第11話 残された言葉
テオナは袖で目元を押さえた。
手紙を畳もうとしたとき、その下にまだ文字が続いていることに気づく。
逃げてきたことを責める言葉があったら。
戻れないほどのことが、書かれていたら。
読むのが怖かった。
それでも、父親が書いたものだった。
テオナは紙を広げ直した。
裏切りを知らせる文章の下に、小さな文字が並んでいる。
『レグナーは、私の話もよく聞いてくれた。お前だけが彼を信じたわけではない。』
テオナは、ゆっくり瞬きをした。
『追いつくのが遅くなっても、私を迎えに戻ってはいけない。まず、お前が安全な場所へ行きなさい。』
その先は、短い一行だった。
『また二人で、仕事をしよう。』
テオナの目から、涙が落ちた。
慌てて紙を離す。
濡らしたくなかった。
あの手で書いた、父親の文字を。
ジノは立ち上がらなかった。
テオナが顔を隠したまま息を整えるまで、岩のそばで待っていた。
*
しばらくして、街道から足音が近づいた。
知らせに走った畑の男性が、衛兵を連れて戻ってきた。
先頭の衛兵が、荷車の持ち主へ事情を尋ねる。
アレンも、三人の男たちの武器と依頼書を示して説明した。
「鍵を盗んだという話は?」と、衛兵は尋ねた。
「預けた人物も、盗まれた場所も答えません。父親の言葉だという話は、嘘だったと認めています」と、アレンは言った。
「この三人が、いきなり道をふさいだんです。避けようとしたら、車輪が溝にはまって。娘さんは、俺を逃がしてくれたんです」と、荷車の持ち主は言った。
衛兵は溝にはまった車軸を確かめ、三人の男たちへ向き直った。
外套の男は、もう何も言わなかった。
「娘を連れ帰れという依頼を、ベルカで受けたそうです。父親の道具も、依頼人から渡されたと......」と、アレンは言った。
「その依頼人も調べる必要があるな。詰所で、一人ずつ話を聞くとしよう」と、衛兵は言った。
アレンは依頼書を渡した。
待ち合わせ場所と依頼人の特徴は、追手から聞き取ったものを自分の手帳へ書き留めておく。
テオナは荷車のそばから、その様子を見ていた。
衛兵が彼女へ向き直る。
「君にも、あとで話を聞かせてもらいたい。今、動けるか?」
テオナは身を固くした。
アレンは彼女を見てから、衛兵へ答えた。
「けがと疲れがあります。少し休んでから、俺たちも詰所へ行きます。詳しい話は、そこで」
衛兵はテオナの手を見て、うなずいた。
「わかった。無理はするな。町の場所がわからなければ、詰所で道も教えよう」
テオナは、小さくうなずいた。
迷ったあと、手紙の名前があるところだけを開いて、衛兵へ見せた。
「レグナーって人の家から、逃げてきたの。父さんが、まだ捕まってるかもしれない」と、テオナは言った。
声が詰まり、ジノが彼女を見た。
テオナは、それでも続けた。
「ベルカの町外れ。川の橋に、片耳の欠けた犬の像がある。その向こうの家よ」
「わかった。その家の確認も手配する。詳しくは、詰所で聞かせてくれ」
衛兵は場所と名前を書き留め、ほかの衛兵へ伝えた。
テオナは手紙を閉じた。すぐに父親へ会えると決まったわけではない。それでも、自分一人で引き返す以外の方法が、一つできた。
衛兵たちは縄を確かめ、三人を立たせた。
アレンは、ルフへ目を向ける。
三人の身柄は衛兵が引き受けた。
アレンは、ルフが開いた扉へ帰る姿を頭に描いた。
石の鳥はアレンを見てから、ゆっくり翼を広げた。
枝へ触れない高さまで上がり、光の扉へ戻っていく。
アレンは金の神律の鍵を取り出し、逆へ捻った。
「施錠」
光が閉じた。
空へ伸びていた影がなくなり、林の中が少し明るくなった。
*
荷車の持ち主は、畑の男性と積荷をまとめ始めた。
荷物を下ろして軽くしてから、車輪を溝から引き上げるという。
テオナはそのそばへ立った。
「……あたしのせいで、壊されて」
