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第六章 シャワー室の密航者

 「そっか。蓮がそう言うなら、信じる。変なこと疑ってごめんね」ミカは俺の胸に頭を預けてきた。なんとか、本当に紙一重で、この夜の危機をすり抜けた。しかし、俺の心臓はさっきから早鐘を打ちっぱなしだ。なぜなら、ミカがこうして俺の胸にしがみついている間も、数メートル先の浴室の暗闇には、あのロリータ服の姫華が潜んでいる。「ねえ、蓮? なんだか体、すっごく強張ってるよ? 疲れちゃった?」胸元のミカが、不思議そうに顔を上げて俺を見つめようとする。「あ、いや! ほら、やっぱりさっきまで課題で神経尖らせてたからさ! ほら、ミカ、立ち話もなんだし、ベッドに座りなよ。ほら、ポテトもまだあるし!」「あー、走ってきたからちょっと汗かいちゃった。蓮、先にシャワー借りてもいい?」ミカが何気なく立ち上がり、浴室の方へ歩き出そうとした。「ッダメだ!!!!」俺は部屋を飛び越えるような勢いでミカの前に立ち塞がり、両手を広げて通せんぼした。「な、何? 急に大声出して……びっくりするじゃん」ミカが目を丸くして一歩退く。「いや、その! シャワー、今はダメなんだ!実はさっき、排水口の掃除をしようと思って、めちゃくちゃ強力な塩素系の洗剤をドバドバ撒いたばっかりでさ! 今入ると有害ガスとか、こう、匂いがすごくて目が痛くなるレベルなんだよ!あと一時間は放置して換気しないと、本当に危険なんだ!」「塩素系……? 蓮、今日はお掃除がんばりすぎじゃない?」



 ミカは怪訝そうな顔をしたが、俺の必死すぎる形相に押されたのか、「じゃあ、後でにする……」と大人しくベッドに戻ってくれた。浴室の中にいる姫華に、この嘘が聞こえていただろうか。頼むから中で物音一つ立てないでくれ。俺は心の中で、見たこともない神仏に祈りを捧げ続けた。時計の針は深夜十二時半を回った。テレビからは静かに深夜ニュースの音声が流れている。「ふぁ……。蓮、わたし、ちょっと眠くなってきちゃった。先にベッド入っていい?」「あぁ、もちろん! 疲れてるだろ、ゆっくり寝てくれ」ミカはウトウトしながらベッドに潜り込み、俺の掛け布団を頭まですっぽりと被った。数分もしないうちに、すぅ、すぅ、と規則正しい寝息が聞こえ始める。俺はベッドの脇に座り込み、ミカが完全に深い眠りに落ちるのを待った。十分、二十分三十分……。部屋の中にある置時計の、チクタクという秒針の音が、まるで爆弾のタイマーのように大きく響く。深夜一時すぎ。ミカの呼吸は完全に深く、安定したものになった。



 「……今だ……っ」俺は音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、まずは靴箱から、さっき必死で隠した姫華の隠しておいた靴を静かに取り出した。それをしっかりと腕に抱え、忍び足で浴室のドアへと向かう。ドアノブをミリ単位の速度で回し、ゆっくりと開ける。浴室の電気は消えていたが、わずかに漏れる部屋の明かりの中に、浴槽の縁にちょこんと体育座りをしている姫華の姿が浮かび上がった。ピンクのフリルが、暗闇の中でかすかに揺れる。「蓮くん、遅いよ……」姫華が蚊の鳴くような声で耳元に囁いてきた。怒っている様子はなく、むしろこの状況を楽しんでいるような、いたずらっぽい瞳だ。「静かにしろ、ミカが寝てるんだ……! ほら、これ持ってすぐ出ろ!」俺は腕に抱えていた厚底パンプスを、彼女の手に手渡した。姫華はその靴を受け取ると、「ありがと」と声に出さずに唇を動かした。



 彼女の手を引き、音を立てないように浴室から出す。一歩、また一歩。フローリングが小さくきしむ音すら、今の俺にとっては心臓が止まるほどの爆音に聞こえた。ベッドの上では、ミカが寝返りを打った。その瞬間、俺と姫華は完全に動きを止め、石のように硬直した。ミカのツインテールがシーツから覗く。……起きない。セーフだ。玄関のドアの前まで辿り着き、俺はそっとドアを開けた。外のひんやりとした深夜の空気が、部屋の中に流れ込んでくる。姫華は玄関のたたきで、手渡された厚底パンプスに素早く足を通した。そして、外の共有廊下に一歩踏み出したところで、不意に振り返り、俺の首元に顔を近づけてきた。ちゅ、と、昨夜と同じ甘い音が、俺の耳元で小さく弾けた。「っ……!?」驚いて目を見開く俺に、姫華は声を立てずにクスクスと笑いながら、スマホの画面を俺に見せてきた。いつの間にか少しだけ充電が復活したらしい画面には、俺の連絡先が表示されている。



 「また明日、大学でね。お金、ありがと」そう唇の動きだけで告げると、お人形さんのようなロリータの少女は、深夜の暗闇の中へと静かに消えていった。カチャリ、とチェーンが戻る音を確認し、俺はその場に座り込んで激しい息を吐き出した。なんとか、本当に奇跡的に、ミカにバレることなく姫華を外へ逃がすことに成功したのだ。しかし、嵐が去ったわけではない。明日になれば、また大学の同じ学科の教室で、俺は大輝と並び、姫華と同じ空気を吸うことになる。そして、俺の隣には、まだ何も知らない彼女であるミカが眠っている。絡み合った嘘の糸は、解けるどころか、さらに複雑に俺の首を締め付けようとしていた。



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