提案書——数字で語る未来図
健悟は庁舎の執務室に籠もっていた。机の上に——羊皮紙の山。地図、計算表、資材リスト、工期見積り。三村との合意書の写し。通信塔の設計図の縮小版。全てを一つの提案書にまとめる作業だ。
ザインが対面に座っていた。若い文官は——几帳面に帳面を整理しながら、健悟の作業を見守っている。
「健悟さん。提案書の宛先は——ヴェルナー伯爵閣下です。形式が重要です」
「分かっています。前世でも——上に提案を通す時は、形式が命でした」
国交省時代。予算要求書を書く時のルールは厳密だった。数字の根拠を明確にし、費用対効果を定量的に示し、リスクとその対策を明記する。感情論は排除する。政治家を動かすのは——情熱ではなく数字だ。伯爵も同じだろう。領主は——投資の見返りを知りたい。
「まず——現状分析から」
健悟は《万象鑑定》で集めたデータを整理した。辺境伯領の現状。交易路の総延長、通行可能率、年間交易量、税収額。全て鑑定で数値化できるものは数値化し、推計が必要なものはマルテの帳面から引用した。
【辺境伯領交易路:総延長約280キロ】
【通行可能率:72%(残りは未整備または損壊)】
【年間交易量:推定4,200トン(マルテ推計)】
【交易税収:年間約1,800金貨(ザイン算出)】
「通行可能率が七十二パーセント——つまり、三割近い交易路が使えない状態です。これを九十パーセントに引き上げれば——」
「交易量が増加します」ザインが計算を始めた。「通行可能率と交易量の関係は——過去三年のデータから回帰分析できます。通行可能率が一パーセント上がるごとに——交易量は約二パーセント増加しています」
「つまり——通行可能率を七十二パーセントから九十パーセントに上げれば、交易量は約三十六パーセント増加する。交易税収も同比率で増える計算です」
ザインの目が光った。文官の顔だ。数字に反応する目。
「年間税収が——約六百五十金貨の増加になります。これは——」
「建設費用の回収に——何年かかりますか」
ザインがそろばんを弾いた。ザインもそろばんを使う。マルテから教わったらしい。
「総工事費の概算が四千金貨とすると——約六年で回収できます。七年目以降は純増です」
「六年。——前世の公共事業としては、かなり良い数字だ。一般的にはB/C比が一以上——つまり、投資額以上の便益が得られれば事業として成立する。この計画のB/C比は——」
健悟は計算した。便益は交易税収増加だけではない。災害対応コストの削減、通信による行政効率の向上、軍事的な情報伝達速度の改善。全てを金額に換算して積み上げる。
「B/C比は一・八。投資額の一・八倍の便益が得られる計算です」
「素晴らしい数字です」ザインが頷いた。しかし——表情が引き締まった。「ただし——伯爵に提案する前に、一つ確認すべきことがあります」
「何ですか」
「領議会の保守派です。ヴェルナー伯爵は改革に前向きですが——領議会には旧来の利権を守りたい貴族たちがいます。新しい交易路は——既存の利権構造を変えます。特に——中間業者の排除に繋がる可能性がある。彼らが反対すれば——伯爵も動きにくくなります」
健悟は——前世の記憶と重ねた。国交省の予算要求も——省庁内の調整だけでは足りなかった。関連業界団体、地方自治体、与党の部会。全てのステークホルダーに根回しが必要だった。ここでも——同じだ。
「提案書の構成を——変えましょう」
「どのように」
「『ハルベルト周辺のインフラ整備計画』ではなく——『辺境伯領全体の税収増加計画』として再構成します。保守派が気にするのは自分たちの利権が侵害されることです。逆に——利権が拡大すると示せれば、味方にできる」
ザインの目が鋭くなった。
「なるほど——辺境伯領の全貴族に恩恵がある形にする。交易路の整備で——辺境全域の交易量が増え、全ての領地の税収が上がる。既存の利権は——侵害されるのではなく、拡大される」
「その通りです。パイ全体を大きくすれば——誰の取り分も減らない。前世では——そういう提案の仕方を『拡大均衡』と呼んでいました」
提案書を一から書き直した。健悟は魔法ペンを握り、羊皮紙に向かった。前世では——パソコンの画面に向かっていた。エクセルとパワーポイント。今は羊皮紙と魔法ペン。道具は変わったが——やっていることは同じだ。データを集め、分析し、論理を組み立て、説得力のある文書にまとめる。官僚の本質的な仕事だ。
