第一章 歯車の和解
ベッドの上のロリータ人形の姫華が、ゆっくりと目を覚まし、世界で一番無邪気な笑顔を俺に向けた。 床に座り込んで頭を抱える俺を、彼女は不思議そうに見つめている。「……あ、あぁ。おはよう、姫華」引きつった声で答えるのが精一杯だった。頭の中では、ミカの般若のような怒り顔と、大輝の絶望した顔が交互にフラッシュバックしている。一刻も早く、姫華に服を着てもらって、この部屋から脱出させなければならない。それが隠蔽工作の第一歩だ。しかし、そんな俺の焦りを見透かすように、姫華はシーツを体に巻き付けたまま、ベッドの端までにじり寄ってきた。ふわりと、昨夜からずっと俺の鼻腔をくすぐっている甘い香りが広がる。「蓮くん、そんなところで何してるの? 寒くない?」「いや、ちょっと、目が覚めちまって……」言いかける俺の言葉は、それ以上続かなかった。ベッドの縁に腰掛けた姫華が、床に座る俺の首に細い腕を絡め、上から包み込むようにして、その唇を重ねてきたからだ。「っ……!?」ちゅ、と小さく可愛い音が静かなワンルームに響く。昨夜の情事が酒の勢いの事故ではなかったと、脳細胞の隅々にまで叩きつけるような、柔らかくて確かなキス。唇が離れる。至近距離で見つめてくる姫華の瞳は、朝の光を浴びて、まるで濡れたガラス細工のように綺麗だった。彼女は俺の頬にそっと手を添え、ふふ、と小悪魔のように微笑んだ。
「これで、確信犯だね」「え……」「お酒のせいにも、大輝に振られた寂しさのせいにもできない。蓮くんは、自分の意志で私にキスした。……違う?」心臓が、ドクンと大きなリズムを刻んだ。耳の奥で、警報のような鼓動がうるさく鳴り響く。そうだ。言い訳の余地は完全に消えた。朝、互いに正気へと戻ったこの状況で、俺は彼女のキスを拒まなかった。それどころか、その甘さに一瞬だけ身体を委ねてしまった。「ミカちゃんには、絶対に内緒。もちろん、大輝にも」姫華は俺の胸元に指先を這わせながら、囁くように言った。「二人だけの秘密のままで……私たち、付き合っちゃお?」その提案は、悪魔の契約書と同じだった。 ミカと別れるわけじゃない。大輝に打ち明けるわけでもない。全員を騙し通したまま、同じ学科の教室で、俺と姫華は裏の恋人同士になるということ。あまりにもリスクが高すぎる。バレたら一発で人生が終了する。常識的な理性が断れと叫んでいた。だが、目の前でシーツ一枚を纏い、潤んだ瞳で俺の答えを待っているロリータ人形の魅力に、俺の貧弱な意志はあっさりと屈服した。「……あぁ。二人だけの、秘密だ」ごくり、と唾を飲み込んで、俺は合意の言葉を口にしていた。カチリ、と最悪な方向に噛み合った運命の歯車が、音を立てて回り出す。
俺の返行を聞いた姫華は、満足そうに目を細めると、俺の腕をぐいと引っ張った。「決まり。……じゃあさ、今日は学校さぼっちゃおうか」甘い誘惑と共に、俺は再び、温かい布団の中へと引きずり込まれていく。時計の針が進む右側には、破滅しか待っていないと分かっているのに、俺はまた、消えない熱の中に溺れていった。