「壊したのは、あいつらさ。君のせいじゃない」と、荷車の持ち主は言った。
男性は折れた車軸を持ち上げ、地面へ置いた。
「追われてるとは知らなかった。知ってりゃ、道を変えることもできたんだがな」と、荷車の持ち主は続けた。
テオナはうつむいた。
「次に誰かへ頼るときは、危ないことも話してくれ。助ける方も、考えられるんだからね」と、荷車の持ち主は続けた。
男性は散らばった袋を一つ、荷台へ載せた。
「それでも、逃がしてくれたことは忘れない。ありがとうな」と、荷車の持ち主は続けた。
テオナは、しばらくその手元を見ていた。
「……助けを、呼んできてくれて。ありがとう」
ようやく言うと、男性が笑った。
「ハハハ、お互いさまだ」と、荷車の持ち主は言った。
テオナは腰の道具袋へ触れた。
いつもなら、父親と修理を手伝っていただろう。
けれど、左手に力を入れると、まだ傷が痛んだ。
「直すの、手伝いたいけど……今は」と、テオナは言った。
「わかってる。今日は、その手を休ませてくれ」
テオナはうなずき、荷車から離れた。
*
アレンはジノの鞄を肩へかけた。
自分の荷物も持ち直し、街道へ向く。
「重くない?」と、ジノは尋ねた。
「荷物は、一度持っておく。痛みが引いたら返すよ」と、アレンは言った。
ジノは背中を動かし、まだ少し痛むことを確かめた。
「……ありがとう」
「まず詰所へ行こう。それから、ベルカだ」
テオナが顔を上げた。
「あんたたちも、行くの?」
「あの三人に仕事を頼んだ奴がいる。鍵を集めてる奴なら調べておく必要がある」
テオナの手が、銀の神律の鍵を押さえた。
「……ほかにも、あたしみたいな子がいるかもしれないってこと?」と、テオナは尋ねた。
「まだわからない。それを確かめるためにも、行かなきゃいけない」
テオナは畳んだ手紙をポーチへ収めた。
金属の筒も、その隣へ戻す。
父親がいた家へは、戻るなと書かれている。
でも、ほかの手がかりなら。
道具を持っていた男性たちへ仕事を頼んだ人物なら、父親について何か知っているかもしれない。
「……父さんを、捜したい」と、テオナは言った。
アレンとジノが、彼女を見た。
テオナは、街道へ目を向けた。
朝、逃げてきた道が、木々の向こうへ続いている。
一人で戻ったら、また同じことになるかもしれない。
また誰かを頼って、裏切られたら。
考えると、脚が動かなくなった。
テオナは言葉を継いだ。
「でも、あたし……」
言いかけて、口を閉じる。
ジノは急かさなかった。
アレンも、その場で待っていた。
テオナは二人を見た。
金の鍵を持っているのに、銀の鍵を取り上げなかったアレン。
自分を捕まえようとした男の腕を、素手で止めたジノ。
差し出された布も、水も、使うまで何も求められなかった。
だから大丈夫だと、まだ言い切れない。
それでも、二人が歩き出してしまう前に、言わなければと思った。
テオナは言葉を継いだ。
「……ベルカまで」
ジノがうなずく。
「一緒に行っても、いい?」と、テオナは尋ねた。
声は、小さかった。
「ああ。一緒に行こう!」と、アレンは言った。
ジノも、うなずいた。
「お父さんの手がかり、見つけようよ!」
テオナは口元へ力を入れた。
頬が、また熱くなりかけた。
「……ベルカまでだからね?!」と、テオナは言った。
「うん!!」
「まずは、そこまでだ」と、アレンは言った。
二人は、先の約束を求めなかった。
テオナは道具袋の紐を直し、街道へ足を踏み出した。
ジノとアレンの、少し後ろ。
声をかければ届く距離で、三人は歩き始めた。
*
街道が二つに分かれるところに、小さな詰所があった。
ベルカの町へ入る前の、街道の見張りと旅人への案内を兼ねた詰所だった。
石を積んだ低い建物の前に、槍を持つ衛兵が立っている。軒下の長椅子には、道を尋ねているらしい旅人が座っていた。
アレンが足を止める。
「ここだな」
ジノは隣でうなずいた。
