2次会で縮まる桜木との距離
2次会の場所は、薄暗い立ち飲みスタイルのショットバーだった。
バーに来る時間帯にはまだ早いようで、まだ数名しか人が入っていない。
カウンターの奥に、名前も知らない洋酒がずらりと並べてある。
ボトルキープされている酒もたくさんあるようで、ウイスキーのボトルにタグがかかっているのが見えた。
バックでかかっているジャズミュージックも雰囲気に一役かっているようだ。
いいお店だとわかった。
子供が生まれて以来、こんなお店に来ていない。
毎回、1次会は居酒屋。2次会はカラオケとほぼ決まっている。
カラオケボックスじゃなくてよかった。
舞子は心底ほっとした。
カラオケは苦手なのだ。
音痴ではないと思うが、自分をさらけだして人前で歌うのが、どうにも恥ずかしくて仕方ない。
どうしても、と言われれば一曲くらいは歌うが、ほとんど手拍子担当だ。
それに、とても桜木の前では歌えない。
最初は、カラオケボックスに行く予定だったが、忘年会シーズンということもあり、予約していなかったので、2時間待ちと言われてしまった。
そこで、急遽、隣のショットバーが2次会の場所となった。
舞子も他の人たちと同様に、残念がる様子を見せたが、内心ではガッツポーズをしていた。
一番の若手社員が、早速みんなの注文を聞いて回る。
こういった役割は、いつの時代でも若手がやるもののようだ。
舞子は、ソルティドッグを頼んだ。
いつも、最初の一杯はこれと決めている。
働き始めた頃、先輩が福岡のホテルのバーに連れて行ってくれた。
記憶が確かならば、「夜間飛行」という名前だったような気がする。
そこで初めて飲んだ本格的なカクテルがソルティドッグだった。
塩をちびりちびりと舐めながら味わうグレープフルーツジュース。
でも、確かに感じる強いウォッカの味。
今まで居酒屋で飲んでいたソルティドッグがカクテルだと思っていた舞子にとっては衝撃だった。
それ以来、どうしてもあの味が忘れられなくて、ソルティドッグを頼み続けている。
しかし、あの味以上のソルティドッグに出会うことはない。
最初の感動を超えることは容易にできないということだ。
それでも、敢えて頼んでしまうのは、舞子にとってのささやかな挑戦だ。
前橋支社の長期パートの田中が舞子の隣にやってきた。
年は舞子より5歳くらい下だったはず。
いつも会話の中心的な人物で、彼女がいると、場の雰囲気が盛り上がる。
「一色さん、何飲んでるの?ソルティドッグ?それ、結構強いよね。私、あまり強くないから、甘いお酒しか飲めないんだよね」
そう言って、彼女が飲んでいたのはスクリュードライバーだった。
それも口当たりがいいだけで、同じウォッカだけどな。
舞子はそう思ったけれど、敢えて言うことはしなかった。
確かに、オレンジジュースを飲んているようにしか思えないカクテルだからだ。
「少し飲ませて!」
田中はそう言って、舞子のグラスを手に取り、縁の塩をぺろっと舐めてから一口飲んだ。
「どう?」
「うーん、苦いねー。でも、美味しい。塩が甘く感じる。不思議ー」
「でしょう?私、このカクテルが一番好きなの」
そう言って、田中からグラスを受け取った。
すると、
「ふーん、どれどれ。じゃあ、僕も一口」
声がして、背後から舞子のグラスを取り上げた人物がいた。
桜木だ。
ゆっくりと塩を舐めながらソルティドッグを口に含んで、ごくりと飲んだ。
映画のワンシーンのように決まっていた。
田中が飲んだ時には何も感じなかったが、桜木が飲むとドキドキした。
同じグラスを共有したのだ。
意識するなという方が無理だ。
「美味いなー。久しぶりに飲んだよ」
これくらい、普通だ。飲み会ではよくあることだ。
動揺してどうする?
舞子は鼓動を鎮めようと必死だ。
「あ、ずるーい。桜木さん、私のも飲んで下さいよー」
そう言って、田中がすねた表情をして、しなを作って桜木に寄りかかる。
「いやあ、僕はすっかりおじさんだからねー。塩を舐めながら飲む角打ちみたいな酒が好みなんだよー」
そう言って、スクリュードライバーには口をつけなかった。
なぜか、ちょっとだけうれしかった。
自分の方を選んでもらってみたいで。
単に酒の好みの話をしたに過ぎないのだが。
田中は、何度も「ずるい、ずるい」を連呼していた。
少し酔っているようだ。
2次会には10人が参加したが、自然と3グループに分かれて、それぞれが楽しく酒を飲んでいた。
若手社員3人が集まったテーブル。
パートの女性が集まったテーブル。
そして、舞子のいるテーブルには、桜木、田中の3人に前橋支社長の棚町が合流していた。
年齢でいえば、舞子が一番上だ。
棚町は、年齢三十半ば過ぎの小柄などこにでもいる普通の人といった風貌だ。
特徴といえば、小さな目にかかった丸い黒縁眼鏡だろうか。
性格は温和で、部下を叱責する姿を見た事がない。
家庭においてもいい夫、いいパパなのだろう。
この人が支社のトップだからこそ、働きやすい環境だったのだとわかる。
長が、いつもイライラ、ギスギスしていると、職場もそれが伝染して嫌な雰囲気になる。
4月入社の新人くんも、穏やかな環境のおかげで、辞めることなく社会人としてきちんと成長しているように思う。
今の時代は、新入社員がすぐに辞めると聞く。
怒られたことがないものだから、上司から怒られると、ショックで次の日から出社拒否になってしまうのだそうだ。
何という時代になったのだろうか。
怒ればパワハラ、怒らなければつけあがる?
