第17話 自分で開く扉
その日の夕方、一行は三葉の鍵工房へ移った。
衛兵から事情を聞かれ、手当てを受け終えたころには、通りの影が長くなっていた。
閉ざされていた工房の戸を、主人が開ける。
中には、作りかけの錠や、修理を待つ道具が残っていた。
主人は自分の仕事台を一度撫で、それから椅子へ腰を下ろした。
「二階へ上がるのは、しばらく骨が折れそうだな......」と、工房の主人は言った。
「すまない。私のせいで、君まで......」と、テオナの父親は言った。
「君が脅されているのを見て、放っておけなかったんだ。もう、謝らなくていいさ」
工房の主人は、足首へ巻かれた布を見て苦笑した。
「奥の部屋に寝台を下ろしてもらおう。二人分あれば、いちいち階段を上らずに済む」と、工房の主人は続けた。
「ここへ、置いてもらっていいのか?」と、テオナの父親は尋ねた。
「落ち着くまでいるといい。君の道具袋も、そろそろ届くはずだ」
詰所に預けていた大きな道具袋は、夕方のうちに衛兵が届けてくれた。
革の口を開けた父親が、一つずつ、中身を確かめる。
テオナは、その隣から離れなかった。
アレンとジノは近くの宿に部屋を取り、明日また来ると言って工房を出た。
戸口まで見送りに出ようとしたテオナへ、父親が声をかけた。
「テオナ。少し、座らないか」
彼女は振り返った。
仕事台の上には、見慣れた道具が並んでいた。
父親の前へ戻り、小さな椅子を引く。
「聞かせてもらったよ。逃げたあと、二人と会ったことも。私を捜してくれたこともね」と、テオナの父親は続けた。
「……うん」と、テオナは言った。
「よく、無事でいてくれた」
父親の手が、仕事台の上で止まった。
口元の傷が、灯りの下ではっきり見えた。
テオナは、膝の上で右手を握った。
「あたしが、あの家で蔓を出さなかったら......」
父親は、顔を上げた。
テオナは言葉を継いだ。
「あの人に、鍵を持ってるって知られなかったら。父さん、こんなことには……」
「樽が、人に当たりそうだったんだろう?」と、テオナの父親は言った。
「でも......」
「あのとき、お前は人を助けたんだ。正しいことをしたんだよ」
テオナは、目を伏せた。
父親の声は、静かだった。
「私も、あの男を信じた。よくしてくれる人だと思って、お前を連れて泊まった。私がもっと早く気づいていれば、逃がすときに、あんな怖い思いをさせずに済んだだろう」
「父さんは、あたしを逃がしてくれたじゃない」と、テオナは言った。
「そうだな。お前は、私を助けに来てくれた」
父親が、娘の顔をのぞき込んだ。
「だから、二人で自分を責め続けるのは、よそう。私たちを騙して、傷つけた者がいる。その者たちのしたことまで、お前が背負わなくていい」
テオナは、口を結んだ。
息を吐くと、喉の奥が震えた。
「……優しくされるの、怖かった」と、テオナは言った。
右手の指が、ほどけた。
テオナは言葉を継いだ。
「また、あとで何か取られるんじゃないかって。優しい顔をしてるだけで、ほんとは違うんじゃないかって」
父親は、続きを急がなかった。
テオナは言葉を継いだ。
「アレンとジノは、ずっと……父さんが見つかる前から、あたしを助けてくれてたのに」
仕事台の端に、父親の手紙を入れた筒があった。
逃げるとき、握り締めていたもの。
開けるのが怖くて、開けずにいたもの。
テオナは言葉を継いだ。
「受け取って、よかったんだよね?!」
父親は、うなずいた。
「ああ」
その一言を聞いて、テオナは両手で顔を覆った。
父親の手が、赤い髪へ触れる。
窓の外では、見回りの衛兵が通りを歩いていた。
戸の向こうで足音がしても、今は、父親が隣にいた。
*
三日後の朝。
工房の戸には、まだ休みを知らせる札が掛かっていた。
それでも、店先で立ち止まる人は増えていた。
