第18話 優しさを信じる少女
翌朝、工房の前へジノとアレンがやって来た。
二人とも、旅の荷物を背負っていた。
ジノは、テオナの父親と工房の主人へ深く頭を下げた。
「お世話になりました!」
「こちらこそ。今度来た時は、ゆっくり仕事場を見ていくといい」と、工房の主人は言った。
「はい!」
父親がアレンと握手を交わした。
「足が治るまでは、無理をしないでください」と、アレンは言った。
「君たちも。……どうか、元気でね。旅の無事を祈っているよ」と、テオナの父親は言った。
最後に、ジノがテオナを見た。
「テオナも、手、大事にしてね!」
「……ジノこそ」
昨日の晩は、言えた。
父親へは、ちゃんと言えたのだ。
けれど、二人の荷物を見た途端、言葉が詰まった。
目的があって、進んでいく二人。
そこへ自分が加わっても、いいのだろうか。
「また会えたら、蔓の使い方、教えてほしいな!」と、ジノは言った。
「……あたしの?」
「うん。テオナ、細い道具まで、落とさずに運んでたでしょ。ぼくも、もっと練習したいんだ」
テオナは、顔を上げた。
また、いつか。
そのときに教えれば、いい。
そう思おうとした。
「じゃあ、そろそろ行こうか。ジノ」と、アレンは言った。
「うん。それじゃ、また!」
ジノがテオナたちに手を振った。
テオナも、右手を上げた。
二人の背中が、朝の通りへ向く。
一歩。
二歩。
革の道具袋が、腰へ当たった。
その中には、父親にもらった予備の曲がり針が入っていた。
テオナは、上げた手を下ろした。
隣の父親を見る。
父親は、こちらを見ていた。
何も言わず、うなずいた。
テオナの靴が、石畳を踏んだ。
もう一歩。
今度は、走った。
「ジノ! アレン!」と、しっかりと届くようにテオナは声を上げた。
二人が振り向く。
テオナは、その前で止まった。
息が、うまく吸えなかった。
ほんの少し走っただけなのに、胸がいっぱいだった。
「……あたし」
道具袋の肩紐を握る。
思い出す。
差し出されたパン。
手紙を開くのを、急かさず待ってくれたこと。
父親のいる部屋へ、一緒に進んでくれたこと。
もう一度、息を吸った。
「あたしも、連れていって!」
テオナの声が、通りに響いた。
ジノの目が、丸くなった。
テオナは、俯かなかった。
「ベルカまでって、言ったけど。父さんを見つけるまででいいって、思ってたけど……まだ、一緒にいたいの!......だめかな?」
声が震える。
それでも、今度は止めなかった。
テオナは言葉を継いだ。
「いろんな街で、仕事を見て、覚えたい。父さんみたいな鍵職人に、なりたいの。蔓も、もっと使えるようになりたい」
ジノが、一歩近づいた。
テオナは言葉を継いだ。
「それを、あんたたちとやりたい。知らない人が怖くても、知らない場所でも……二人となら、行ってみたいって思うの! 必ず、私も役に立ってみせるから!」
最後の方は、かすれていた。
肩紐を掴む手へ、力が入る。
ジノはしっかりとテオナのほうへ向き直り、力強く答える。
「よし! 一緒に行こう!!」
テオナは、瞬きをした。
ジノは、まっすぐ彼女を見ていた。
「ぼくも、テオナに来てほしい!」
「……そんなにすぐ、言っていいの?」と、テオナは尋ねた。
「俺も、頼みたいと思ってた」
アレンが、彼女の横へ並んだ。
「親父さんを捜し終えたばかりだ。これからどうしたいかは、テオナが決めることだと思ってた」
彼は工房の前へ目を向けた。
父親は、主人と並んで立っていた。
「親父さんには、きちんと話したんだな?」と、アレンは尋ねた。
テオナは、うなずいた。
父親が、こちらへ手を上げる。
その手に、テオナも応えた。
アレンは言葉を継いだ。
「そうか、だったら、一緒に行こう。これからも、力を貸してくれ!」
テオナは、二人を見た。
返事をしようとして、唇が震えた。
ジノが、心配そうにのぞき込む。
「テオナ?」
「……ちょっと、待って」と、テオナは言った。
右手の甲で、目元を押さえた。
一度拭いただけでは、止まらなかった。
ジノは、もう何も聞かなかった。
アレンも、その隣にいた。
二人とも、待っていた。
テオナは、ゆっくり手を下ろした。
「……あたしでよければ」
「テオナがいいんだよ!」と、ジノは言った。
また、涙がこぼれた。
今度は、笑いながら拭いた。
*
