ホタルの乱舞
それからの舞子の行動は早かった。
城田の人脈を駆使して、ファイナンシャルプランナーに相談をした。
決して安くはなかったが、パートで稼いだお金は、服を買った以外使っていなかった。それを充てた。
何かに取りつかれたようだった。
亮介を説得するためにも、材料が必要だった。
マンションを売却するのか、賃貸で貸すのか、いくらまでの家なら買うことができるのか。
それに伴って、舞子が月々どれくらい稼げば、家計として成り立つのか。
そういった事を細かくチェックしてもらった。
城田も最初は、冗談かと思っていたようだが、日々、家を建てるために行動を起こしている舞子を見て、いろいろと手伝ってくれたのだ。
舞子は、出会いの不思議さを思わずにはいられなかった。
階下の庭に芝を張っていなかったら、モデルハウスに行っていなければ、城田から話を聞かなければ・・。
そういったいくつもの必然が重なって、今の自分がある。
桜木との出会いもそうだ。
桜木と出会わなければ、自分は変われなかったはずだ。
ずっと、今も同じような日常を過ごし、のんびりとした毎日を過ごしていたはずだ。
だが、時は確実に過ぎる。
人生の折り返し地点まできてしまったのだ。
あと残りの人生を後悔したくなんかない。ぼやぼやしている暇などないのだ。
その思いが、異常なほど舞子を突き動かした。
きっと、亮介は反対するだろう。
何をバカな事を言っているのだと呆れ果てるだろう。
でも、伝えるしかない。今の自分の気持ちを。
今まで、亮介と真剣に向き合って話し合った事がないような気がする。
浮気を疑った時も、最後はうやむやに終わった。
亮介を信じたからじゃない。
亮介の機嫌が悪くなって風通しの悪い家になるのが怖かったのだ。
そう。そうやって、今まで私は、自分の心の奥底にあるものに気づかないふりをして生きてきた。
今度は、きっと伝える。
これから何十年も一緒にいるのだから。
蒸し暑い夜だった。
こんな夜は、ホタルが乱舞する。
結婚相手を見つけやすい絶好の気候なのだろう。
1~2匹見つけたと思うと、瞬く間に川面を光が埋め尽くした。
「うわ~っ、すごいね~」
蓮が感嘆の声を上げた。
そして、もっと近くで見ようと、草をなぎ倒して、川の方へ向かってズンズン歩き始めた。
このままでは、見失ってしまう。
「亮介~、蓮が川に近づかないよう見ててね~」
そう声をかけ、慌てて追いかけた。
この光の舞を見たら、誰でも一緒に踊りたくもなるだろう。
なんて美しいのだろう。
クリスマスイルミネーションほどの毒々しさは全くなく、独特のリズムを刻みながら光ったり消えたりする様は、とても儚い。
この世のものとも思えない光景に、しばし声を失った。
目の前に一匹のホタルが飛んできた。
蓮がすばやく両手で捕まえた。
「お母さん、捕った。捕ったよ~」
うれしそうのはしゃぐ蓮。
そ~っと、手のひらの宝物をのぞき込むように手を開いた。
そこには、光ったり消えたりする黒い小さな生き物がちょこんと乗っていた。
「うわ。虫だ」
蓮がびっくりしたように言った。
蓮は少々虫が苦手だ。
ホタルを見たのは初めてだったので、そんな反応が当たり前だ。
火の玉のようなものを想像していたのだろうか。
「飛んでるとキレイだけど、捕まえたら全然キレイじゃないね」
そう。ただ遠くに見ているだけだから、キレイ。
捕まえて、よくよく観察してみると、単なる黒い小さな物体に過ぎない。
爽太郎は中学生になった。
亮介が、
「この近くにホタルの名所があるから行こう」
と誘ったのだが、部活動に忙しくなった爽太郎はあっさりと断った。
思春期の子供は、もう親と出かけるのが恥ずかしいのだろう。
蓮は『行く』と即答だった。まだまだ小学3年生だ。
ホタル祭りが行われている会場は、屋台なども出ていて、たくさんの人で賑わっていた。
だが、そこから少し離れた場所が、ホタルの飛来するポイントだ。
ホタルの光を見るために、懐中電灯をつけずに、気を付けて川べりを進む。
そこへ、イルミネーションのような光の洪水を見たのだ。
蓮が走り出すのもわからないではない。
今日、何匹、いや、何十匹、何百匹のホタルのカップルができるのだろう。
ホタルは、何を基準に相手を選んでいるのだろう。
オスのホタルは、飛びながら光を発して一生懸命自分をアピールする。
メスはその光だけを頼りに、オスを選ぶ。
顔も見ず、光だけが選ぶポイント。
自分の子孫を確実に残すために、いい遺伝子を持ったオスを何を見て見極めるのだろう。
人間には同じに見える光り方でも、ホタルたちにとっては、すべて違う光なのだろうか。
桜木が離婚した。
マンションの一階の部屋が売りにでており、管理組合の高田さんに聞いたところ、そういうことだった。
桜木たちが出て行ったあと、数年は賃貸物件として貸し出されていて、誰かしら入居していた。
今回、離婚するに当たって、財産を処分することになったのだろう。
瑞樹くんは、まだ小学校入学前ではなかろうか。
やはり、桜木は家庭に収まる人ではなかった。
美咲は夫となるべき人物を見極めることができなかった。
結婚という定義でいけば、美咲はオスを選び損ねたことになるのだろう。
優秀な遺伝子を残したという点だけ見れば、瑞樹くんというかけがえのない宝物は残った。
美しい美咲のことだ。きっとまた幸せを手に入れることができるはずだ。
美しさは女の武器。それを美咲は十分に生かすことができる。
蓮が握りしめている黒い物体を見て思った。
遠くで見ている時には、キラキラと輝いていたのに、手に入れてじっと見てみると、ただの黒い物体にすぎなかった。
舞子は、そんな小さな黒い物体に憧れていたに過ぎなかったのだ。
隣の芝生は青く見えるというが、その通りだ。
ただ単に、青く見えただけ。
他の人のものは、自分のものよりもよく見えただけだ。
何てことはない。自分にとって大切なものは、ここにあったのだ。
それに気づかなかっただけのこと。
舞子は、ホタルを大事そうに持っている蓮に声をかけた。
「蓮、ずっと手の中に持ってると、ホタルね、弱って死んじゃうよ。放してあげて」
蓮は、手に入れた宝物を手放したくない様子だったが、やはり死んでしまうのはかわいそうだ。
もう一度、黒いホタルをじっと見た。そして、決心したように、大きく頷き、
「さあ、飛んでいけ~」
と、両手を開いて空に放りなげた。
ふらふら~っと、ホタルは夜空に飛んで行った。
そして、サヨナラ・・と言っているように、ピカピカと光った。
舞子の心からも桜木が完全に飛び去って行くのを感じた。
サヨウナラ・・。




