第四章 粘着ローラーと消臭剤の円舞曲
ワクドナルドを飛び出した俺は、文字通り全力疾走で駅前のドラッグストアへと滑り込んだ。タイムリミットまであと数時間。猶予は全くない。カゴをひっつかみ、一目散にお掃除コーナーへ向かう。「ええっと、正式名称なんだっけ……粘着カーペットクリーナー? いや、粘着ローラーか?……いや、もうコロコロでいい!」名前なんてどうでもいい。俺は棚にあったコロコロの本体を一個、そして極太のスペアテープを三個、鷲掴みにしてカゴに放り込んだ。さらに強力な布用消臭スプレーを二本、仕上げに異臭を誤魔化すためのお香(ホワイトムスクの香り)をカゴに叩き込み、レジへ猛ダッシュした。店員に変な目で見られた気がするが、知ったことか。俺は今、命がかかっているんだ。アパートの鍵を荒々しく開け、部屋に飛び込む。まずは最重要にして、最大の危険エリアのベッド周辺のチェックだ。「よし、やるぞ……!」俺はセミダブルの敷布団と掛け布団、枕をひっつかんでベランダへ躍り出た。夜の住宅街にパンパンと小気味いい音が響き渡る。姫華の気配を、埃ごと地球の裏側まで吹き飛ばす勢いで叩いた。部屋に布団を戻してからは、地獄のコロコロタイムだ。 右手にコロコロ、左手に消臭スプレー。シートをベリベリとめくっては、新しい粘着面でシーツや枕を死ぬほど往復させる。姫華の栗色のカーリーヘアが一本でも残っていたら、その時点で俺の人生はゲームオーバーだ。目を皿のようにして、一ミリの妥協も許さずコロコロをかけ、これでもかと消臭剤を噴射する。
ベッドが終われば、次は部屋のあらゆる場所の総点検だ。「右手にコロコロ、左手に消臭剤」の二丁拳銃スタイルで、床を這いつくばる。玄関の靴箱の中、姫華が靴を脱いだ時にフリルの糸屑が落ちていないか?タンスの隙間、服を着替えた時に何か落としていないか?) トイレの便座の裏、浴室の排水口。長い髪の毛が詰まっていないか?。狂ったようにチェックを続け、部屋中にシュッシュと消臭剤の嵐を巻き起こす。最後に、部屋の隅でお香に火をつけた。ゆっくりと立ち上る煙が、昨日ここで起きた生々しい熱と、姫華の甘い香水の匂いを覆い隠していく。
ハァ、ハァ、と荒い息を吐きながら、俺は床に大の字に寝転んだ。時計の針は十時四十分。部屋は、これまでにないほどピカピカで、お香の高尚な香りに包まれている。完璧だ。どこからどう見ても、昨日ここでロリータ服の女の子と朝まで過ごした部屋には見えない。「……いつでも来い、ミカ」覚悟を決めたその瞬間、ポケットのスマホがピコンと小気味いい音を立てた。飛び起きるようにして画面を見る。ミカからのLINEだった。恐る恐る通知を開く。「ごめん! 今日バイト長引きそうだし、終わったらすっごい疲れそうだから、お泊まりはまた今度にするね! 課題がんばってね、おやすみ!」
「…………は?」スマホを見つめたまま、俺の思考が完全に停止した。静まり返ったワンルーム。無駄に綺麗になった部屋。漂うホワイトムスクの香り。そして、握りしめられた4本目のコロコロの芯。「……いや、助かったけどさぁ!!」緊張の糸が一気に切れ、俺はそのまま床に崩れ落ちた。最悪の修羅場は回避された。しかし、ホッとしたのも束の間、俺の脳裏に、昼間の食堂でのミカの鋭い視線がよみがえる。今回は運良くすり抜けただけだ。 隠蔽工作は、まだ始まったばかり。時計の針は、俺の焦りなど置き去りにして、無慈悲に右側へ進み続けていた。




