第3話 巨大な掌
【キャラクター紹介】
ジノ・ヴァルネスカ/Gino Valnesca
14歳、身長156Cm。
物語の主人公。気が弱く、いつも村でいじめられているが、
困っている人を放ってはおけない優しい心を持っている。
鍵現神は、巨人の裁腕「ギガント・ブラキオン」。
※画像はAIによるイメージです。
「……出してあげるって、どうやって?」
ガドが、ジノの袖を握ったまま尋ねた。
ジノは頭上を見た。
巨大な掌が屋根を支えている。ガドの左脚を押さえる梁は、その下。ジノが両手で持ち上げようとして、動かなかった木だ。
「その木も、上げられたら……」
ジノが目を向けると、巨人の指が曲がった。
屋根から離れ、床の梁へ伸びようとする。
ミシリ。
夕日の差し込む隙間が、急に狭くなった。
「待って! 屋根は、そのまま!」
指が戻った。
二人の頭へ砂が落ちる。ガドが目を閉じ、ジノも口に入った砂を吐き出した。
腕は一本しかない。
片方を持ち上げようとすると、もう片方が落ちてくる。
ジノは黒い鍵を見た。あれほど大きな手を出せたのに、足元の木一本、動かせない。
「……ごめん。ちょっと待って」
「待ってるって。動けねえんだから......」
ガドは左脚を抱え直した。いつものように笑おうとした顔が、途中でゆがむ。
入り口で、誰かが叫んだ。
「いた! こっち!」
逃げていった二人の少年だった。
後ろから、水車小屋の主人が入ってくる。前掛けは朝と同じ粉まみれで、手には長い角材を持っていた。さらに二人、村の大人が続いた。
「呼んできた!」
少年の言葉が途切れる。
皆、屋根を支える手を見上げていた。
「……ジノ、これは?」
「ぼくにも、よくわからなくて。でも、屋根は支えられるよ!」
水車小屋の主人は、ジノの顔からガドの脚へ目を移した。
「わ、わかった。説明はあとにしよう。そのまま、お願いできるかい」
「うん」
主人たちは角材を梁の下へ差し込み、石を支点にした。ジノが使った棒と違い、大人二人で運ぶ太さがある。
「持ち上がったら、二人でガドを引いて。脚はまっすぐにな」
少年たちがガドの両脇へ回る。
「せえの!」
木が浮いた。
ガドが声を上げたが、今度は途中で落ちなかった。少年たちが後ろへ下がると、左脚が抜けた。
「出られるよ、ガド!」
ジノも背中を支えた。
ガドの靴には、木の圧した跡が残っていた。足を床へ下ろそうとして顔をしかめたため、大人の一人が抱き上げる。
主人はジノを入り口へ促した。
「君も。最後は私たちが確かめるから」
ジノは外へ向かった。
肩越しに、屋根を見る。
まだ、支えていて。
最後の大人が入り口をくぐるまで、ジノは何度も、同じことを思い描いた。
*
広場では、まだ剣の音がしていた。
アレンが短剣で刃をそらし、井戸の脇へ下がる。ルフは民家の前に立ち、翼の内側へ黒い獣の牙を受けていた。
村人の姿が少なくなった広場は、昨日までより広く見えた。
「ジノ!」
母の声がした。
川へ続く道に、母と妹がいる。母がこちらへ来ようとした瞬間、水車小屋の主人が手を上げた。
「まだ危ない。子どもたちを川へお願いします!」
「でも、ジノが――」
「母さん、大丈夫! ぼくも、あとで行くから!」
ジノは声を張った。
妹が母の服を両手で握っている。母はジノの顔を確かめるように見つめ、それから妹の肩を抱き、道を下っていった。
