桜木とのデート
2月3日
1日経ったとはいえ、亮介の感触が体にまとわりついていて、ふと思い出す。
とうとうこの日が来てしまった。
朝、亮介には、
「ちゃんと6時過ぎには帰って来てね」
と、改めて念押しをした。
7時までに高崎駅に着かなければならない。
6時半に自宅を出れば、ギリギリ間に合う。
一日中、緊張して何も手につかないかと思っていたのだが、返って、テキパキと物事がはかどった。 今、目の前の事に集中することで、余計な事は考えないようにしていたのかもしれない。
時間も刻々と過ぎていった。
夕飯の支度などをしていると、あっという間に5時を回った。
気持ちを落ち着けるために、鏡の前に立って、念入りに化粧をした。
いつもはつけないマスカラも丁寧に塗った。
口紅も少し赤い色を選んだ。
爪にはマニキュアを塗りたかったが、さすがに、送別会に行くくらいで着飾りすぎだろう。
先日買ったターコイズブルーのニットを着て、白のフレアースカートをはいた。
スカートの下は、タイツにしようか、ストッキングにしようかと迷ったが、やはり冬にストッキングでは寒すぎる。
新しい服を着た舞子に、
「お母さん、新しいお洋服だね」
と、爽太郎が後ろから声をかけてきた。
服になど関心がないと思っていたが、舞子が着るにしてはめずらしい色合いなので、目に入ったのだろう。
「うん。今日、お母さん、飲み会があるから、お父さんが帰ってきたら出かけるからね。お父さんと一緒にご飯食べておいてね」
「え?お父さん帰ってくるの?やったー」
喜ぶ蓮。
残念ながら、蓮が喜んでいるのは、亮介ではなく、亮介が買ってくるアイスだ。
早く帰宅する時には必ず買ってくる。
「アイスは、ご飯の後だからね。わかってるよね」
「わかってるよ~」
もちろんだと言わんばかりの顔だ。
亮介からラインが入った。
「今から会社を出る」
時刻は6時5分。
これから、コンビニでアイスを買って帰ってきたら、家に着くのは6時半だ。
少し駅まで走ることになるかもしれない。
亮介が帰ってくるまで、何度も時計を見た。
一分一分が長く感じられた。
舞子は、コートを着て、すぐに出かけられるようにしていた。
コートを着ていたのは、新調した服を見られたくないという意図もあった。
しかも、舞子らしからぬターコイズブルーだ。下手に探りを入れられたくない。
鏡と時計を交互に見る。
何度見ても変わるはずはないのだが、そうせずにはいられなかった。気持ちだけが焦る。
玄関の鍵がガチャガチャと音を立てた。
リビングからダッシュで玄関へ向かう。
亮介が扉を開けて入ってくるのを待ちかねたように、
「おかえり」
と言うが早いか、『ただいま』の言葉も言わせず、バッグを持ってショートブーツを履き、
「ギリギリだから行くね。あと、よろしくー」
そう言って、外に飛び出した。
駅まで徒歩10分。少し走れば間に合う。
高崎駅には7時少し前に着いた。
トイレに寄って、もう一度化粧の具合をチェックした。
駅まで走ったせいで、乱れていないだろうか。
久々につけたマスカラがパンダになっていないか心配だった。
南口はすぐにわかった。
だが、ここで待っていては、高崎支社の人と偶然会う可能性もある。
高崎支社長と前橋のパートが一緒にいては、さすがに変に思うだろう。
少し、周りをウロウロしていると、メールが入った。
「南口にいるの見えた。駅を出て左に曲がって百メートルほど進んだところに『楡の木』というお店がある。先に入ってるから、5分ほど待ってから来て」
一体、どこから見ていたのだろう。
やはり、桜木は用意周到だ。
舞子が一人でいる事を確認した上で、メールをよこした。
文面も、心なしか、くだけた感じになっている。
もう『アトリエ桜木』と書く必要はなかった。
店はすぐにわかった。
白い外観で入り口には、大きな観葉植物が置いてあった。
フランスの国旗がかかっているところを見る限り、フランス料理の店なのだろう。
もちろん、舞子は初めて来るお店だ。
入り口の扉を開けると、店主らしい年配の男性が待っていた。
舞子が何か言う前に、
「どうぞこちらへ」
と言われ、個室に案内された。