ザインが淹れた茶を啜りながら、構成を練る。茶は苦い。しかし頭が冴える。前世のコーヒーと同じ役割を果たしている。
第一章——辺境伯領の現状と課題。数字で示す。交易路の損壊率、災害対応の遅延、通信手段の不在。全て鑑定データに基づく客観的事実。
第二章——統合インフラネットワーク計画の概要。街道ネットワーク、通信塔、地脈動力。技術的な詳細は別紙に回し、本文では効果を強調。
第三章——経済効果の試算。B/C分析、税収増加推計、雇用創出効果。ザインが領議会向けの数字を整理した。各領地ごとの恩恵を個別に算出し——保守派の貴族一人ひとりに「自分の領地がどれだけ得をするか」を示す。
第四章——実施計画。工期、費用、人員。三村との合意済みの事実。段階的な建設スケジュール。リスクとその対策。
第五章——伯爵への要請事項。工兵隊の派遣、資材の供給、許可状の発行。見返りとして——完成後のネットワーク管理権を伯爵に委ねる。
マルテが途中で顔を出した。交易量の推計値に目を通し、いくつか修正を入れた。
「ここの数字——実際はもう少し高いわ。闇取引を含めると——公式記録の一割増しが実態よ。でも提案書には公式記録だけを使いなさい。控えめな数字のほうが信用される」
「助かります。マルテさんの知見がなければ——机上の空論になるところでした」
「当然でしょう。数字は現場を知る人間が検証しなきゃ——ただの数遊びよ」
マルテがそろばんを弾きながら去っていった。商人の目は——常に現実を見ている。健悟の計算は理論的に正しいが、マルテの修正は現実に正しい。両方が必要だ。
夕刻。提案書が完成した。羊皮紙十二枚。別紙——技術資料八枚。合計二十枚の大部な文書だ。
ザインが最終確認をしている。文官の目で——形式の不備がないか、数字の矛盾がないか、一字一句チェックする。
「形式は問題ありません。数字も整合しています。——しかし健悟さん」
「何ですか」
「この提案書は——事前に伯爵の側近に見せるべきです。領議会に諮られる前に——味方を作っておく必要があります。私の知人にレーヴェンタール卿の書記官がいます。彼に非公式に見せて——反応を探ります」
「ザインさん。あなた——政治が得意ですね」
若い文官は——少し照れたように目を伏せた。
「文官の仕事は——書類を書くことだけではありません。書類を通すことも——仕事です」
ザインが提案書の写しを持って出て行った。非公式の根回し——前世の官僚がやっていたことと同じだ。形式的な手続きの前に、非公式な合意を取り付ける。表の舞台に出す前に——裏で地ならしをする。
健悟は窓際に立ち、通信塔を見上げた。青白い光が——夕闇の中に浮かんでいる。あの光が——辺境中に広がる。それが計画の本質だ。しかし計画は——紙の上だけでは完成しない。伯爵の署名が——全てを動かす鍵だ。
前世で——最も大きな予算要求が通った時のことを思い出す。離島振興の特別予算。三年がかりで省内を説得し、財務省と折衝し、国会の答弁を準備した。通った瞬間——膝の力が抜けた。嬉しさではなく——安堵だった。今回も——同じ結果を期待する。
リーゼが執務室に来た。提案書を手に取り、一枚一枚読んでいく。碧い目が——真剣に文字を追っている。
「健悟。この計画が——本当に実現したら」
「します。数字は嘘をつきません」
「数字だけじゃなくて——人が動いてくれるかどうかよ」
「三つの村は動きました。ザインさんも動いています。あとは——伯爵です」
リーゼが提案書を机に戻した。
「紙と数字で世界を変える男——ね」
健悟は苦笑した。前世でも——そう言われたことがある。同僚に。「お前は数字で世界を変えられると本気で思っているのか」と。あの時は——答えられなかった。しかし今は——答えがある。
「数字だけでは変えられません。しかし——数字がなければ、人は動かない。感情で始まった計画は——数字で裏付けなければ、途中で折れる」
リーゼが微かに笑った。
「じゃあ——私の仕事は、数字にならないものを守ることね」
窓の外で——通信塔の光が青白く灯っている。提案書は完成した。二十枚の羊皮紙に込めた——前世と今世の全ての知識。あとは——伯爵の判断を待つ。




