略奪愛
「そうそう、酒井先生と中条先生のこと知ってる?結婚するんだってよ」
「え?」
よかった。現実の世界に戻された。
「いつの間にそんなことになってたの?びっくり~」
びっくりしたが、別にショックではない。
以前だったら、確実にショックだった。舞子の中でときめく存在の一人だったからだ。
「それがね、実は、酒井先生、中条先生、事務長先生の3人が三角関係だったらしいのよ」
「え?マジ?」
舞子は事務長の顔を思い出していた。
確かに若い男性だが、のっぺりとした精気のない顔をしていた。
「中条先生、モテモテよね。だって、他にも独身の女性の先生10人くらいいるでしょう?何も1人の女の先生を取り合わなくてもね~」
そう言いながら、長い髪を横で結んで大きなリボンをつけた中条先生が頭に浮かんだ。
「舞子ちゃん、それは違うわよ。人の物はよく見えるのよ。中条先生、園長から勧められて事務長とお見合いしたらしいのよ。そして、なんとなく付き合ってたんだって。それを見た酒井先生がどうも奪ったらしいわ。ちょっと気になる女が、他の男の物になるとわかったら惜しくなったのね。中条先生は、その強引さに惹かれたのか、負けたのか・・。だって、事務長と結婚したら将来園長よ。玉の輿じゃない。中条先生も思い切ったよね」
確かに、玉の輿を狙うのであれば、事務長だが、あの精気のない男との結婚なんて考えられない。
「きっと、中条先生も悩んでたんじゃない?事務長先生みたいな人でいいのだろうかってさ」
『みたいな』・・と言ったところに舞子の気持ちが表れていた。
「そうよね~。私、絶対無理」
真理子は吐き捨てるように言った。
「でもさ、園長の勧めでお見合いまでして、いい感じに進みかけてたのに、酒井先生が割って入って邪魔しちゃったわけでしょう?幼稚園に居られなくなるんじゃないの?園長にしてみれば、自分の顔にドロを塗られたようなものよね?」
舞子は、2人の行く末を大いに案じた。
「多分、2人で辞めちゃうんじゃない?夫婦になって勤めるのもやりにくいだろうし、事務長もおもしろくないでしょう。最悪、いびり倒されるかもよ~」
真理子は冗談っぽく言ったが、あり得ない話ではない。
事務長とすんなり結婚していれば、玉の輿でそこそこの人生を約束されたのに、酒井先生を選んだばっかりに、夫婦で職を失うなんてすごすぎる。
「酒井先生も、今頃、『しまった~』って思ってるかもね」
と、真理子は肩をすくめてみせた。
酒井先生は、いったいいつの時点で自分の気持ちに気づいたのだろう。
なんとなく好意はもっていたが、事務長に奪われると思って、がむしゃらに突っ走ってしまったのだろうか。
そして、その強引さに中条先生も根負けしてしまったのか。
「それこそ、いいドラマができそうだよね」
「うん、うん。『略奪愛』『~職を失ってもあなたを選ぶ~』的なサブタイトルつけてさ」
そのサブタイトルのネーミングセンスはどうかと思うが、確かにドラマの1本もできそうだ。
「ところで、いつ結婚するの?2人」
「いや、それがさ、結婚するって話で進んでいるみたいなんだけど、日取りまでは聞いてないなー。もう年度末に差し掛かってきたから、園としても2人に辞められると困るんじゃない?酒井先生、バスの運転手もしてるしさ」
本当に、真理子の情報源はどこなのか。
普通の人では知り得ない事ばかりだ。
一度、聞いたことがあるが、『情報ソースは明かせない』と、さらっとかわされた。
それ以降、詮索することはしなくなった。
知りたいとは思うが、舞子を信頼して話してくれているのだ。それ以上知る必要は無い。
「舞子ちゃん、来月誕生日よね。いくつになるの?」
「大台・・」
自分で言って虚しくなる。
「40?うわっ、ちょっと微妙よね~」
真理子が、デザートのプリンをつつきながら顔をしかめた。
そう。
