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ブリアレオスの鍵使い  作者: 及川ガク
第二章『受け継ぐ勇気』ーアルヴェスタ王国編ー
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第21話 帳面にない獣

客間を出ると、ドルガンが廊下の窓を開けた。


風が、庭の匂いを運んでくる。


ジノは、その隣で足を止めた。


「ドルガンは、セオルと長い付き合いなの?」


「ああ。こいつが俺の仕事場へ来るようになってから、何年か経つな」


「仕事場?」と、テオナは尋ねた。


「荷運びだの、壊れた水車や柵の修繕だの。手が足りねえところへ呼ばれて行くんだ」


「水車の仕組みを見たくて、ついていったのが、最初です」と、セオルは言った。


「それが、こっちが困るたびに、横から図を描くようになった」と、ドルガンは言った。


「……わからないところを、聞いてただけだよ」と、セオルは言った。


ドルガンは、答えずに笑った。


ジノは、その顔を見上げた。


「金の鍵、欲しくないの?」


「ガハハ……ありゃ、でけえ力だ。引き受けるなら、持つだけじゃ済まねえだろう」と、ドルガンは言った。


ジノは、腰の革筒へ触れた。


ドルガンは言葉を継いだ。


「お前も、困ったんじゃねえのか。初めて、その腕が出たとき」


「……うん」と、ジノは言った。


屋根を受け止めた手。


自分の思いと違う方向へ振れて、樽(たる)を壊した指。


ジノは言葉を継いだ。


「助けたかったのに、ほかの人まで怪我させそうで、怖くなったんだ」


「そうだろ? だから、何に使うかも考えず、もらいますとは言えねえよ。金の鍵の力は、その国を守る軍事力でもある。使い方を間違えりゃ、兵器にもなるんだ」と、ドルガンは言った。