工房の前へ戻ると、父親が小さな旅袋を差し出した。
着替えと、手当ての布。それから、朝のうちに包んでおいた昼食。
「……用意してたの?」と、テオナは尋ねた。
「自分の口から言えたら、渡そうと思っていたんだ」と、テオナの父親は言った。
テオナは袋を受け取り、父親へ腕を回した。
強く抱き締めると、同じ強さで、背中に手が回った。
「行ってくるね、父さん」と、テオナは言った。
「ああ。行っておいで。私の大切なテオナ」
離れてから、父親はジノとアレンを見た。
「娘を、よろしく頼みます」
「はい。これからも、テオナのことは全力で守ります。三人で互いに力を合わせていきます!」と、アレンは言った。
「はい!」と、ジノも言った。
テオナも、二人の方を向いた。
「よろしく。あたしも、二人のこと、ちゃんと助けるから」
「うん。よろしくね!」
工房の主人が、店先から手を振った。
「珍しい錠を見つけたら、私にも教えてくれよ!」
「わかった! 父さん、無理して歩いちゃ駄目だからね!」と、テオナは声を上げた。
「わかっているよ!」と、テオナの父親は声を上げた。
通りを進みながら、何度も振り返った。
角へ近づくと、父親が、もう一度大きく手を上げた。
テオナも、腕を伸ばした。
姿が見えなくなるまで、振り続けた。
角を曲がったところで、ジノとアレンが足を止めていた。
テオナは、少しだけ駆け足になる。
二人の間へ、追いついた。
「港までは、こっちでいいんだよね」と、ジノは言った。
「ああ。昼には、川沿いの道へ出られる」と、アレンは言った。
「だったら、先に水を足していきましょ。そこの広場に井戸があったわ」と、テオナは言った。
「よく覚えてるね」と、ジノは言った。
「あんた、昨日も通ったでしょ」
「工房のこと、考えてたから……」と、ジノは言った。
「じゃあ、今日はテオナに先を頼もう」と、アレンは言った。
テオナは二人を見て、小さく胸を張った。
「いいわよ。ついてきて」
歩き出すと、すぐ隣に、二つの足音が続いた。
腰の銀の鍵が、道具袋に触れて揺れる。
テオナは、もう肩紐を握り締めていなかった。
井戸のある広場へ向かって、三人は並んで歩いていった。
*
「……ほんとに、浮いてる!」と、ジノは言った。
足元の板が、ゆっくり持ち上がった。
沈む。
また、持ち上がる。
ジノは船縁を握り、下をのぞいた。
白い泡が、木の船腹を流れていく。
その向こうは、どこまでも青かった。
「今さら何言ってるのよ。もう港、見えなくなってるわよ?!」と、テオナは言った。
「だって、荷車よりずっと大きいのに。人も、荷物も、あんなに載ってて……」
甲板の向こうで、船乗りが綱を引いた。
帆が風を受けて膨らむ。
ジノは顔を上げた。
「これで、ほかの国まで行けるんだ?!」
「ああ。順調なら、明日の朝には着くはずだ」と、アレンは言った。
三人がベルカを出てから、三日目の昼だった。
昨日の夕方、港へ着き、一晩泊まって、この定期船に乗った。
港の詰所には、ベルカからの新しい知らせはまだ届いていなかった。アレンは今後の行き先を書き残し、追加の連絡があれば、アルヴェスタ側の港へ送ってもらうよう頼んでいた。
「ねえ、あっち。魚じゃない?」と、テオナは尋ねた。
船首の方で、水面が光った。
ジノは首を伸ばした。
「どこ?」
「ほら、今――」
二人が同じ方へ身を乗り出す。
アレンが、二人の肩紐を後ろからつかんだ。
「見るのはいいが、落ちるなよ?!」
「わかってるってば!」
「……魚、見えなかった」と、ジノは言った。
船が、もう一度揺れた。
テオナの返事が、止まった。
ジノは彼女を見た。
「どうしたの?」
「な、何でも……」
彼女は船縁へ向き直った。
さっきまで指していた魚とは、違う場所を見つめている。
「中へ入るか?」と、アレンは尋ねた。
「……ここがいい」
「気持ち悪い?」と、ジノは尋ねた。
「声、大きいわよ......」
ジノは慌てて口を押さえた。
テオナは少し目を閉じ、それから、船縁へ額を近づけた。
「海って……ずっと、動いてるのね」
ジノは、もう一度水面を見た。
「......うん」
今度は、何も言わずに隣へ立った。
アレンが水袋を差し出す。
テオナは受け取り、小さく礼を言った。
風が、三人の髪を揺らしていた。
*
翌朝、海の向こうに緑が見えた。
