血と泥の因縁——ガルドの告白
ブルンネン村への街道修繕工事。ハルベルトから南西に延びる街道の——最初の五キロ区間。路面のひび割れを補修し、排水溝を掘り、橋脚の基礎を固める。トビアスの建設班とレオンハルトの工兵隊が——並んで作業している。
問題は——指揮系統だった。
トビアスは建設の棟梁として——作業の段取りを決める。レオンハルトは工兵隊の指揮官として——部下の安全と効率を管理する。二つの指揮系統が——一つの現場に存在している。
「ここの排水溝は深さ五十センチで掘れ」トビアスが指示した。
「待て。この地盤では五十センチは浅い。七十センチにすべきだ」レオンハルトが異を唱えた。
「七十センチにしたら工期が二日延びる」
「工期より安全だ。雨が降れば——五十センチでは溢れる」
二人の視線がぶつかった。トビアスの目には——棟梁の意地がある。レオンハルトの目には——軍人の判断がある。どちらも間違っていない。
健悟が間に入った。《万象鑑定》を発動し、地盤の透水性を測定する。
【地盤透水性:中程度(砂質土)】
【想定最大降雨量:50mm/h】
【排水溝必要深さ:60cm(安全率1.2)】
「六十センチで十分です。安全率を一・二確保した上で——工期も抑えられる。前世の下水道設計基準に準拠した計算です」
トビアスとレオンハルトが——同時に健悟を見た。数字には——文句のつけようがない。二人とも——渋々頷いた。
しかし——緊張は続いた。ガルドが現場の周囲を警備している。元冒険者は——森の気配を読むのが巧い。魔物の接近を早期に感知できる。しかしレオンハルトの工兵隊にも——偵察担当がいる。二つの警備体制が——重複している。
若い工兵の一人が——昼休みにガルドに話しかけた。二十歳前後の、まだあどけなさが残る顔の青年だ。
「ガルドさん——ですよね。元冒険者の」
「ああ」
「あの——失礼なことを聞いてもいいですか。冒険者を辞めた理由って——」
周囲の空気が——一瞬で冷えた。工兵隊の他の隊員が——緊張した顔で若者を見ている。ガルドの右腕の傷痕が——陽光の下で白く浮き上がっている。
「……辞めたんじゃない。続けられなくなった」
ガルドはそれだけ言って——森の方に歩いていった。若い工兵は——自分が何に触れたのか分からない顔をしている。レオンハルトが無言で部下の肩を叩き、首を振った。「聞くな」という合図だ。
健悟は——ガルドの背中を見ていた。大きな背中だ。しかし——あの背中が一瞬だけ、小さく見えた。
夕方。作業が終わり、現場に焚き火が起こされた。建設班と工兵隊が——同じ火の周りで夕食を取る。ロッテが大鍋で煮込んだスープを運んできた。焼きたてのパンの匂いが——森の夕闇に広がる。
エミルが夕食を配って回っていた。十歳の少年は——ガルドの手伝いとして現場についてきている。小さな体で大鍋のスープをよそい、一人ひとりに器を渡す。
「はい、どうぞ」
レオンハルトにも器を渡した。金色の髪の騎士団副団長は——少年を見下ろして、短く礼を言った。
「ありがとう。——お前、名前は」
「エミルです。ガルドさんに——世話になってます」
「ガルドに——か」
レオンハルトの目が——一瞬だけ、何かを考える色を帯びた。しかし——すぐにスープに視線を落とした。
深夜。健悟が焚き火の番をしていると——ガルドが来た。
大柄な元冒険者は——焚き火の反対側に座った。右腕の傷痕が——炎に照らされている。十五年前の傷。冒険者時代の最後の日に——刻まれた傷。
「健悟」
「はい」
「……昼の若造の質問。——気にしてないぞ」
「気にしていたように見えましたが」
ガルドが——苦笑した。苦笑というより——自嘲に近い。
「十五年前だ。俺は——パーティのリーダーだった。四人のパーティ。戦士が俺、魔法使いが一人、弓使いが一人、盗賊が一人。——良いパーティだった」
健悟は黙って聞いた。焚き火の薪がぱちぱちと爆ぜている。
「Aランクの依頼を受けた。地下迷宮の深層探索。——調子に乗っていた。連続成功で——自分たちは負けないと思っていた。しかし——深層で罠にかかった。天井崩落。脱出路を塞がれた。三日間——閉じ込められた」
ガルドの声は——淡々としていた。感情を殺しているのではない。何度も語り直して——もう感情が擦り切れたのだ。
