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ブリアレオスの鍵使い  作者: 及川ガク
第二章『受け継ぐ勇気』ーアルヴェスタ王国編ー
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第19話 城壁の向こう

ガタンッ!


門を通った荷車が、右へ傾いた。


右の後輪が、道端の溝にはまっている。溝に渡してあった古い板が、車輪の重さで割れたのだ。


積んでいた樽(たる)がずれ、荷留めの綱が軋(きし)んだ。


「誰か、押してくれ!」と、荷車の男性は声を上げた。


近くの男性たちが、荷台へ手をかけた。


だが、車輪は動かない。押すたびに、樽(たる)が傾いた側へ転がりかける。


馬が驚き、首を振った。


「手綱を貸してください。馬を落ち着かせます!」


アレンが門を抜け、馬の横へ回る。


兵士は列を止め、ほかの荷車を下がらせた。


ジノも駆け寄った。


荷台を持ち上げれば、車輪を溝から出せる。


黒い神律の鍵(しんりつのかぎ)へ、手を伸ばした。


けれど、周りには人も馬もいる。


あの大きな腕を、どこへ出せばいいのか。


「……押さない方が、いいです」


小さな声がした。


ジノが振り向くと、巻き毛の少年が一人、溝を見つめていた。


細かな巻き毛。膝の下まである、黄緑の上着。


胸元の帳面を握り、何か言おうとしている。


「せえの、で押してくれ!」と、荷車の男性は声を上げた。


「そのままだと、倒れて……」


声が、ほかの男性たちの掛け声に消えた。


「待って! この人の話、聞いて!」と、ジノは声を上げた。


男性たちの手が止まった。


少年も、驚いてジノを見た。


「どうすればいいの?」と、ジノは尋ねた。


少年は一度、唇を結んだ。


それから、はまった車輪を指した。


「無理に押すと、荷車が横倒しになります。少し持ち上げて、車輪の下へ板を渡せば、まっすぐ進めます」と、巻き毛の少年は言った。


「なら、上げるのは俺がやるぞ?!」


すぐ後ろで、低い声がした。


ジノが振り向く。


見上げた。


もう少し、見上げる。


男性は、アレンよりも頭一つ分ほど大きかった。


分厚い肩に、太い腕。


黒いレンズのゴーグルが、目元を覆っている。


男性は革手袋をはめ直し、荷車の後ろへ回った。


「……待って。先に、板をここまで運ぼう」と、巻き毛の少年は言った。


大男の手が止まった。


少年は、門の脇に積まれた補修用の板を指した。


「あれなら、溝をまたげます。持ち上げてから運ぶと、その間、ずっと支えてもらわないといけないから、無駄に体力を使ってしまいます」と、巻き毛の少年は続けた。


「なるほどな。用意ができたら、言ってくれ!」と、ゴーグルの大男は言った。


「ぼく、運ぶよ!」と、ジノは声を上げた。


「あたしも持つわ。そっちの端、お願い」と、テオナは言った。


二人で厚い板を運び、落ちた車輪のそばへ置いた。


アレンは馬の手綱を押さえたまま、声をかける。


「馬は、こっちで止めておく!」


少年が、ジノとテオナを見た。


「車輪が浮いたら、板を差し入れてください。手を車輪の下へ入れないように気をつけて」と、巻き毛の少年は言った。


二人はうなずいた。


大男が、荷台の下の太い横木へ、両手をかける。


「ちょいと、浮いてろよ!」と、ゴーグルの大男は言った。


太い腕が、張った。


荷車の右側が、ゆっくり持ち上がる。


「……えっ」と、ジノは言った。


車輪が、溝から浮いた。


どこにも、光の扉はない。


大男は、自分の腕だけで荷車を持ち上げていた。


「今です! 板は溝の方向に対して、木目が直角になるようにお願いします。そうすれば板は荷車の重みでも割れにくいので」と、巻き毛の少年は声を上げた。


ジノとテオナは板の端を押した。


浮いた車輪の下へ、板が滑り込む。


溝の両側へ、しっかり掛かった。


「もう、下ろせます!」と、巻き毛の少年は声を上げた。


大男が、ゆっくり腕を下げる。


ゴトン。


車輪が板に載った。


荷台は、まっすぐに戻っていた。


アレンが馬をゆっくり進ませると、荷車も板の上を転がった。


車輪が溝を越え、四つとも石畳へ戻る。


荷車の男性が、大きく息を吐いた。


「助かった……。みなさん、ありがとうございます!」


*


男性は積み荷の綱を結び直してから、何度も礼を言って通りの奥へ進んでいった。


ジノは、大男の手を見ていた。


「今の……鍵、使ってないよね?」