セオルは、二人の横を通り過ぎた。


廊下の先で立ち止まり、帳面を開く。


ジノは追いついた。


「セオルは、受け継ぎたい?」


少年の指が止まった。


ジノは言葉を継いだ。


「あ、ごめん。言いたくなかったら……」


「父みたいに、なりたいと思ってました」と、セオルは言った。


ジノは、続きを待った。


セオルは言葉を継いだ。


「怖がっている人がいたら、大丈夫だって言える。あの人が来たなら助かるって、思ってもらえる。そういう人に......」


庭の木が、風に揺れた。


「でも、僕は、間違えたらどうしようって。考えている間に、誰かが先に動いてしまうんです」


門で上げかけていた手。


人の声に消えた、小さな言葉。


「ぼくも、怖くて動けなくなるよ。......一緒だね」と、ジノは言った。


セオルが、顔を向けた。


「でも、さっきは、セオルの考えを聞けたから、落ち着いて板を運べたんだ」


ジノは、帳面へ目を落とした。


「今も、何を聞きに行けばいいか、わかったしね!」


少年は、開いたページを見つめた。


「あたしも、その農夫の人が本当に獣を見たのか、気になるわ。歩きながらでも、話せるでしょ?」と、テオナは尋ねた。


「……うん」と、セオルは言った。


帳面が閉じられた。


セオルが、先に歩き出す。


ドルガンは少し後ろから、その背中を見ていた。


*


問屋の前では、麦の袋が積み下ろされていた。


セオルは、通りの向こうへ手を上げた。


「すみません。少し、聞いてもいいですか?」


荷車のそばで、農夫が顔を上げる。


門で、追加の銅貨を払っていた男性だった。


「おや。門のところで、荷車を助けていた……」と、農夫は言った。


男性はジノたちを見て、それからドルガンへ目をやった。


「ドルガンも一緒か。どうした?」と、農夫は尋ねた。


「こいつから、聞きてえことがあるんだとさ」


大きな手が、セオルの方へ向いた。


男性も、少年へ顔を戻す。


セオルは、帳面を開いた。


「昨日のことです。西の畑で、獣を見たと報告があったんですが……」


農夫の眉が、寄った。


「獣?」と、農夫は尋ねた。


「はい。あなたのお名前で、門に報告が出ていたので」


男性は、積んだ袋から手を離した。


「俺が見たのは、倒れた柵だよ」と、農夫は言った。


セオルの指が、止まった。


「昨日の朝、西の畑でな。杭(くい)が一本抜けて、麦が少し踏まれてた。見回りの兵が来たから、そう話したんだ」と、農夫は続けた。


「獣の姿は、見ていないんですか?」と、アレンは言った。


「ああ。夜に何か出たんじゃないかとは言ったが。足跡だって、俺には見分けがつかんからね」


テオナが、セオルの帳面へ顔を寄せた。


そこには、昨日、門の掲示から写した言葉があった。


西の畑。正午の鐘のころ。大型の獣を目撃。


「正午じゃなくて、朝、だったんですね?」と、セオルは言った。


「麦を積む前だ。鐘が鳴るころには、門の列にいたよ。あんたも、いただろ?」


少年は、ゆっくりうなずいた。


「はい。……ありがとうございます」と、セオルは言った。


新しいページに、男性の言葉を書き込む。


見たもの。


見ていないもの。


見た時刻。


掲示を写したページとは、分けて。


「それなら、報告が違ってる。俺は獣なんか見てないぞ?!」と、農夫は言った。


「そう書かれています。伝わる途中で内容が変わったのか、元の報告も確かめます」と、アレンは言った。


農夫は、口を結んだ。


それから、男性たちのいる問屋へ目をやり、声を落とした。


「見てないものは、見てない。それは、言っておいてくれ!」と、農夫は言った。


「……はい」と、セオルは言った。


「見回りを増やすからって、門で払う金ばかり増える......。早く帰らなきゃ門を閉めるって言う。こっちは、畑をやめるわけにもいかないんだ」


セオルの鉛筆が止まった。


男性は荷台へ上がり、残りの袋へ手をかけた。


「ほかの畑じゃ、本当に出てるのかもしれんがな。何がどうなってるんだか……」と、農夫は続けた。


*


問屋を離れても、セオルは帳面を開いていた。


ジノが、その横を歩く。


「昨日の正午に、あの人が門にいたのは、合ってたんだね」


「門にいたことは、合ってました。でも、報告がどうして違うのかは、まだ……」と、セオルは言った。


「ああ。一件だけで、全部が同じとは決められない。元の記録と、別の目撃者の話も確かめよう」と、アレンは言った。


「少なくとも、本人の話は掲示と違う。調べに来てよかったわね」と、テオナは言った。


セオルは、うなずいた。


帳面を閉じようとして、手を止める。


街の道を描いたページを、開き直した。


「……待って」と、セオルは言った。


ほかの四人も、足を止めた。


セオルは通りの先を見た。


麦の問屋から、大門へ続く道。


何台もの荷車が、同じ方向へ進んでいる。


セオルは言葉を継いだ。


「この時間、外へ戻る荷車が増えるんです。いつもなら、門が閉まる前には通れるんですけど……」


声が、途切れた。


カン、カン、カン!


鐘が鳴った。


昼の鐘とは違う。


短く、せわしなく、何度も。


大通りの人たちが、顔を上げた。


門の方から、兵士が走ってくる。


「獣が出た! 西の道だ! 大門を閉める!」


通りの先で、荷車が止まった。


男性の一人が、声を上げる。


「待ってくれ! 今日は、まだ時間があるはずだろ!」と、荷車の男性は声を上げた。


「警戒の鐘が鳴ったら閉門だ! 外へは出るな!」


アレンは、セオルを見た。


「大門は、どっちだ」


「……この先です!」と、セオルは声を上げた。


少年が走り出した。


ジノたちも続く。


角を曲がると、開いていた大きな門が見えた。


兵士たちが、左右の重い扉を押している。


開いていた門の隙間が、ゆっくり狭(せば)まっていた。


外へ向かっていた人たちが、押し戻されてくる。


その隙間から、門の向こうの麦畑が見えた。


畑を横切る道。


荷車が、一台。


こちらへ向かっている。


荷台には、誰かがうずくまっていた。


「あそこ、人がいる!」と、ジノは声を上げた。


馬の手綱を握る男性が、腕を振った。


「待ってくれえ! 怪我人がいるんだ! 開けといてくれ!」と、門の外の男性は声を上げた。


声が、届いた。


兵士の一人が、外へ顔を向ける。


「荷車が来る! 待ってくれ!」


門の脇から、別の兵士の声が飛んだ。


「後ろに獣がいるぞ! このままじゃ、一緒に入ってくる! 先に閉めろ!」と、指揮する兵士は声を上げた。


扉を押していた兵士たちは、一度手を止めかけ、それでも再び力を込めた。


「まだ、入ってくる人が……」と、セオルは言った。


軋(きし)む扉の音に、声が消えた。


荷車の後ろで、麦が大きく揺れた。


風とは、違う動きだった。


低い影が、穂を押し分けて進んでいる。


黒い背中。


土を跳ね上げる、太い脚。


荷車へ追いつこうとしていた。


ジノの手が、黒い鍵へ伸びる。


アレンも、すでに金の鍵を取り出していた。


隣で、セオルが息を吸った。


「閉めないで!」


声が、門の前へ響いた。


少年は、閉じていく隙間へ手を伸ばしていた。


「まだ、外に人がいます!」と、セオルは声を上げた。


麦畑の影が、跳んだ。


*


「まだ、外に人がいます!」と、セオルは声を上げた。


麦畑の影が、跳んだ。


荷車の後ろへ、黒い前脚が伸びる。


「解錠(アンロック)!」と、アレンは声を上げた。


――石翼(せきよく)のルフ。


門の外に、石の翼が広がった。


ガンッ!


