ニューイヤー駅伝を見に行くと
元旦の朝は遅かった。
正確には、舞子と子供たちだけは起きるのは遅かった。
亮介は、駅伝のスタートを見るのだと張り切って7時過ぎには起きて県庁まで行ってしまった。
結局、亮介が戻って来た9時過ぎまで、舞子が起きることはなかった。
でも、何の心配もいらない。
お正月のおせち料理は、亮介の会社の取引先から斡旋販売された物を購入済みだ。
2万円の出費は痛かったが、広島に帰ったと思えば安いものではないか。
その他には、商店街の魚屋さんで頼んでおいた刺身の盛り合わせもある。
海の無い群馬県だが、この魚屋さんだけは何を買っても新鮮で美味しい。
かなりの目利きということだろうか。
普段スーパーに行くと、陳列棚の約半分が干物、塩サバ、粕漬けなどで占められている。
福岡でに育った舞子は驚いた。
魚といえば、刺身や切り身、貝などが主流で干物はといえば、申し訳程度に端っこに追いやられて陳列されている程度だ。
それがどうだ。ここでは、干物が主役級に陳列されている。
だが、住んで2ケ月ほど経ったある日気が付いたのだ。
群馬は海が無かった・・と。
物流が進んでいるとはいえ、生の魚はあまり需要がないのかもしれない。
確かに、鮮度も福岡のそれと比べるとおちる。
そんな中見つけたこの魚屋さんは、非常に重宝している。
さあ、問題は爽太郎と蓮の食事だ。
豪華でお正月らしいものが思いつかなかった。
まだ、二人は寝ている。
亮介は、家に戻って来ても、テレビの前にかじりついていた。
実際にスタートを見て、俄然応援モードに入ったらしい。
かといって、特に応援しているチームがあるわけではない。
舞子に至っては、駅伝に1ミリも興味がない。
ただ走っている姿を見て、何が楽しいのだろうかとさえ思ってしまう。
元旦のニューイヤー駅伝に始まり、2日、3日と続く箱根駅伝など、もう怒りの対象でしかない。
駅伝が終わるまで、亮介は一歩もテレビの前から離れようとしない。
外に遊びに行きたい子供たちは、おもしろくない。
広島に帰省している時は、義父、義母、義弟もそろって駅伝を見ているので、舞子だけは手持無沙汰で、子供たちの相手をするしかなかった。
爽太郎と蓮が起きて来たのは、もう少しでお昼になろうかという時刻だった。
昨日は遅くまで起きていたので、好きなだけ寝させてあげようと、敢えて起こさなかったのだ。
彼らのお正月料理は、オムライスになった。
ありあわせの材料ですぐに出来た。
そして、爽太郎にケチャップを渡して、「何か書いて」と言うと、上手に『お正月』と書いた。
書初めじゃあるまいし・・。
あまりにも可笑しくて、亮介とお腹を抱えて笑った。
購入したおせちの重箱を開けた瞬間、蓮は、「うわ~、きれい」と言ったが、見ても自分が食べられそうな物が無いことがわかり、さっさと見切りをつけてオムライスに手を付けた。
おせちは美しかったし、不味くはなかったのだが、何となく食べる物がない。
どうにも見掛け倒しなのだ。
それに比べると、広島の義母の珠美が作るおせちは、みんなの好みの物を少しずつ詰めて作っており、すべてが繊細な味付けで美味しかった。
離れてみると、珠美が帰省して来る息子たちに美味しい物を食べさせようと、どれだけ頑張ってくれていたのかわかった。
帰省は気が重いことに変わりはないが、少しだけ珠美の気持ちに寄り添えたような気がした。
昼間から飲むお酒は幸せな気分にしてくれる。
2人で500ミリのエビスビールを数本飲んだあとは、刺身に合わせて日本酒を飲んだ。
本当に昼間の酒はきく。
どうして、こうもいい気分になるのだろうか。
相変わらずテレビに張り付いていた亮介だったが、
「そろそろ行くぞ」
と言って立ち上がった。
テレビを見ていて、もうすぐだとわかったのだろう。
後15分ほどで、先頭を走っている選手が近くを通るという。
急いで、爽太郎と蓮に上着を着せ、手袋や帽子などの防寒具も追加した。
テレビを見る限り、木々が大きく揺れているので、風はかなり強いはずだ。
マンションを出て、少し歩くと大きな国道に出る。
沿道には、そろそろだとわかった地元の人たちが大勢いた。
爽太郎の同級生を何人か見かけた。爽太郎は、なぜか恥ずかしそうにしていた。
舞子も少々酔っぱらった状態で、学校のママさんたちに会いたくはなかった。
新聞社の社員らしい人が、旗を配って回っていた。
選手が走って来たら、この旗を振って応援するのだ。
蓮は、旗がうれしくて仕方ないようで、まだ選手の姿は見えないが、一生懸命旗を振っている。
10分ほど待つと、一段と歓声が大きくなった。
先頭の選手が走ってきたようだ。
すでに人垣ができていたので、子供たちを少し空いたスペースに割り込ませた。
旗が振れなくてはかわいそうだ。
舞子は、人と人の間からチラッと選手の姿を捉えたが、あまりの速さに驚いた。
一瞬で通り抜けてしまったのだ。
普通の百メートル走と大差ない走りだ。
テレビで見るのと、実際に見るのではこうも違うものなのだ。