大男は、革手袋についた土を払った。


「俺の力だけだ。車の片側を、少し持ち上げただけだ」と、ゴーグルの大男は言った。


「少しって……」と、テオナは言った。


大男が、白い歯を見せた。


「ただ、いつまでも持ってるのは勘弁(かんべん)してほしいがな。順番を決めてくれたこいつがいて、助かった」と、巻き毛の少年のほうを向いて、ゴーグルの大男は言った。


巻き毛の少年が、顔を下げた。


「僕は、見てただけで……」と、巻き毛の少年は言った。


「見て、わかったんでしょ?」と、ジノは尋ねた。


少年が、顔を上げた。


ジノが言葉を継ぐ。


「ぼく、腕で持ち上げることしか考えてなかった。そのあと、どうするかまで考えてなかったよ!?」


「先に板を用意できたから、すぐに下ろせたわね」と、テオナは言った。


「どう動けばいいか、わかりやすかった。助かったよ」と、アレンは言った。


三人の言葉に、少年は返事を探すように口を開いた。


大男は、その横で何も言わなかった。


少年が、小さく頭を下げる。


「……ありがとうございます」と、巻き毛の少年は言った。


「ぼく、ジノ。こっちはアレンと、テオナ」


「僕は、セオルです」


大男が、親指で自分の胸を指した。


「俺はドルガンだ。セオルの付き添いみたいなもんだな」と、ゴーグルの大男は言った。


「付き添いって……自分の用事も、あったんじゃ」と、セオルは言った。


「そうだったか?」と、ドルガンは尋ねた。


セオルが、少し困った顔をした。


ジノは二人を見上げた。


近くに立つと、セオルも自分より背が高い。


けれど、その隣にいるドルガンは、さらに大きかった。


「二人とも、この街の人?」と、ジノは尋ねた。


「はい。ジノさんたちは、旅を?」と、セオルは尋ねた。


「ジノでいいよ。うん、今日、この国に着いたんだ」


「ガハハ、そりゃ、災難だったな!? 着くなり荷車の持ち上げの手伝いか」と、ドルガンは言った。


「持ち上げたの、あんただけでしょ?」と、テオナは言った。


ドルガンが、声を上げて笑った。


その腰で、銀色のものが揺れた。


小さな槌(つち)を思わせる持ち手。


軸に触れず浮いている、銀の輪。


アレンの視線が、そこへ止まった。


「ん?」


「ドルガンも、鍵使いなんだな」と、アレンは言った。


「ああ。そっちもか?」


アレンは、うなずいた。


ドルガンはジノも見た。


ジノの手は、腰の革筒に添えられたままだった。


「お前も、何か出そうとしてたな。どんなのだ?」と、ドルガンは尋ねた。


「……大きな腕」と、ジノは言った。


「腕?」


「巨人の腕が、一本だけ」


ドルガンは、少し黙った。


それから、自分の腕と、ジノを見比べた。


「俺の腕と、どっちが太いんだ?」と、ドルガンは尋ねた。


「比べる相手、間違ってるわよ」と、テオナは言った。


今度は、セオルも小さく笑った。


*


「そちらの三人。通行の確認がまだだ」


門の方から、兵士が来た。


荷車を追って入った三人は、門の内側で待たされていたのだ。


アレンは懐から証書を取り出した。


「失礼しました。エルディア王国、エルヴァント家のアレンです。レグナート家の当主に、お目通りをお願いしたいのですが」


兵士は証書を開いた。


王家の印章と、記された名を確かめる。


アレンが金の神律の鍵(しんりつのかぎ)を見せると、兵士の姿勢が変わった。


「……金の鍵の継承者の方でしたか。これは、これは、遠路はるばると」と、兵士は言った。


セオルの目も、その鍵へ向いていた。


翼を広げた鳥の持ち手。


門の下へ差す日を受け、金色がきらりと光った。


「エルヴァント家……石翼(せきよく)のルフの?」と、セオルは尋ねた。


「知ってるのか?」と、アレンは尋ねた。


「父から、名前を。鳥の姿で、空を飛ぶと聞いています」


「ああ。俺の家に伝わってきた鍵だ」


ジノは、セオルを見た。


ルフを見てもいないのに、名前まで知っている。


「失礼いたしました。ご同行のお二人も、どうぞ。レグナート家へは、先に使いを――」と、兵士は言った。


「あの、僕が案内します」と、セオルは言った。


兵士が、セオルを見た。


一度口を開きかけ、それから頭を下げる。


「……承知しました」と、兵士は言った。


アレンは、やり取りを見ていた。


セオルが彼に向き直る。


「僕たちも、これから向かうところなんです。よければ、一緒に」


「助かる。お願いできるか」と、アレンは言った。


