城田との会話
今、斎藤と一緒に笑っていられる自分で本当によかった。
桜木は東京へ異動だと言った。
あのマンションはどうするのだろうか。まだ入居して一年も経っていない。
それに、妻の美咲は、この騒動を知っているのか。
知っていて、一緒に東京へ着いていくのか。美咲を不憫に思った。
手当たり次第に声をかけるような男だ。
しかも、あの豹変ぶりから察するにDV夫の可能性もある。
苦労していないはずがない。
苦情の手紙を書いてよこしたのも、精神的につらかったのかもしれない。
いや、それは、うちの子たちがうるさかったからだ。
線の細い美咲を思い出した。
そして、瑞樹くんを肩車していた桜木も。
案外、家では、よき夫、いいパパだったのかもしれない。
そうあってほしいと願う。
これだけ遊び人の桜木だが、やはり妻としては、この事実を知りたくはないだろう。
怪しい・・とは思っていても、事実を突きつけてほしくはない。
かつて、自分がそう思ったように、美咲もそう思っているに違いない。
「そうだ。田中さん辞めちゃったから、一色さん、長期パートで入ったらどう?」
斎藤が、さも名案だと言わんばかりの顔で聞いてきた。
桜木との事がなければ、喜んで受けただろう。
だが、今となっては、もう桜木を連想させるものに関わるのはよそうと思っている。
やはり、まだ舞子も心の整理がついていないようだ。
ただ、あれだけ強烈にイメージを崩してくれたせいで、泣くこともなかった。
反対に、一刻でも惹かれていた自分は、見る目が無かったんだな・・と妙に客観的に見て苦笑することができた。
あの夜、家に帰ると、亮介は椅子に座ってテレビを見ていたが、早く帰ってきた舞子に驚いた様子だった。
いつもの飲み会ならば、二次会まで行って12時前に帰るのが定番だ。
今回は、予定の二次会が無くなったので帰宅も10時前だった。
さすがに、バツが悪くて、顔を合わせたくなかったのだが。
「ただいま」
とだけ言って、すぐにお風呂に入った。
すべてを流し去りたい気分だった。
自分の体の中の醜い部分がすべて流れ出て新しいキレイな細胞に生まれ変わってほしかった。
よかった・・・。
心からそう思った。
あのまま桜木と夜の街へ消えていたならば、次の朝、亮介とどんな顔をして会えばいいというのか。
満ち足りた表情をしていただろうか。
それとも、罪悪感に苛まれた顔?
私は、自分の意思でここに戻った。大丈夫。
桜木に惹かれたのも自分。抱擁を交わし、キスをしたのも自分。
そして、桜木の申し出を断ったのも自分。
大丈夫。私はここに立っている。
お風呂から上がると、亮介はまだ寝ておらず、焼酎のお湯割りを飲んでいた。
できれば、まだ顔を合わせたくはなかったのだが、仕方ない。
「早かったね。二次会なかったの?母たちだけなら二次会もないのか・・」
そうだ。亮介にはPTA本部女子送別会と言ってあった。
一応、男抜きだという事をアピールしたかったので、敢えてそう言っていた。
「飲み過ぎた?なんか疲れてるぞ」
そう言いながら、舞子の顔をじっと見た。
「うん。飲み過ぎてはないけど、なんか疲れた。人間の嫌な部分見ちゃった・・」
そうつぶやいた。
「そうか・・。まあ、人間いろいろあるよな」
舞子が何か嫌な思いをしたらしいことを亮介は察した。
だが、これ以上何も聞かない。これが亮介だ。
舞子もそれがわかっているからこそ、そうつぶやいたのだ。
答えを期待しているのではない。
ただ、抱えきれない心の叫びを人に言いたかっただけだ。
「じゃあ、オレ、先に寝るから」
歯磨きを終えてコップを流しに置く、コツンという音がした。
「うん。おやすみ」
舞子がそう言った後、寝室の扉が閉まる音が聞こえた。
舞子は、ソファに座り、静かに目を閉じて大きく息を吐いた。
新しい年度が始まった。
爽太郎は4年生に、蓮は年長さんに上がった。
PTA本部には、新たに城田を迎え、新体制での活動が始まった。
実際には、年度末から本部の仕事は忙しくなるので、城田も参加していた。
斎藤が引退してしまったのが、舞子にとってはさみしかったが、仕方のないことだ。
もう、ベテランの域に入った舞子が、城田にあれこれと支持を出す立場で教えていた。
「城田さん、ずっと本部の仕事に来てもらってるけど、仕事は大丈夫?」
「うん。大丈夫。3月までの営業目標は達成してたから、休みもスムーズに取れたし。今月もアテがあるから、大丈夫そう」
そんなの大したことないわよ・・といった雰囲気で平然と話す城田は、恰好よかった。
だが、続けて、
「一色さん、働いてないんだよね?暇じゃない?」
そう言われ、言葉につまった。
暇・・か。
「うん。短期で働いたりはしたんだけど、フルタイムとなると、子供のこととかあって、なかなか踏み出せないのよねー」
