第15話 届くまで、離さない
【敵キャラクター紹介】
グレイヴ/Greive
商人のような物腰に冷酷さを隠す銅の鍵使い。
巨大な蟹の鍵現神「鉄鋏のカルキノス」を操り、目的のためなら人質を取ることもためらわない非道な男。
※画像はAIによるイメージです。
革手袋の指に、小さな鍵束が揺れていた。
テオナの目が、その動きを追う。
あれがあれば、父親の足を縛る鎖が外れる。
けれど、テオナが足を踏み出すより先に、鉄の鋏が床を打った。
ガンッ!
ジノへ伸びた鋏を、ルフが横から押し逸らしていた。石の爪が床を掻き、二つの巨体が保管室へ続く通路の前で止まる。
ジノは黒い鍵へ手を伸ばしかけ、やめた。
今、巨人の腕を戻せば、鉄格子の戸が落ちる。父親たちを閉じ込めたままにしてしまう。
「聞こえなかったか? まず、その黒い鍵を――」
「渡しても、父親を返す保証はない」
アレンがルフの脇へ動いた。
グレイヴへ近づこうとすると、カルキノスも動く。太い脚が、その間へ割り込んだ。
アレンは足を止めた。
「鍵を置いた途端、全員を捕まえるつもりだろ?」
「だったら、そこで見ていろ。そいつが、いつまで支えられるかをなあ!クククッ」
グレイヴは、ジノを見ていた。
鉄格子の戸は、掌に載ったまま止まっている。下がりも、上がりもしない。その高さを保つことだけを、ジノは思い描き続けていた。
額から落ちた汗が、目の端へ入る。
拭いたいのに、手を上げるのが怖かった。自分の手を動かせば、巨人の腕まで動いてしまいそうだった。
頭では、別の手だとわかっている。
それでも、ジノは両手を開いたまま、奥の戸を見続けた。
「父さん! 足の錠、見える?」
テオナの声が、通路を越えた。
*
父親は足元へ目を落とした。
靴の脇まで、蔓が届いている。父親は鎖を持ち上げ、足首にはまった錠を入口側へ向けた。
「見える。同じ錠が、工房の主人の足にもついている」
「そこにある道具で、開けられない?」
作業台へ手を伸ばしかけて、父親は首を振った。
「箱に使う太いものばかりだ。こっちの錠には入らない」
テオナの右手が、腰の道具袋を探った。
父親の目も、そこへ向く。
「お前の細い曲がり針なら使える。届けられるか?」
「……これ?」
細い金具を一本、指で挟んで見せる。
先の曲がった針と、内側へ力を掛けるための薄い板。父親が仕事をするとき、何度も手渡した道具だった。
「平たい押さえもあるわ。二本でいい?」
「ああ。先を折らないように、布へ包んでくれ」
テオナは道具袋に入れていた小さな布を広げた。金具を並べ、先端まで覆って畳む。
蔓の先が、手元へ戻ってきた。
その上へ、包みを載せる。
「余計なことをするんじゃない! おとなしくしてろ!」
グレイヴの声に、テオナの肩が跳ねた。
カルキノスの片方の鋏が上がる。テオナは戸の陰へ身体を寄せたが、蔓は止めなかった。
「ジノ、そのまま頼む!」
「うん!」
アレンは、ルフがテオナへの道を塞ぐ姿を念じた。
石の鳥が踏み込む。
重ねた羽で鋏を受け、翼を傾けて刃先を床へ逃がす。
ガギンッ!