「はい」


ドルガンが、セオルの隣へ並んだ。


「よし。今度は車輪を見なくていい道で頼むぜ」


「……普通に歩けば、大丈夫だから」


*


門を抜けた大通りには、店が並んでいた。


焼きたてのパンを運ぶ者。


干した草の束を軒へ下げる者。


屋根の上からは、煙が細く上がっている。


けれど、道の端では、馬に荷を積み直している人がいた。


まだ日が高いのに、店先の品を片づけ始める者もいる。


「もう、お店、閉まるの?」と、ジノは尋ねた。


「外から来た人は、門が閉まる前に帰らないといけないので」と、セオルは言った。


「さっきの人も言ってたわね。前から、こんなに早かったの?」と、テオナは尋ねた。


「いえ。最近です。外で、獣に襲われたという報告が増えて……」


「二人も、街の様子を見に来ていたのか?」と、アレンは尋ねた。


「……はい。門で待たされる人が増えているので、何かできないかと思って......」と、セオルは言った。


「そうだったのか」


ジノは、門で銅貨を数えていた農夫を思い出した。


「外が危ないなら、畑の人は大変だね」


セオルの指が、帳面へ触れた。


「はい。……だから、せめて門の通りを、少しでも早くできないかと思って」と、セオルは言った。


帳面が、開かれる。


細かな線が、何本も引かれていた。


道と、門。


その脇に、時刻や荷車の数が書き込まれている。


「これ、ずっと数えてたの?」と、ジノは尋ねた。


「何日か、です。麦を運ぶ車が多い時間と、外へ戻る車が多い時間を分ければ、待たなくて済むかもしれなくて」


「さっきも、それを見てたのね」と、テオナは言った。


「……まだ、考えているだけですけど」


「明日の分も、ここへ書き足すのか?」と、ドルガンは尋ねた。


セオルの手が止まった。


ドルガンは帳面を見ず、彼の顔を見ていた。


「今日の分で、まとめてみる」と、セオルは言った。


「おう」


大きな手が、少年の背中を一度だけ軽く叩(たた)いた。


ジノは、もう一度、帳面を見た。


見て、わかる。


そのあとで、どうしたらいいかを考えている。


さっきの荷車だけの話ではなかった。


「その記録、あとで見せてもらってもいいか」と、アレンは言った。


「……はい。こんなので、よければ」と、セオルは言った。


帳面を渡しかけた指が、止まった。


セオルは、閉じかけたページをもう一度開いた。


「それと……少し、気になっていることがあって」


「何だ?」と、アレンは尋ねた。


「門に貼られた、獣の目撃情報です。場所と時刻を、こっちにも写していたんですけど」


別のページには、街の外の道が描かれていた。


道の脇に、小さな印と、短い書き込みがある。


ジノは、荷車の数を書いたページと見比べた。


一つの帳面に、違う記録を重ねている。


セオルは言葉を継いだ。


「報告を一つずつ読むと、ただ獣が出た話なんです。でも、地図に並べてみると……少し、おかしくて」


「場所と、時刻が合わないのか?」と、アレンは尋ねた。


セオルの目が、上がった。


「……そう、見えるんです。だけど、道の長さも、時刻も、まだ直接確かめられていません」と、セオルは言った。


彼は、すぐに視線を戻した。


セオルは言葉を継いだ。


「書き間違いかもしれないし。僕が、何か勘違いしているだけかも……」


「それなら、報告を見比べながら聞かせてくれ。何がわかっていて、何を確かめる必要があるのか、一緒に考えよう」と、アレンは言った。


セオルは、帳面を見た。


指先で、地図の端を押さえ直す。


「……はい。お願いします」と、セオルは言った。


ドルガンは口を挟まず、二人のやり取りを聞いていた。


ジノも、地図へ目を戻した。


同じ道を見ても、セオルは、そこを通った人の数や時刻まで考えている。


まだ答えは聞けていない。


けれど、荷車の前であの小さな声を聞いたときと同じように、続きを聞きたいと思った。


――第19話・終

荷車を前に、すぐ力を使おうとするジノ。


先に手順を考える巻き毛の少年。


そして、その手順を実行できるゴーグルをつけた大男。


同じ「助けたい」という思いにも、違う動き方がありました。


巻き毛の少年セオルとゴーグルの大男ドルガンのことを、この出会いから少しずつ知ってもらえたらと思います。


街をよく見て、書き留めているセオル。彼が気づいていたことにも、耳を傾けてみてください。


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