古代の通信プロトコルです。以前、遺構の壁面で検出したものと同じ波形パターン。——通信塔が受信しています。誰かが送ったのではなく——地脈から自然に発生している信号です」
フェリスが通信記録を図示した。規則的なパルスのパターンが——古代文字に酷似した波形を描いている。
「これは——意味のある信号ですか」
「分かりません。しかし——規則性がある以上、ランダムなノイズではありません。何かが——何かに向けて、信号を送っている」
健悟は《万象鑑定》を制御盤に向けた。
【異常信号:古代通信プロトコル(推定)】
【発信源:北東方向・距離推定不能】
【信号強度:微弱(通常通信の0.3%)】
【パターン:周期的パルス(間隔4.7秒)】
北東方向。古代遺構がある方角だ。地盤異常の圧力が来ていた方角と——一致する。
フェリスと目が合った。琥珀の瞳に——知的好奇心と、底知れない不安が同居していた。
「引き続き——監視を続けましょう」
「はい。——ただ、嫌な予感がします」
通信塔の光が——夜空に浮かんでいる。人の声を運ぶために作った塔が——人ならざるものの声も拾い始めていた。