「俺だけ生き残った。この傷はその時のもんだ。崩落した岩を——素手で掘った。三人の仲間は——掘り出した時には、もう冷たくなっていた」
長い沈黙が落ちた。焚き火の炎が——ガルドの顔を赤く照らしている。傷痕が——影を落としている。
「俺は——あの時から、パーティを組めなくなった。人の命を預かるのが——怖くなった。だから冒険者を辞めた。辞めたんじゃない——逃げたんだ」
「逃げてない」
健悟の声は——静かだった。しかし——確かだった。
「ガルドさん。逃げた人間は——もう二度と戦わない。しかしあなたは——ハルベルトの警備隊長を引き受けた。町の人間の命を預かっている。エミルを引き取って育てている。南部の孤立村に——一番最初に走っていったのもあなただ。それは——逃げた人間の行動ではない」
ガルドが——健悟を見た。
「健悟。お前は——どうなんだ。前世で何があった」
「俺も——人を守れなかった」
健悟は焚き火を見つめた。炎の揺れが——前世の記憶を呼び起こす。
「橋梁の点検報告書を書いた。老朽化が進んでいて——補修が必要だと。しかし予算がつかなかった。三ヶ月後——その橋で事故が起きた。コンクリート片が落下して——下を歩いていた人が負傷した。命に別状はなかったが——俺は自分を許せなかった」
「予算がつかなかったのは——お前のせいじゃないだろう」
「報告書の書き方が悪かったのかもしれない。もっと強く訴えていれば——予算がついたかもしれない。もっと早く対策を講じていれば——事故は防げたかもしれない。——『かもしれない』が、ずっと頭から離れなかった」
健悟は折り畳み定規を取り出した。前世から持ってきた唯一の道具。金属の表面に——焚き火の光が映る。
「だから——壊れない橋を作る。壊れないインフラを作る。前世で防げなかったものを——この世界では防ぐ。それが——俺がここにいる理由です」
ガルドが——長い間、健悟を見ていた。焚き火の向こうから。大きな男の目に——何かが揺れている。共感か。理解か。あるいは——安堵か。
「……変な奴だな、お前は」
「よく言われます」
「褒めてるんだよ」
ガルドが——笑った。自嘲ではない笑みだ。十五年ぶりに——重荷を少しだけ降ろしたような、そんな顔だった。
翌朝。現場が動き出した。朝霧が街道に低く垂れ込め、作業員たちの吐く息が白い。
ガルドとレオンハルトが——並んで立っていた。二人の間に——昨日までの緊張がない。何が変わったのか——健悟には分からない。夜のうちに二人が言葉を交わしたのか。あるいは——言葉なしに通じるものがあったのか。しかし——二人の距離が確かに縮まっていた。
「ガルド。西の森に獣道がある。偵察を頼めるか」
「ああ。——ヴォルフを連れて行く。午前中に戻る」
短い会話だ。しかし——自然だった。命令ではなく、依頼。上下関係ではなく、役割分担。レオンハルトは——現場での連携の仕方を心得ている。ガルドも——協力を拒まなくなっている。
昼前。マルテが馬車で到着した。荷台に——大量の物資を積んでいる。
「イレーネから——物資の供給よ。ヴァッサーの商業ネットワークと接続する話が進んでいるわ。イレーネも——この計画に乗り気よ」
「マルテさんの交渉力のおかげです」
「交渉力じゃないわ。数字よ。あんたの提案書の数字が——説得力を持っているの。商人は数字で動くのよ」
マルテがそろばんを弾きながら——物資の検品を始めた。健悟は設計図を広げ、午後の作業を指示した。
通信塔第二号基の基礎工事が——ブルンネン村の北端の丘で始まった。ハインツが石を積み、クルトが木材を組む。レオンハルトの工兵隊が土を掘る。ガルドが周囲を警備する。全員が——自分の持ち場で、自分の仕事をしている。
健悟は丘の上に立ち——辺境の風景を見渡した。南西にブルンネン村の麦畑。北東にハルベルトの通信塔の光。その間を——新しい街道が繋ごうとしている。
(前世の最後の日——国交省のデスクで、書類の山に埋もれて死んだ。誰にも看取られず、蛍光灯の下で。この世界では——現場に立って、風を感じている。土の匂いがする。汗の匂いがする。人が動いている音が聞こえる。書類も大事だ。数字も大事だ。しかし——最も大事なのは、現場だ。道は現場で作る。橋は現場で架ける。人の暮らしは——現場で変わる)