主人の顔を見に来る者。
食べ物を置いていく者。
修理は急がないからと、預けていた錠をそのまま残していく者。
そのたびに、父親と主人は、椅子に座ったまま礼を言った。
テオナは、窓辺の仕事台に向かっていた。
目の前には、練習用の古い錠が一つ。
細い曲がり針を差し込み、そっと動かす。
中で、金具が引っかかった。
「……また同じところ」と、テオナは言った。
「押さえに、少し力が入りすぎているな」
父親が、隣から手元をのぞいた。
テオナは息を吐き、指の力を緩める。
「そう。中の動きを、指で聞くんだ」と、テオナの父親は続けた。
「耳じゃなくて?」と、テオナは尋ねた。
「音だけでは、わからない錠もあるからね」
針の先が、かすかに沈んだ。
テオナは、その感触を確かめるように、もう一度動かした。
カチリ。
錠の留め金が開いた。
「……開いた!」と、テオナは言った。
「すごい!」と、ジノの声が聞こえた。
戸口から声がした。
テオナが振り向く。
ジノとアレンが、朝のパンを持って立っていた。
「いつから見てたのよ!」
「今、ちょうど。テオナも、開けられるんだね?!」
「練習用よ。本物の仕事は、こんなに簡単じゃないんだから」
言いながら、口元が少し緩んだ。
父親も、それを見て笑った。
アレンがパンを台へ置くと、工房の主人が皿を出した。
ここ数日、同じように囲んできた朝の食卓だった。
食事が終わるころ、アレンは上着から折り畳んだ地図を出した。
「明日、港へ向かおうと思っています」
テオナの指が、パンの端で止まった。
父親は、地図へ目を落とした。
「海を渡るのかい?」
「はい。次はアルヴェスタ王国へ。あの国の金の鍵の継承者にも、事件について聞きたいことがあります」
ジノは、アレンの指が示す海の向こうを見た。
「衛兵長さんから、何かわかった?」
「取引帳の調べは、まだ途中です。わかったことは港の詰所へ知らせていただくことになっています。グレイヴたちは取り調べを受けていますが、レグナーの行方は、まだつかめていないそうです」
テオナは、その名前に顔を上げた。
アレンは、彼女と父親を見た。
「この工房にも見回りを頼んであります。何かあれば、すぐ衛兵に知らせてください」
「ああ。あんなことは、もうごめんだ。戸の錠も、今度は私たちで確かめたよ」と、工房の主人は言った。
父親が、店の入口を見た。
二人の職人が並んで、交換する錠を選んでいたことを、テオナは知っていた。
父親の足も、少しずつよくなっていた。
短い距離なら、一人で歩ける。
遠出はまだできないが、ここには、気心の知れた友人がいる。
「お世話になりました。明日、出発前にご挨拶に来ます」と、アレンは言った。
「こちらこそ。君たちも、身体に気をつけてな」
テオナは、二人を見た。
ジノは、椅子から立つときにも、もう背中を押さえなかった。
食事を終えた皿を運び、主人の礼に、少し照れたように頭を下げている。
出発できるのだ。
二人は、明日。
*
その晩、テオナは自分の道具袋を机へ広げた。
曲がり針。
薄い押さえ。
小さなやすり。
手入れを終えたものを、一つずつ、革の仕切りへ戻す。
最後に、銀色の神律の鍵へ触れた。
蔓を伸ばす姿は、今でも、はっきり思い描ける。
枝からパンを吊るすことも。
相手の手首へ、巻きつかせることも。
けれど、父親の足枷は、それだけでは開けられなかった。
届ける道具がわかったのは、父親の仕事を見てきたからだ。
あのとき、初めて、自分が覚えてきたことまで、父親を助けてくれた気がした。
「考え事かい?」
父親が、奥の部屋から出てきた。
「うん。……あたし、まだ知らない錠が、いっぱいあるんだろうなって」と、テオナは言った。
父親は、彼女の隣へ座った。
テオナは言葉を継いだ。
「父さん、この前言ってたでしょ。土地が違えば、錠の作りも違うって」