店内は、テーブル席が8つほどあった。
そのうちの半分はカップルや女性グループで埋まっていた。
見たところ、かしこまった格式高いフランス料理ではなさそうだ。
少し安心した。
個室は奥に1つあるだけだった。
店主が扉を開け、中へ入るよう促された。
中では、桜木が座って待っていた。
「どうも」
というような表情を見せた。
「コートをお預かりします」
店主に言われて、慌てて脱いで手渡した。
丁寧に、椅子を引いてくれて、舞子が座るまで隣で待っていた。
コートをハンガーにかけ、飲み物のメニューを置いて、後でオーダーを取りに来ると言って出て行くまで、息がつけなかった。
扉が閉まった途端、
「はあ~」
大きなため息をついた。
「そんなに緊張しなくても」
そう言いながら、桜木はおかしそうに笑った。
「だって、個室でフランス料理なんて数年ぶりで、緊張くらいしますよ」
「いや、ここはそんなに格式ばったお店じゃないから大丈夫だよ。すぐわかった?」
「はい。すぐわかりました。フランス料理っていうのが意外でしたけど」
「何だと思った?」
「居酒屋か小料理屋くらいを想像してました」
「いやいや、最初のデートに居酒屋はないよ」
さらりと言う。デート。
そんな言葉を使われると、桜木を意識してしまうではないか。
「これは、デートなんですか?」
敢えて挑発してみた。
「デートでしょう?一色さん、気合入ってるよ」
そう言って、ニヤニヤしている。
そうだ。
こんな百戦錬磨の男性に舞子ごときがかなうはずもないのだ。
「やっぱり、わかりますか・・」
早々に白旗を上げた。
「その色、似あってるよ。いい色だね」
そんな事を言われて、どう答えればいいというのだ。
思わず、下を向いてしまった。
褒められることに慣れていないのだから。
コンコンコン、とノックの後「失礼します」と言って、店主が前菜の皿を持ってやってきた。
「前菜の盛り合わせでございます。手前からスモークサーモンのマリネ、ローストビーフ、かいわれの生ハム巻き、わかさぎのエスカベッシュになります。お飲み物は何かお決まりでしょうか?」
「うーん。最初はビール飲みたいなー。一色さんは?」
「私もビールで」
「はい。かしこまりました」
扉が閉まるのを確認して、
「ビールでも大丈夫なんですか?雰囲気的にワインかと・・」
「ビールは普通だよ。うんちく垂れるような芸能人じゃないんだから」
さすがに最初からワインだと困る。
お酒が回って、一気に酔ってしまう。
この喉の渇きを潤すためにもビールで有り難かった。
「そういえば、高崎駅のどこから見てたんですか?」
「コンビニで見張ってたよ。さすがに、支社の近くだからね。一色さんと待ち合わせてる所を見られたらまずいよね」
「ですよね。私も同じこと考えていました。だから、改札口で待ってていいのか迷ってて」
「だから、メールしたでしょう?不安げにキョロキョロしてるから、かわいそうになって」
そう言って、桜木はクスクスと笑う。
「ひど~い。それって盗み見ですよ」
そう言ってふくれて見せた。
ノックの音がして、再び店主が入ってきた。
小ぶりのグラスにきれいな泡が立ったビールが注がれている。
二人で、グラスを持ってみたが、何と言えばいいのか・・。
「お疲れさまです・・?」
と迷いながら言ったが、
「乾杯。でしょう?」
そう言って、桜木は自分のグラスを舞子のグラスにコツンと当てた。
料理は、すばらしく美味しかった。
前菜がすべて美味しかったので、メイン料理にも期待が持てた。
桜木は、この店の常連のようで、慣れた様子だった。
接待に使うこともあるのだと言った。
「ワインでも頼む?」
「はい」
「ボトル入れて大丈夫だよね。いける口だったでしょう?」
「ええ。ビールとワインくらいなら酔わない自信があります」
「変な自信だなー。そんな自信は要らないから。少しは酔っぱらってくれないと。いいムードにならないでしょう?」
やれやれといった表情で笑っていた。
そう。舞子もそう思った。
やはり、最初にワインを飲むべきだったのかもしれない。
どうにかして勢いをつけなければ、次には進めない。