ガドも、二人の少年に支えられて動きはじめた。
「ジノ、お前も来いよ」
ジノはうなずきかけた。
そのとき、アレンの外套が大きく揺れた。
剣が肩をかすめ、留め紐を切ったのだ。アレンは布を払い、男から距離を取る。
「守るものが多いようだな、金の鍵使い!」
男の声が広場に響いた。
横から獣が迫る。ルフが身体を入れると、その陰から男が剣を突き出した。
アレンは短剣で受けたが、また一歩、下がらされた。
ジノは自分の手にある鍵を見た。
ガドの脚は抜けた。
屋根の下にも、もう誰もいない。
あの手を、今度はアレンのために使えたら。
「ジノ!?」
ガドが呼んだ。
「……あの人のところへ行くのか?」
「助けたいんだ!」
「お前、剣なんか持ったこともないだろ?!」
「うん」
ジノは広場の中央へ目を戻した。
男の剣を見ると、足の裏が冷たくなる。切っ先が自分へ向くところを想像してしまい、鍵を持つ手が腰から上がらなかった。
逃げ道は、すぐ後ろにある。
ガドと一緒に行けば、母のいる川へ着ける。
アレンが、また刃を受けた。
ジノは、川とは反対へ一歩進んだ。
「さっき、ぼくの前に立ってくれたから」
ガドは口を開いた。けれど声が出る前に、ジノはアレンを呼んでいた。
*
「アレン! 倉庫から、みんな出たよ!」
「そうか! ジノも安全な所へ逃げろ!」
「……ぼくにも、手伝わせて!」
自分の声が、思ったより大きく出た。
男が振り向く。
ジノは近づこうとした足を止めた。代わりに、倉庫の手を見上げる。
こっちへ。
屋根から離れて、ぼくの前へ。
五本の指が、ゆっくり開いた。
「倉庫から離れてください!」
ジノは、周りに残っていた村人へ声を張った。
皆が離れたのを確かめ、巨人の手へ意識を向ける。
こっちへ。
屋根から離れて、ぼくの前へ。
五本の指が、ゆっくり開いた。
掌が引かれると、支えを失った屋根が沈んだ。柱の折れた一角が崩れ、砂と麦の粉が舞い上がる。
その中を、巨人の腕が動いた。
壁の前にあった光の扉も、一緒に移動してくる。
扉の中へ続く二の腕。その先から伸びた前腕と掌が、広場へ出た。
影が、ジノの足元を越えていく。
「……妙なもん、拾いやがって」
男が左へ走った。
ジノは目で追った。
捕まえて。
巨人の手が振れた。
速すぎた。
男は身を低くしたが、指先はその横に置かれた空の樽へ当たった。
バンッ!
板が弾け、広場に散った。
ジノは動けなくなった。
ガドを、あの指で引っ張っていたら。
屋根ではなく、身体をつかんでいたら。
「そいつに触られたら、俺もああなるのか?」
「……違う。そんなつもりじゃ」
「じゃあ、引っ込めてろよ!」
男が剣を構え直した。
ジノの頭上で、大きな手が止まった。開いたままの指が、行き先をなくして宙に浮いている。
アレンは男との間合いを保ちながら、ジノへ顔を向けた。
「捕まえることだけを、急がなくていい」
「でも、ぼく……」
「まず、俺に向かう剣を止めてくれ。それだけで助かる」
剣を、止める。
ジノは男の手元を見た。
男の姿を丸ごと追うのではなく、刃の向かう先を。
アレンが受けるたび、剣は左右へ動いた。追いつこうとする指が、少し進んでは止まる。
「相談は終わったか?」
男の右手が腰へ下がった。
細い刃が抜かれる。
腕が振られた。
刃は、ジノへ飛んできた。
気づいたときには、顔の前にあった。
キンッ!