ちょっとどころか、かなり微妙だ。
昨年、40を迎えた真理子には、今抱えている舞子の気持ちがよくわかるのだろう。
20代から30代に入る時には、あまり何も感じなかった。
どちらかといえば、20歳の誕生日を迎えるその日の方が感傷的になった気がする。
もう、ティーンエイジャーではない。
その事が、大人になるという事よりも、若さを売りにできないように思って少し落ち込んだ。
だが、今回の30代から40代へというのはそんな比ではない。
何もかもを失うような、そんな気分だ。
「そうそう、落ち込むのは、40を迎えるその日だけよ。過ぎてしまえば、あら、40になっちゃったって、あっさりしたもんよ」
真理子はなぐさめてくれたが、やはりため息がでる。
「誕生会でもする?誕生日、2月1日よね。うちの子と一緒だから、絶対忘れないわ」
出会った時も、真理子はそう言ってくれた。
この年でも、誕生日を覚えていてくれる人がいるというのは、とてもうれしい。
親でさえ孫が生まれると、娘に誕生日おめでとうと言ってくれることがなくなった。
言ってくれないは語弊がある。
忘れていて、後日電話がかかってくることが多くなった。
まあ、孫が何人もできれば、孫の誕生日の方が大事だろう。
孫にプレゼントを送る代わりに、娘へのプレゼントが無くなったと思えば納得はいく。
今、誕生日に『おめでとう』と言ってくれるのは、亮介ただ1人だ。
数人の友人から、お祝いのメールは届くが、身近な人の肉声には代えがたい。
「2月1日は土曜日でしょう?土日は出られないから、2月3日にお祝いランチでもしようか。どう?」
うれしかった。
だが、その日はランチに出かけるわけにはいかない。
桜木との夜の予定が入っている。
それまでに、夫と子供の夕飯を作って、準備万端にしなければならない。
「ごめんねー。その日は、夜ちょっと用事があって厳しいわ。水曜か木曜でもいい?」
次の日を避けたのは、火曜日の自分の状態が想像できないからだ。
きっと、何を話してもうわの空だろう。
「わかった。じゃあ、水曜か木曜でセッティングしておくね。お店は希望ある?」
「特にない。お任せします。ほんと、ありがとう」
本当に、こういった気づかいをしてくれる真理子が大好きだ。
デザートを食べ終わっても、ひとしきり、酒井先生と中条先生の話で盛り上がり、いつものように、バスの時間ギリギリまで店にいた。
帰りのバスは、酒井先生の運転で、中条先生が引率だった。
さっき話しに上がった2人が乗っていただけに、2人の顔をまじまじと見てしまった。
この2人がねー。
「おかえりー」
舞子は、バスから降りてくる蓮を出迎えた。
見ると、バスにはもう子供が乗っていない。蓮が最後の1人のようだ。
「今日は、バスに乗っている子が少なかったんですか?」
と、舞子は聞いてみた。
「はい。今日は、サッカーとダンスの習い事が被っちゃって、直接のお迎えが多いんですよ」
中条先生はそう言いながら、笑顔を見せた。
幼稚園では、放課後、毎日何かしらの習い事がある。
外部講師を呼んで園を開放して行っている。
ピアノ、ダンス、サッカー、学研教室、絵画もあったような気がする。
爽太郎は、サッカーをしていた。
まあ、幼稚園児のサッカーなので、お遊び程度のものだった。
それでも、体を動かすのが好きな爽太郎は喜んで参加していた。
一方の蓮は、一生懸命勧めてみたのだが、全く興味を示さなかった。
できれば早く家に帰りたいという子共だった。
「じゃあ、また明日、お待ちしています」
そう言って、中条先生はバスのドアを閉めた。
いつものように横結びの髪に大きなリボンがついていた。
そして、バスは、園へ向かって走りだした。
15分ほどの距離だが、その間は2人きり。
どんな話をしながら帰るのだろう。ちょっと、聞いてみたい気もした。