「ああ。使う材料も、守りたいものも違うからね」と、テオナの父親は言った。
「見てみたい。いろんなところの工房で、どんな仕事をしてるのか。蔓も、もっと細かく動かせるようになったら、届かないところへ道具を運べるかもしれないし」
父親が、うなずいた。
テオナは、道具袋の縁を指で撫でた。
「父さんみたいに、誰かが困ったとき、あたしが行くって言えるようになりたい!」
そこで言葉を切った。
明日の朝のことを考えると、胸の奥が狭くなる。
テオナは言葉を継いだ。
「……でも、父さん、まだ足が痛いでしょ?」
父親は、自分の足を見た。
「旅に出るには、もうしばらくかかるな」
「だったら、あたしも――」
「私は、ここで仕事を手伝うつもりだよ。彼も、足が治るまで困るだろうから」
奥の部屋へ、目を向ける。
工房の主人は、明日預かる修理の品について、夕食の間、ずっと父親と相談していた。
「お前も、ここで仕事を覚えられる。私と、また二人で旅をしてもいい」と、テオナの父親は続けた。
テオナは、父親を見た。
「でも、ほかに行きたいところがあるなら、聞かせてくれないか?」と、テオナの父親は続けた。
机の上で、銀の鍵が光った。
「二人と……アレンとジノと、一緒に旅に行きたい」と、テオナは言った。
声にしてから、息を吸った。
テオナは言葉を継いだ。
「アレンたちが、何を見つけるのか知りたい。ジノが、どんなふうに強くなっていくのかも。あたしも、隣で……一緒にできること、増やしたいの」
父親は、黙って聞いていた。
テオナは言葉を継いだ。
「あの二人となら、知らない街へも、行ってみたいのよ」
「事件を追っていけば、また危険な目に遭うかもしれない。それでもかい?」と、テオナの父親は尋ねた。
「……うん。怖いよ。でも、困ってる人を助けようとする二人を、あたしも助けたい。無茶をしそうなら止めるし、自分だけじゃ無理なときは、ちゃんと頼るから。もちろん、あの二人がいいって言ってくれるならだけど......」
言い終わると、父親の顔を見るのが怖くなった。
これほど離れ離れになるのが怖かったのに。
やっと会えた父親へ、自分から、離れたいと言っている。
父親は、机の上へ小さな革の包みを置いた。
「曲がり針の予備だ。お前の袋には、一本しかなかっただろう」
「……いいの?」
「持っていきなさい」
父親は続ける。
「きっと、あの二人もテオナを必要としてくれると思う」
テオナは、包みへ手を伸ばした。
開くと、細い金具が、折れないように布へ差し込まれていた。
使う順番に、一本ずつ。
父親が、いつもそうしていたように。
「行き先が決まったら、手紙をくれるか。私は当分、ここにいる。返事を受け取る町が決まったら、その宛先も書いておくれ」
「うん!」と、テオナは言った。
「見たことのない錠に出会ったら、図にして送ってほしい。帰ってきたら、一緒に考えよう」
彼女は、包みを握った。
「……うん」
父親が、その手へ、自分の手を重ねた。
「会えなくなるわけじゃない。また、仕事の話をしよう」
テオナは、何度もうなずいた。
父親は、娘の顔を見た。
「お前も立派な鍵職人を目指すなら、これから先もずっと、自分の人生の扉の錠は自分で開いていきなさい」
テオナは、包みを握ったまま父親を見つめた。
「二人には、もう話したのかい?」と、テオナの父親は尋ねた。
テオナは、首を横に振った。
――第17話・終
父親を助けられたテオナの前に、今度は「これからどうしたいか」という問いが置かれました。
父親のそばにいたい気持ちも、外の世界を見たい気持ちも、どちらも彼女の本当の思いです。
父親はその迷いごと受け止め、自分で選ぶよう背中を押しました。
道具の包みを受け取ったテオナ。
次は、自分の言葉で二人へ気持ちを伝える番です。