少し遅れて、テオナも立ち止まる。
門の横へつながれた馬。
腰に剣を下げた衛兵。
それを一つずつ見てから、入口へ目を向けた。
アレンは言葉を継いだ。
「先に話してくる。二人はここで待っててくれ」
「……あたしも行く」と、テオナは言った。
声は小さかったが、足は動いた。
アレンはうなずき、入口の衛兵へ声をかけた。
*
林へ来た衛兵が、中から顔を出した。
三人に気づき、奥の卓へ招く。
「来てくれたか。まず、座ってくれ」と、詰所の衛兵は言った。
アレンは二つの鞄を椅子の脇へ下ろした。
ジノも腰を下ろそうとして、背中をかばった。
衛兵はその様子を見て、水と布を用意するよう同僚へ頼んだ。
「手当てをしながらでいい。無理に急いで話さなくていいからな」と、詰所の衛兵は続けた。
テオナは椅子へ浅く座った。
道具袋は、膝の上へ置いたままだった。
「父親と最後に一緒にいたのは、今朝、レグナーの家だね」と、詰所の衛兵は続けた。
「……うん」と、テオナは言った。
「どうして、その家へ?」
テオナの指が、袋の留め具へかかった。
ジノは横を向いたが、何も言わなかった。
「昨日、道に迷ったの。父さんが、その家の錠前を直して……そのお礼にって、泊めてもらったの」と、テオナは言った。
一度、息をつく。
テオナは言葉を継いだ。
「朝になったら、鍵を狙ってる連中が来てた。父さんは、あたしを裏から逃がして、自分は残ったの」
衛兵が紙へ書き留めた。
「父親は、普段から錠前を直す仕事を?」と、詰所の衛兵は尋ねた。
「そう。普通の鍵と錠前を、作ったり、直したり。あたしも手伝ってる」
「君のお父さんの服装や、見分けるための特徴を教えてくれるかい?」
テオナは父親の上着、道具鞄の形、背丈を順に説明した。
最後に、自分の右手へ指を当てる。
「ここに、古い火傷の痕がある。親指の付け根。仕事でついた痕よ」と、テオナは言った。
自分の指を見つめたまま、声が止まった。
昨日、父親と一緒に持った鞄が浮かぶ。
「わかった。確認に向かった者にも伝える」と、詰所の衛兵は言った。
テオナが顔を上げた。
「林から戻って、すぐにベルカへ騎馬の使いを出した。町の衛兵が、レグナーの家を調べている」と、詰所の衛兵は続けた。
「……もう、行ってくれてるの?」と、テオナは尋ねた。
「ああ。君が教えてくれた場所だ」
テオナは、膝の上で組んでいた指を少し緩めた。
「手紙も、事件に関係する部分だけ見せてもらえるかい? 全部をこちらに預ける必要はない」と、詰所の衛兵は続けた。
テオナはポーチへ手を入れた。
手紙を出し、レグナーについて書かれたところまで開く。
衛兵が読む間も、紙から手は離さなかった。
アレンは、自分の手帳を卓へ置いた。
「俺たちが聞いた話は、ここに。三人を雇ったのは、革の手袋をした男だそうです」
「あの男たちからも、別々に聞いている。話を突き合わせよう」
テオナは、アレンの手帳と、衛兵の書いた紙を見た。
自分が走って逃げている間は、誰に何を話せばいいのかさえ、わからなかった。
今は、自分の言ったことが、一つずつ書き留められていく。
「父さん……見つかるかな」と、テオナは言った。
衛兵は、すぐに大丈夫とは言わなかった。
「見つけるために、今、調べている。思い出したことがあれば、どんな小さなことでも話してくれ」と、詰所の衛兵は言った。
テオナはうなずいた。
――第11話・終
第11話「残された言葉」を読んでくださり、ありがとうございます。
読むのが怖かった手紙の続きに、父親の言葉が残っていました。
すぐに不安がなくなるわけではなくても、もう一度会いたいという気持ちが、テオナを動かしていきます。
周囲の人たちも、彼女の話を聞き、確かめ、捜し始めました。
一人で逃げていたときにはできなかったことが、少しずつ進んでいます。
父親へたどり着くために、三人は町へ向かいます。