ルフの翼へ、黒い爪がぶつかる。


獣の身体が横へ弾かれ、麦畑に落ちた。


馬がいなないた。


荷車の男性は必死に手綱を引き、暴れかけた馬を道の上へ戻す。


「獣は、こちらで止めます! 門を止めてください!」と、アレンは声を上げた。


「何を――」と、指揮する兵士は言った。


閉門を指揮していた兵士が、アレンの手元を見た。


鳥の持ち手。


金色の神律の鍵(しんりつのかぎ)。


その向こうで、石の鳥が、荷車と獣の間に立っていた。


「こっちは、押さえたぞ!」


ドルガンが、片方の扉の前へ踏み込んだ。


革手袋の両手を扉へ当て、閉じてくる力を押し返す。


「反対側も、止めてくれ! あの荷車を入れる!」と、ドルガンは声を上げた。


「……手を止めろ! 扉を開け直せ!」と、指揮する兵士は声を上げた。


兵士たちが扉を引き戻し、門を大きく開け直した。


だが、荷車は止まったままだった。


馬が、ルフと黒い獣を交互に見ている。


前へ出ようとしては、頭を振り、脚を踏み直す。


「頼む、もう少しなんだ!」と、荷車の男性は声を上げた。


手綱を持つ手が、震えていた。


ルフの向こうで、黒い獣が起き上がる。


低い四つ脚。


盛り上がった肩から、背中へ続く硬そうな毛。


口が開き、短く太い牙がのぞいた。


ルフが自ら翼を持ち上げ、獣と荷車の間を塞いだ。


ジノは、荷台を見た。


荷台にうずくまる女性が、板の縁につかまっている。


身体を起こそうとして、また崩れた。


「人を先に運ぶ!」と、ジノは声を上げた。


アレンが、振り向いた。


「ぼくの巨人の腕なら、荷車まで届く!」と、ジノは声を上げた。


「馬と荷車は、あとから俺が連れてくる。ジノ、先に二人を頼む!」と、ドルガンは声を上げた。


*


「解錠(アンロック)!」と、ジノは声を上げた。


門の脇に開いた光の扉から、巨人の腕(ギガント・ブラキオン)が伸びた。


掌を低く。


馬の顔へ、近づけない。


ジノは荷車の横を見つめた。


黄金の腕輪が、門の柱の前を通る。


腕の付け根にある光の扉も、宙を滑って門の外へついていった。


大きな掌が、荷台のすぐ脇で上を向いた。


「こっちへ! 二人とも、乗ってください!」と、ジノは声を上げた。


荷車の男性が、目を見開いた。


自分の荷車よりも、大きな手。


その掌が、板の高さで止まっている。


「これに、乗れって……?」と、荷車の男性は尋ねた。


「大丈夫です。ゆっくり、運びます!」


獣が、また踏み込んだ。


ルフが身体を傾け、牙を翼の外へ逸らす。


石の羽が、一枚削れた。


ジノの喉が鳴る。


急いでほしかった。


でも、掌まで急がせてはいけない。


荷車の男性は手綱を荷台の縁へ掛け、怪我をした女性の背中と膝の下へ腕を入れた。


女性を抱き上げ、片脚ずつ、巨人の掌へ移る。


「そのまま、座って!」と、テオナは声を上げた。


「解錠(アンロック)!」


銀の鍵が、彼女の手の中で回った。


――絡蔓(らくばん)のアンペロス。


テオナは、ジノが操る巨人の指に蔓(つる)を渡し、二人の周りに低い柵を作る姿を思い描いた。


淡い緑の光から伸びた蔓(つる)が、掌の縁へ走る。


太い指と指の間へ渡り、低い柵のように張られた。


握り込まずに、人が落ちないように。


ジノが見たかった形を、テオナが作っていた。


「ジノ、二人とも載ったわ!」


「うん!」と、ジノは声を上げた。


掌が、荷台から離れた。


低いまま、門の内側へ。


荷車の男性は怪我をした女性を抱え、掌の上へ腰を下ろした。


荷車につながれた馬は、門の外で足踏みしていた。


手綱は荷車の縁へ垂れ、車輪も止まっている。


ルフは、その背後を守り続けていた。


――第21話・終

第21話「帳面にない獣」を読んでくださり、ありがとうございます。


書かれていることと、本人が話したことが違う。


セオルたちは、その小さく見える違いを確かめに行きました。


けれど、調査の途中で本当に獣が現れ、門の外には逃げ遅れた人が。


ジノが差し出した掌にテオナが力を添え、ルフが背後を守ります。


助ける手が届いても、まだ安心はできません。


門の内側にいるセオルが、どう動くのかにも注目していただけたらと思います。

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