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階下の庭は青く輝く  作者: 森の 緑


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3/9

PTA本部役員になるなんて

 爽太郎の通う小学校では、2か月に1度、保護者役員の会議が開かれる。

 クラスで選出された厚生、広報、環境、代表委員の4人が集まり、各行事の進め方を決めるのだ。

 午前10時から12時までだ。

 この時間帯は、仕事を持つ母からは不評だ。それもそうだろう。どう考えても昭和だ。

 専業主婦が大半を占めていた、その昔であるならば、それもありだろう。

 だが、クラスの大半の母が仕事をしている現在。休みを取るのは容易ではないはずだ。

 せっかく取った休みを、こんなつまらない会議に出席したくないのが本音だろう。

 舞子は、何度も働こうと思った。働きたかった。

 だが、爽太郎も蓮もよく熱を出した。

 舞子の実家は福岡。亮介の実家は広島だ。親戚は近くにはいない。

 夫の亮介も、休暇に柔軟な考えの会社ではない。

 となると、2人が熱を出すと、必然的に仕事を休まなければならないのは舞子だ。

 そう考えると、やはり、今、仕事に就くのはとても厳しい。

 マンションのローンがあるものの、やり繰りすればどうにか暮らしていける。働くのは、もう少し後にしようと決めた。

 今の肩書は専業主婦だ。


 専業主婦の昼は長い。

 そのはずなのだが、舞子はいつも忙しく感じる。

 朝起きて、朝食を作り、夫を送り出し、爽太郎を送り出し、蓮をバスに乗せる。その後、朝食の後片付け、洗濯、掃除。

 ふと、テーブルに置いてある新聞に目がいく。これがいけない。ついつい、座り込んでしまい、1番後ろのページから順に一番前のページへと読み進む。 

 亮介に言わせると、邪道な読み方らしいが、この読み方だけは変わらない。

 そもそも、主婦に時事問題に関心を持てと言われても無理な話だ。

 人生相談の欄は、きっちりと読む。自分なりの回答を用意する。

 回答者と同じ考えだとうれしいが、全く逆になったりすると、この回答者とは、話が合わないわ・・と思ってしまう。

 相談者の内容が、自分と全く一緒で、『これは私が書いたの?』と思うこともよくある。

 その回答を読んでは、一喜一憂する舞子だ。

 そして、新聞を小1時間読むと、とっくに10時を回っている。

 蓮の幼稚園バスが戻って来る3時まで5時間。

 その間、買い物に行って、おやつ作りと夕飯の準備。たまにママ友とランチをしようものなら、あっという間に幼稚園バスが戻って来る時間だ。

 バスが戻って来て、おやつを食べさせたら、爽太郎も連れて夕方まで公園へ行く。

 自宅に戻ると、お風呂に入れ、夕飯を食べさせ、ばたばたと時間が過ぎていく。

 毎日、何をやっているわけでもないのに、『モモに出て来る時間泥棒でもいるんじゃない?』というくらいに時間に追われている。


 そんなある日、小学校で講演会があった。

 タイトルと講演者の名前は全く覚えていないが、子供をほめて育てよう・・といった内容だったと思われる。

 講演者は、どこそこ大学の教授の肩書を持った人だった。

 子育てに行き詰っていたこともあり、参加を決めたものの、行ってみると、なんと参加者は10名だった。

 確かに、昼間の講演会に、わざわざ赴くワーキングマザーがいるわけない。

 講演会の内容で、1つだけ印象に残ったものがあった。

 「子供が話しかけてきたら、家事をしていても、手を休めて子供の目を見て答えてあげましょう」というものだった。

 そんなものは、机上の空論だ。

 お腹をすかせている子供を前にして、慌てて夕飯の準備をしている母たちにそんな余裕があるわけはない。

 掃除機をかけている時に話かけて来られたならば、掃除機を止める前に、「後少しで終わるから、待ってて」と言ってしまうだろう。

 そんな毎日が続いたなら、子供が欲求不満になってしまうとでも?

 いかにも、教育評論家風の講演者だな、と思っているうちに、講演会は終わった。


 帰り際、受付でPTAの役員らしき人たち4人が、アンケート用紙を回収していた。

 講演を聞いていた10名のうちの4人は役員だと言う計算になる。

 すると、そのうちの1人がニコニコしながら、「一色さんですよね?」と声をかけてきた。

 なぜ、私の名前を知っているのだ?一瞬身構える。

 頭の中で、役員1人1人の顔を自分の記憶とマッチングさせる。いや、絶対に初対面のはずだ。

 幼稚園で一緒だった可能性もあるのか?