岸の近くに屋根が集まり、その奥へ、畑が広がっている。
なだらかな丘を、何本もの道が横切っていた。
「……広い」と、ジノは言った。
船が桟橋へ寄せられ、綱が渡される。
荷物を背負い直したテオナは、渡し板を慎重に下りた。
地面を踏む。
もう一歩、踏む。
「……揺れてない?」と、テオナは言った。
「まだ、ちょっと揺れてる気がする」
「言わないで......」
アレンは二人を見て、口元を緩めた。
「さあ、ここがアルヴェスタ王国だ」
港では、麦の袋が次々に運び込まれていた。
船から下ろされる荷物もある。布の巻物、鉄の棒、焼き物を詰めた木箱。
違う言葉の呼び声が、あちこちで重なる。
ジノは立ち止まりかけ、そのたびにテオナへ袖を引かれた。
「道の真ん中。荷車が通るわよ」と、テオナは言った。
「ごめん。あの、丸いパンみたいなの……」と、ジノは言った。
「あとで見ましょ。あたしも気になるから!」
アレンは港の詰所で身分と行き先を伝え、街道の状態を確かめた。
目指すのは、内陸の『レスタ』という街だった。
アルヴェスタの金の鍵を代々受け継ぐ、レグナート家が暮らしている。
港町で食事を取り、三人は街道へ出た。
*
道の両側で、麦が揺れていた。
風が通るたび、穂が同じ向きへ倒れ、また起き上がる。
ジノは、その動きを目で追っていた。
「これ、全部、食べ物になるんだよね?!」
「そうね。あたしたちが食べたパンも、ここから来たのかも」と、テオナは言った。
「村にも、持って帰りたいな」
「種か?」と、アレンは尋ねた。
「パン!」
「帰るころには、石みたいになっちゃうわよ」と、テオナは言った。
「あ……」と、ジノは言った。
「焼き方を教わって帰ればいいんじゃないか?」と、アレンは言った。
ジノは顔を上げた。
「そっか。それなら、何度でも食べられる」
「あたしの分も覚えてきてね」と、テオナは言った。
「一緒に教わろうよ」
「……む、難しいかも」
三人の横を、袋を積んだ荷車が通り過ぎた。
前を歩く農夫が、軽く手を上げる。
ジノも手を振り返した。
昼を少し過ぎたころ、丘の向こうに城壁が現れた。
麦畑の中から、灰色の壁だけが立ち上がっている。
その上を、人影が動いていた。
「レスタだ!」と、アレンは言った。
「街の周り、全部、壁で囲ってあるの......?」と、ジノは尋ねた。
「ああ。入口は門に限られる」
門の手前には、何台もの荷車が並んでいた。
兵士が積み荷を確かめ、一台ずつ中へ通している。
さっき手を振った農夫も、列の途中にいた。
「納入の印は?」と、兵士は尋ねた。
「これです。それと、門の通行料も」と、農夫は言った。
その男性が小さな札と銅貨を出した。
兵士は札を確かめ、荷車の袋を数えた。
「防衛負担分が、まだだ」
「せ、先週も納めましたが……」
「今週から追加だ。外の見回りを増やしている」
農夫の手が、財布の上で止まった。
後ろの荷車から、声がした。
「早くしてくれ。日が落ちたら、帰りの門も閉まるんだぞ」と、別の農夫は言った。
男性は振り返り、すぐに財布を開けた。
テオナが、アレンを見る。
アレンも、そのやり取りを見ていた。
「……ここ、何か出るの?」と、ジノは尋ねた。
列に並んでいた年配の女性が、声を落とした。
「このところ、街の外で獣が出るんだってさ。だから、門も早く閉めるようになったんだよ」
ジノは、通ってきた麦畑へ目を戻した。
風が吹いていた。
穂の間に、人が働いているのが見える。
「獣って、どんな?」と、テオナは尋ねた。
「それが、人によって言うことが違ってね。私は見たことがないけれど……」
「次!」と、兵士は声を上げた。
女性は口を閉じ、荷物を持ち上げた。
アレンは懐の証書へ手を添えた。
そのとき、門の内側で、馬が甲高く鳴いた。
――第18話・終
第18話「優しさを信じる少女」を読んでくださり、ありがとうございます。
「連れていって」と、自分から声を上げたテオナ。
最初は近づくことさえ拒んでいた少女が、二人と歩いていきたいと願うまでの道のりを、ここまで読んでいただけてうれしいです。
これからは、助けられるだけでなく、自分も二人の力になりたい。
そんな彼女とともに、旅は海を越え、アラヴェスタ王国へ進みました。
三人になった旅も、よろしくお願いします。