鉄と石のぶつかる音の下を、小さな包みが走った。
木箱の間を抜け、格子の下へ。
差し出された、父親の手へ。
「よくやったぞ、テオナ……受け取った!」
テオナは、包みから蔓をほどいた。
父親が布を開く。傷のある親指で薄い板を押さえ、もう一方の手で曲がり針を取った。
今朝、裏口で頬に触れた手だった。
その指が、いつもの仕事と同じように動き出した。
*
剣のぶつかる音が、入口の近くで響いた。
入口を塞いでいた男が、衛兵に柱際へ追い詰められている。奥の見張りも、綱を離して逃げようとしていた。
その前へ、衛兵長と、柱の陰を回ったもう一人が出た。
「剣を捨てろ!」
見張りは、カルキノスの方を見た。
大きな鋏は、ルフに阻まれている。逃げ道には二人の衛兵がいる。
男が剣を捨てた。
ジノの視界の端で、衛兵長が見張りの右腕を取り、その男自身の背中へ回した。
みんな、動いている。
父親が錠を開けようとしている。テオナが道具を届けた。アレンはルフと一緒に、刃を遠ざけている。
ジノは、もう一度掌へ目を戻した。
その瞬間、戸が少し沈んだ。
ギギッ。
鉄の擦れる音がした。
上げなければ。
そう思った途端に、巨人の指が強く曲がりかけた。
違う。
握るのではない。格子の縁を、下から受けているだけでいい。
ジノは、口から細く息を吐いた。曲がりかけた指を、さっきの形へ戻していく。
掌が落ち着いた。
戸の震えも、収まった。
「ジノ!」
「まだ、大丈夫だよ!」
テオナが何か言いかけた。ジノの顔を見て、その言葉を飲み込む。
代わりに、奥へ声を届けた。
「父さん、あたしたち、ここにいるから!」
父親は顔を上げなかった。
錠を耳へ近づけ、指先を動かしている。
小さな音がした。
カチリ。
足首を囲んでいた鉄の輪が、開いた。
「一つ、開いた!」
父親はすぐに隣へ膝を寄せた。工房の主人が、錠のついた足を差し出す。
*
グレイヴが舌打ちした。
左手の鍵束を握り込み、右手の銅の鍵を上着の内側へ収める。アレンは、その場所を見た。
銅の鍵は、右の胸の内側。
あそこから奪えれば、カルキノスを消せる。
カルキノスが身体をずらした。
鋏の先が、父親たちのいる保管室へ向く。
「そっちは、行かせない!」
ルフが脚を踏ん張り、低くした翼を格子との間へ差し入れた。
石の表面が削れ、白い欠片が散った。
アレンは、翼についた傷を見た。
受け続けるだけでは、押し切られる。だが、人のいる保管室の前で、闇雲に反撃するわけにもいかなかった。
衛兵たちのいる柱。敵の立つ場所。奥へ続く通路。
アレンが目を走らせたとき、二度目の音がした。
カチリ。
「外れた!」
工房の主人が、鎖を床へ落とした。
衛兵長は捕らえた見張りを部下へ任せ、格子の脇へ進んだ。
「こちらへ! 腕の横を、一人ずつ!」
巨人の掌と壁の間に、人が身を縮めて通れる幅があった。
テオナの父親が、工房の主人の背を支えた。白髪交じりの職人が膝をつき、戸の下へ身体を入れる。
ジノは、指の形を思い描き直した。
今、動かしてはいけない。
人が、真下を通っている。
衛兵長の腕が伸び、工房の主人の肩を引き寄せた。職人は壁際へ移り、次にテオナの父親が屈んだ。
掌のすぐ横を、袖をまくった腕が通る。
肩が抜けた。
背中が抜ける。
最後に、靴の先。
「二人とも出ました! もう下ろせます!」
衛兵長の声を聞いても、ジノはすぐには動かさなかった。
床を見る。
誰もいない。テオナの蔓も、格子のこちらへ戻っている。
「下ろします!」
掌をゆっくり下げた。鉄格子も一緒に降りる。
指を抜けるだけの隙間を残し、掌を水平に引いた。最後の指が抜けた瞬間、鉄格子の戸が床へ落ちた。
ガンッ。
二人の職人は、その外にいた。
「父さん!」
「テオナ!」
駆け寄ろうとするテオナへ、父親も手を伸ばした。
二人の間で、鋏の先が石の床を打った。
ルフに押し逸らされた刃だった。
「まだだ、柱の陰へ!」
衛兵長が父親の肩を引き、工房の主人とともに身を低くさせた。
テオナの足が、止まった。