 「はじめまして。突然呼び止めてごめんなさいね」

 緑色のセーターを着たその女性は、笑顔を絶やさずにそう言った。

 やはり初対面だ。ほっと一安心する。じゃあ、なぜ自分の名前を知っているのだろう。

 別の不安が頭をよぎる。また、爽太郎が何かやらかしたのだろうか?

 「一色さん、お仕事されてるの?」

 突然、そんな事を聞かれて、正直面食らってしまった。それに答える義務があるのだろうか。

 しばし考えてから、「いいえ。今のところはしてません」と答えた。

 一応、『今のところは』と、働く意思がある事は伝えておく。

 できる限り、専業主婦アピールはしたくない。

 ここ群馬は、「かかあ天下と空っ風」と言われているくらい、女性が強い・・らしい。

 本来の意味は、働く女性が多いという意味らしいが。

 その通り、幼稚園ではかなりいた専業主婦層が、小学校入学と同時にぐっと少なくなってしまう。ほとんどの母親が働きに出るからだ。

 そして、2世帯で住む家庭がとても多い。

 子供が病気をしたり、残業が発生した時には、フォローしてくれるおじいちゃん、おばあちゃんがいる。

 それも、母が安心して働ける環境を支えている1つなのだろう。

 そんな中にあって、下に幼稚園児がいるとはいえ、クラスで働いていない母は、舞子ともう1人だけだった。

 その為、学校行事で、人手が足りないとなると、お呼びがかかることがよくあるのだ。

 『遊びの授業で、火を使うので、保護者の中で見守りできる方、お願いします』というプリントが届くと、当然のように舞子は手を挙げた。

 働いていない自分に何か負い目を感じてしまうのだ。

 日頃、働いていないのだから、これくらいはしないといけないのでは?と思ってしまう。

 結局、その後のご近所探検も、合唱コンクールのお手伝いも、持久走のコース案内係にも参加した。

 入れ替わり立ち代わり、母たちの参加はあったが、すべて参加したのは舞子だけだった。


 「一色さん、PTA本部役員やらない?」

 その緑色のセーターを着た女性が唐突にそう言った。

 初めは、何を言われているのか理解できなかった。ハトが豆鉄砲を喰らったような顔・・とは、こういった表情を言うのかもしれない。

 すっかり固まってしまった舞子を見て、彼女は続けた。

 「びっくりするよね。今、次期PTAの本部役員を探しているんだけどね。一色さんが推薦されてるのよ。やってみない?楽しいよ。PTA本部役員やると、クラスの各役員も免除だよ。下の子でも免除になるから、絶対やっておいて損はないわよ」

 そう一気にまくし立てられた。

 「PTA本部役員って言っても、特に難しく考えないで。会長は決まってるから、補佐的な副会長か会長じゃなければ、楽勝だって」

 隣に居たショートカットの女性が、続けてそう言った。

 まだ、頭が話に追いつかない。4人が、それぞれに、PTAがどんなに素晴らしいかを語ってくれているようだが、全く耳に入らない。

 PTA本部といったら、PTA総会で壇上に上がって、マイクを持って質問に答えたりするアレよね?冗談でしょう?

 舞子の一番といってもいいくらい不得意な分野だ。

 超がつくほどのあがり症の舞子は、マイクを持つと声が震える。 

 「いえいえ、無理です。まだ、子供は1年生ですし、学校行事も何があるかわかっていないですし。下に幼稚園の子もいるので、会議に出席できないかもしれません」

 ひたすら、断る理由を並べ立てた。

 PTA本部役員なんて、冗談じゃない。

 毎日のように学校へ出向き、学校行事のサポート業務を行うと聞いている。ボランティアなんてまっぴらだ。

 毎日学校へ行って雑用作業をするくらいなら、働いてお金を稼いだ方がマシではないか。

 しかし、それに反して、誇らしい気持ちもあった。

 誰が推薦してくれたのかは定かではないが、その誰かが、舞子の事を役員にふさわしいと思ってくれたのだから。

 マズローが人間の欲求には5段階あると言っている。

 下から、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求。ピラミッドのてっぺんが自己実現欲求だ。

 この状態は、自分の存在価値を認めてもらい尊重されたいという承認欲求を満たすのではないか。

 そう。人は、自分の存在価値を認めて欲しいのだ。

 家族に存在価値を認めてもらうだけでは、満足できないのだ。

 いや、家族でさえ存在価値として認めてくれてはいないだろう。

 ただ、そこにいる当たり前の存在。当たり前の物に価値を見出しているとは思えない。

 誰かに認めてもらいたい。

 舞子には、その欲求が痛いほどあった。

 家族だけでは、埋めがたい穴。その欠けた穴を誰かに埋めてもらいたい。

 翌日の電話で、舞子はPTA本部役員になることを了承した。



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