アレンが割って入り、短剣で弾いた。細い刃が地面に刺さる。
アレンの背中が見えた。
その向こうで、男が剣を振り上げる。
ジノの視界から、ほかのものが消えた。
あの剣を。
アレンに、届かせない。
「アレン、後ろ!」
巨人の掌が、二人の間へ入った。
剣が黒い爪に当たり、跳ね返る。
男が下がる前に、五本の指が、その胴を掴んだ。
「ぐっ……!」
男の身体が地面を離れた。
指が両腕を身体へ押さえつける。剣を持つ右手と、銅の鍵が揺れる左手首だけが、外へ出ていた。
離さない。
でも、潰さない。
ジノは自分の指を、わずかに緩めた。
男が空気を吸い込む。身体は動かせないままだった。
「そのまま、お願いだ!」
アレンが駆け寄った。
男の左手首をつかみ、鍵を結んだ革紐へ短剣を入れる。
「やめろ! 俺の鍵に触るんじゃねえ!」
ひもが切れた。
アレンが銅の鍵を握る。
ルフと向き合っていた獣が、急にアレンへ顔を向けた。低く身を沈め、飛びかかろうとする。
アレンは鍵を反対へひねった。
「施錠」
井戸の脇に開いていた扉が光った。
黒い獣の姿が薄れ、地面をかいていた爪が消える。大きな影がなくなり、散らばった井戸の石が夕日に照らされた。
カチリ。
扉が閉じた。
「か、返せ……!」
男の声が、急に近く聞こえた。
ジノはまだ、その身体を掴む指を見ていた。
力を緩めすぎたら、逃げられる。
強くしたら、傷つける。
「ジノ!」
アレンが顔を上げた。
「止められたよ。助かった!」
ジノはうなずいた。
うなずくことしか、できなかった。
*
水車小屋の主人が、縄を持って戻ってきた。
アレンが男の手から剣を外し、村人たちが両手首を縛る。足にも縄を回し終えてから、ジノは掌を低くした。
「もう、指を開いて大丈夫だ」
アレンの言葉に合わせ、巨人の指を一本ずつ離す。
男の膝が地面についた。
広場で縄を引く大人の姿を見て、ジノはようやく、背中を丸めた。
アレンは男のコンパスも取り上げた。
男が何か言ったが、村人に連れていかれ、最後までは聞こえなかった。
巨人の腕だけが残った。
ジノは鍵を持ち上げる。
「……戻すのも、回せばいいの?」
「ああ。開けたときと逆に。扉を閉じるつもりで」
ジノは光の扉を見た。
この先に、腕の続きがある。
何かいるはずなのに、暗い奥は何も見えなかった。
「施錠」
鍵をひねると、腕が引かれた。
白い布が揺れ、金の腕輪が扉をくぐる。最後に太い指先が消え、光の線が閉じ合わされた。
カチリ。
ジノは、空になった広場を見た。
そのまま腰が落ちた。
座るつもりはなかったのに、地面へ近づく身体を支えられない。
アレンが腕を取った。
「もう、座っていいぞ」
「……うん」
地面の硬さが、服越しに伝わった。
粉を掃いたときの傷に、新しい擦り傷が重なっている。ジノは掌を開こうとして、黒い鍵を握ったままなのに気づいた。
「ジノ!」
母が走ってきた。
ジノの前へ膝をつき、顔を両側から確かめる。頬の傷へ触れかけた手が止まり、今度は肩をつかまれた。
「痛いのは、どこ?」
「手と……ちょっと、顔。でも、大丈夫だよ」
母は答えず、ジノを抱き寄せた。
朝、出かけるときと同じ服のにおいがした。
「見てたよ。倉庫に戻ったのも、あの人の前へ出ていったのも。なんて強い子なんだい」
「……ごめん。すぐ行くって、言ったのに」
母の腕が、少し強くなった。
妹が母の隣に立っていた。口を結んだまま、ジノの頭から靴までを見ている。
「お兄ちゃん、屋根の下にいた!」
「うん」
「落ちてくると思った......」
ジノは、何と言えばいいかわからなかった。
妹が母の腕の間へ入り、ジノの服をつかんだ。
ジノは鍵を持っていない左手を、妹の背中へ回した。
さっきまで、どうしても動かなかった大きな手とは違う。
小さな背中は、自分の手だけで抱き寄せられた。
アレンは少し離れ、三人の前にしゃがんでいた。
ジノは母の肩越しに、その顔を見た。
川岸で手を差し出してくれた人。剣を止めたあと、助かったと言ってくれた人。
この人は、明日になったら、また村を出ていくのだろうか。
ジノは黒い鍵を、膝の上へ下ろした。
浮いた輪が、夕日の中で静かに回っていた。
――第三話・終
第3話「巨大な掌」を読んでくださり、ありがとうございます。
大きな力を手に入れても、思いどおりには動かせない。
ジノはその難しさと怖さを、さっそく知ることになりました。
それでも、アレンに迫る刃を前にしたとき、守りたいものがはっきりしました。
ガドを助け、今度は自分を守ってくれた人を助ける。
その一歩一歩が、ジノの始まりです。
ようやく母親たちの腕の中で休めたジノに、今は少し、ほっとしてもらいたいですね。