それに、目がギラギラした必死な形相の選手の姿も見えた。
歯を食いしばって最後のラストスパートを駆け抜ける。
思わず、沿道の人たちと同じように、「がんばれ~、がんばれ~」と、大きな声で必死に叫んだ。
不思議だった。
駅伝なんかに興味は無い。
だが、目の前で繰り広げられている真剣な勝負の世界、これは何なんだろう。
スポーツが人を感動させるという意味を初めて知った気がした。
周りに人が居なかったら泣いていたかもしれない。
ほどなくして、先頭の選手がゴールしたとスマホのテレビが伝えていた。
次々と目の前を走り去っていく選手たち。
しかし、かなり離されている選手もいるようで、なかなか来ない。
最後の選手が来たのは、先頭の選手が走り抜けて15分も経ってからだった。
最後の選手の後ろに、『最後尾』と書かれた車が着いて来ていたので、それと分かった。
最後の選手には、沿道の人たちから、ひと際大きな声援が飛んだ。
舞子も必死に、「がんばれ」を連呼した。
気がつくと、子供達と亮介とは、はぐれてしまっていた。
そういえば、亮介が二人を連れて見やすいスポットを探し回っていたな。
キョロキョロと辺りを見渡して亮介を探した。
その時、ふと背後から視線を感じた。
振り返ると桜木が舞子をじっと見ていた。
「あっ」と声をあげそうになったが、思い留まった。
桜木は瑞樹くんを肩車しており、横には、相変わらず美しい妻の美咲が立っていた。
苦情の手紙が投函されて以来、何となく美咲を避けていた。
しかし、この状況で逃げるわけにはいかなかった。
「明けましておめでとうございます。見に来てたんですね。今年もよろしくお願いします」
舞子に気づいた美咲が先に声をかけてきた。
「明けましておめでとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言って、美咲と横にいる桜木に頭を下げた。
「主人です。まだ挨拶してなかったですよね」
一体、いつの事を言っているのだろうか。
確かに引っ越しの挨拶の時にはいなかった。
しかし、その後何度も会っている。
深い関係とまでは言わないが、浅からぬ関係だ。
この会話の内容から察するに、桜木は、美咲に舞子の事を話していない。
自分の働いている会社の支社にパートに来ていることを。
話すはずがない。確信があった。
「いいえ。管理組合の話し合いの時にお会いしました。あの日は、うちも主人が仕事で居なかったので、私が出席したんですよ。なので、初対面ではありません」
そう言って、桜木に微笑みかけた。
桜木もそうだと言わんばかりに、頷いている。
やはり、美咲は知らない。
「毎年、駅伝見てるんですか?」
美咲がそう聞いてきた。
「いいえ。初めてなんですよ。毎年、お正月は主人の実家の広島に帰省するんですが、今年はニューイヤー駅伝を生で見るんだって言って帰省しなかったんです」
「あら?ご主人とお子さんは?」
舞子が一人でいるのを不審に思ったのだろう。
「はぐれてしまって・・。まあ、家はそこですから、はぐれても問題ないんですけどね」
そう言って、舞子は笑った。
そして、美咲の隣にいる桜木に肩車されている瑞樹くんに声をかけた。
「瑞樹くん、いいねー。パパに肩車されてるんだ。走っている人見えた?応援できた?」
瑞樹くんは、大きな目をくりくりとさせて、
「うん。旗振ったよ~」
と言って、桜木の肩に乗ったまま、旗を振って見せた。
二人一緒にいるところを見たのは初めてだが、大きな目は、やはり桜木似だ。
美咲は苦情の手紙の事などなかったかのように、尖ったところが少しもなかった。
あの手紙は、本当に美咲が書いたものだったのだろうか。
あの時は、感情的になって書いてしまっただけなのかもしれない。
舞子は、都合よく考えることにした。
「舞子、いた」
亮介が、爽太郎と蓮を連れてやって来た。
「探したよ。まあ、はぐれても家はそこだけどね」
亮介がそう言うと、美咲と桜木が吹き出した。
「一色さんたち、夫婦そろって同じこと言ってるー」
美咲と亮介は、管理組合の会合で会っているので顔見知りだ。
だが、桜木とは初対面のはず。
なんとなく、この2家族の顔合わせは居心地が悪かった。
先日の出来事が後ろめたいからに他ならないのだが。
桜木と亮介は、お互いの顔は知っているようだった。
朝の出勤の時間帯が一緒なのだろう。
二人とも軽い会釈をするに留まった。
「お父さん、コンビニでお菓子買ってー」
爽太郎が、待ちくたびれて亮介の手を引っ張った。
「そうだった。約束だったな。じゃあ行くか」
亮介もこれ以上ここに居て、会話の糸口を見つけるのも苦痛だったのだろう。
渡りに船とばかりに、そそくさと「じゃあ」と言って二人を連れて歩き始めた。
舞子も続いて、「では、また」と言って、軽く頭を下げて三人の後を追いかけた。
多分、今、桜木は舞子の背中をじっと見ているだろう。
見なくてもわかる。
一刻も早くこの場を立ち去りたかった。