「そうか。実家福岡だったもんね。うちは、実家が近いから、遅くなる時に親に預かったりしてもらえたからね。旦那さんは、見てくれない人なの?」
「う~ん。子供が熱だしたからって私と交代で休みを取ったりはしないと思う。ずっと共働きで働いてきて、給料もそこそこ同じくらい取ってる妻なら同じ土俵で、同じように交代で休みを取るんだろうけどね。家の屋台骨として働いているのが旦那である以上、私が休むことになるよね」
城田がクスクスと笑った。
「一色さん、それ違うからー。我が家は、バリバリの共働きだったよ。以前は東京で暮らしてたのよ。しかも、結構有名企業で、夫婦同じ会社。同じ職種だったから、給料も一緒。年齢が上な分、私の方が高かった」
「え?いくつ上だったの?」
「・・七歳。結構離れてるでしょう?ちょっと驚くよね」
思わず、舞子は吹き出しそうになった。
どうして、こうも7歳年上女が続くのだろうか。
何かの因縁ではないかと思いたくなる。
「うん。私の周りでご主人より七歳年上の奥さんって聞かないなー」
「結婚するまでは、年の差なんてあまり気にすることもなかったんだけど、結婚してから綻びが出て来た」
「付き合う分にはよかったってこと?」
「そう。一緒に生活すると、七歳下だから甘えてくるのよ。だから、なんとなく可愛くて、家事全般私がやってたの。しばらくはそれでよかったんだけど、子供が生まれて激変よ」
城田は、思い出したように身震いした。
「子供が子供作っちゃったのよね。ヤツは25歳で、まだ周りは独身だらけで夜も遊び回る。方や私は、朝から晩まで家事、育児。もちろん、以前からヤツは家事なんかしてないから、育児の労力がそのまま増えた」
ヤツ・・という呼び方に、城田の元旦那に対する気持ちが表れていると思った。
「でも、それでもまだ我慢できたの。でも、育休明けて私が仕事を始めたら、もう限界だったわ。家事、育児、仕事、プラス旦那の世話。回るわけないのよ。もうね、口を開けばケンカで、家庭内別居状態になって、離婚」
城田は、もうこりごり、といった表情を見せた。
舞子は城田の話を聞きながら、共働きなら・・なんて甘い考えだった自分は、何もわかってないと思った。
「それで、結局、子供育てながら前の会社に居続けることができずに、辞めて実家のある群馬に帰ってきたってわけ。でも、ここって田舎だから、いい就職先無くてねー。苦労したわー。自分でもキャバ嬢やるなんて思わなかったわよ。30も過ぎてさ」
確かに、キャバ嬢と言えば、二十代の若い子がやるものだというイメージがある。
行ったことがないのでわからないが、男たちは何をしにキャバクラへ行くのだろう。
スナックのホステスと何が違うのだろう。
「一色さんとこは、波風なんて無さそうねー。まあ、うちみたいなお子ちゃま旦那じゃなければ、うまくいくんだろうなー。あと、マザコンもダメよね」
「波風はないけど、なんだか、私の人生、これでよかったのかなーってふと思うことはあるわね」
そう。舞子だけではなく、世の既婚女性のほとんどが、『この人でよかったんだろうか。他の人と結婚していたら別の違った人生があったのではないだろうか』と思っている。
『この人と結婚できてよかった。これ以上の人はいない』と声をはりあげ、手を挙げることができる人はどれくらいいるのだろう。
舞子はまだ、そんな人にお目にかかったことが無い。
「そうそう、これ。モデルハウスの招待券があるの。上得意さま用の招待券だから、行くだけで、立派な箱入りのお菓子がもらえるわよ。お客さんからもらったの。うちは行かないからよかったらどうぞ」
そう言って、封筒に入った招待状を城田が舞子に渡した。
ガトー原田のラスクの詰め合わせがもらえるらしい。
「え?いいの?でも、これって、行ったら、ハウスメーカーの人から、ガンガン電話がかかってくるのよね」
そういうのはちょっと苦手だ。
「うん。かかってくるとは思うけど、電話かかってくるのは2週間くらいだから、その間留守電にしておけばいいよ。わざわざ訪問してくる人はいないから」
さすが、外車のディーラー。営業のノウハウをよくわかっていらっしゃる。
「家見るだけでも、結構楽しいよ」
「でも、うち、もうマンション買っちゃったんだけど」
「大丈夫。テーマパークに行くようなもんよ。モデルハウスみたいな大きな家にはおよそ住むことはないから、ちょっと夢見る感じでいいのよ。近くの夢の国」
城田は、外車のディーラーではなく、ハウスメーカーの人みたいだ。
客である社長さんから、誰でもいいからサクラを連れてくるよう頼まれているのかもしれないな、と思った。
まあ、それでもいい。
ガトー原田のラスクをもらえるのは魅力的だし、子供を連れて、少し遊びに行く感覚で楽しいかもしれない。
土曜日の予定は決まった。