「勝手に帰れると思うなよ!」
カルキノスが、二つの鋏を開いた。
父親はもう、鎖につながれていない。
それでも、出口までの道は塞がれていた。
*
ジノは巨人の腕を見た。
もう、鉄格子を支えなくていい。
今度は、父親たちが出てこられるようにする番だ。
テオナも、父親のいる柱を見ていた。走り出す代わりに、アレンへ声を掛ける。
「そいつを止めれば、父さんたちを外へ出せる?」
「ああ。だが、鍵使いへ近づくと鋏が戻ってくる」
ジノは村での戦いを思い出した。
あのときは、敵の男を掴めた。
今は、グレイヴの前に分厚い殻と鋏がある。人を狙って腕を伸ばしても、届く前に遮られてしまう。
「ぼくが、鋏を掴むよ!」
巨人の腕が向きを変えた。付け根の光の扉も、その動きについて通路を横切る。
人のいない場所から、カルキノスの横へ。
開いた掌が、鉄の鋏へ近づいた。
「そんなものまで掴めるか!」
グレイヴが叫んだ瞬間、鋏が回った。
指が硬い殻の上を滑る。
捕まえたと思ったのに、巨人の掌は空を掴んだ。
反対側の鋏が、ジノへ向く。
ジノは後ろへ足を引きかけた。
ルフが間へ踏み込み、石の翼で刃を受けた。
「ジノ! 俺たちがいる。慌てなくていい!」
アレンの声に、ジノは前を向いた。
ルフの羽の端が欠けている。
自分が外したせいで、また受けさせた。
その思いが先に立ち、巨人の指が拳を作りかける。ジノは、慌てて開いた。
「全部を掴もうとしないで!」
テオナが、鋏の後ろを指した。
「そこは丸いから滑るのよ。その後ろ、曲がるところ! そこなら細いでしょ!」
鋏と胴体の間に、甲の重なる継ぎ目があった。曲がるたびに、狭い隙間がのぞく。
ジノは、そこを目で追った。
細い。けれど、止まっていない。
「そこを狙えそうか?」
アレンに聞かれ、ジノは目を離さずに答えた。
「少しだけ、止まってくれたら」
「合わせよう」
*
アレンが、テオナへ目を向けた。
「俺が近づいたら、あいつの右手を止めてほしい。鍵を握り直される前に」
「わかったわ!」
蔓が床へ伏せた。カルキノスの脚の外側を回り、木箱の陰へ消える。
アレンは、ジノにも合図した。
「ルフが隙を作る。鋏の付け根を見ていてくれ」
ジノはうなずき、掌を少し開いた。
ルフの翼が、短く広がる。
人のいる柱から離れた向きへ、先の尖った石の羽が二枚、飛んだ。
――穿天石羽。
ヒュンッ!
一枚が鋏の付け根を打った。
二枚目が、重なった殻の縁に食い込む。
ガキンッ!
カルキノスが脚を踏み直した。鋏を引こうとして、関節の動きが一瞬詰まる。
今だ。
勢いよく伸ばしかけた巨人の腕を、ジノは途中で緩めた。
全部を握れば、また外す。
まず、親指と人差し指。
その間へ、細い付け根を入れる。
川辺で運んだ小石を思い出した。砕かず、落とさず、アレンの掌へ渡せた。
見なくてはいけないのは、指が触れるところだ。
「そこだ……!」
親指が下へ入った。
人差し指が上から添う。
甲の継ぎ目が、二本の指の間に収まった。残る指を、その後ろへ回す。
潰さない。
逃げようとする向きへ、動かさない。
「ここで、止める!」
鉄の鋏が、止まった。
――巨掌封縛。
「な……何だと!」
グレイヴの顔から、笑みが消えた。
カルキノスが、捕まった鋏を引く。黄金の腕輪がわずかに傾いた。
それでも、巨人の指は滑らなかった。
ジノは足を踏み直した。
手全体を握るのではなく、今、指が触れている場所を保つ。その形だけを、頭の中に置き続ける。
「アレン!」
アレンは、もう走っていた。
――第十五話・終
第15話「届くまで、離さない」を読んでくださり、ありがとうございます。
テオナが届けた道具を父親が使い、ジノが作った隙をアレンがつなぐ。
一人だけでは届かなかったところへ、少しずつ手が届いていきました。
ジノにとっては、川辺で練習した小石の扱いが、戦いの中で生きた回でもあります。
うまくいかなかった時間も、無駄ではなかったようです。
あと少し。助けたい人たちを外へ出すまで、三人の戦いは続きます。