管理職は大変だ。
一方、桜木はどうだろうか。
棚町に比べると、やや神経質な面を持ち合わせているように思う。
その証拠に、高崎支社の社員たちは、少しピリピリしている。
きっと、仕事に厳しいのだろう。
棚町も桜木も表面上はとても仲がいいが、同じ支社長同士、どちらが先に出世するのか気になるところでもあるだろう。
人の心の内までは読めない。
「一色さん、あと2日で終わりなんだよねー。また呼んだら来てよ。すぐに来てくれるパートさんはとても有難い存在だからね。雇う度に面接するって本当に面倒なんだよな。その点、素性がわかっている人は問題ないし、即戦力になるから助かるわ」
棚町がウイスキーのロックを飲みながらそう言った。
「いえいえ、こちらこそ、2回も雇っていただいてありがとうございます。本当にいい職場です。やっぱり上司がいいと、職場の雰囲気もよくなるんですよねー」
別に本心でそう思って言ったのだが、
「いやいや、わざわざヨイショしてくれなくていいよー。みんなが一生懸命働いてくれるから、僕は何もしなくていいんです。ありがとうございます」
こういう態度も、いい上司だと思わせる所以だろう。
「へえー。棚町はえらく信頼されているみたいだな。高崎支社ではそんなこと言ってくれるヤツがいるかなー」
桜木は、ちょっと妬いているようだ。
雰囲気で言えば、軍配は前橋が上だ。
「えー、じゃあ、私が高崎支社に行きますよー。桜木さんの元で働きたいですー」
少し酔っている田中が、そう言って桜木にしなだれかかった。
「おいおい、田中さん、ひどいなー。前橋を見捨てないでくれよー」
棚町が、笑いながら困ったような顔をする。
「よし、じゃあ田中さんはもらった。一色さんも高崎にもらうかー」
そう言って、桜木が舞子の腕を組んで引き寄せた。
「じゃあ、今度の短期パートは高崎に行きますねー」
舞子も、話の流れに乗った。
桜木が舞子に回した腕をなかなか離さず、ぴったりと寄り添うような形になった。
桜木にしなだれかかっていた田中が、一瞬身を固くしたように見えた。
そして、もたれかかっていた頭をゆっくりと桜木から外した。
舞子もそのタイミングを逃すまい・・と、さっと桜木の腕から自分の腕を引き抜き、何事もなかったかのように、そのままその手でソルティドッグのグラスを持った。
その後、なぜ群馬は魅力度が低いのか・・と言う話題でひとしきり盛り上がった。
茨城、栃木と3県でいつも最下位争いをしているのはなぜか?
でも、最終的には、「やっぱり、海がある茨城にはかなわないよねー。名産がコンニャクとネギというのも地味すぎる」という事で一致した。
舞子は、その話の流れに乗ってはいたものの、群馬はいい所がたくさんあるのに・・と思っていた。
だが、それはよそから来た者にしかわからない魅力なのかもしれない。
舞子は福岡の営業所で亮介と知り合った。
大学在学中、就職活動をしたが、氷河期でなかなか決まらなかった。
何社も受けて、ようやく群馬に本社がある電気会社の福岡営業所から内定をもらった。
福岡営業所は、社員、パートを含めて10名程度の中規模営業所だった。
中規模というのは、2~3人の小規模営業所があるからだ。
その年に入った新入社員は全部で10名。
その中に、亮介がいた。
亮介は、最初、大阪営業所に配属されていたが、入社6年目に福岡営業所に異動になった。
そこで、二人は意気投合し、2年後に結婚。
結婚と同時に舞子は会社を辞めた。
福岡で新生活を始めたのもつかの間、会社の経営状況が悪化し、各地の営業所を閉鎖することになった。
福岡もその1つに入っていた。
リストラはされなかったものの、本社が群馬である以上、そのまま群馬へ行くこととなったのだ。
そして、2人でこの地を永住の地とすることに決めた。
住めば都とはよく言ったもので、少し遠出すれば自然が豊かで、子供と出かけるスポットには事欠かない。
長野の軽井沢も日帰りで行ける距離だ。
子育て支援も充実しており、小学校6年生までは医療費はかからないし、幼稚園の費用も補助が出る。
何よりも、人がのんびりしている。
車のスピードの遅さには閉口することもあるが、時間の流れがゆったりとしている。
そこそこ都会の福岡に育ったせいか、都会的な場所にあまり興味がわかない。
永住を決めたのは必然の部分もあったが、自然な流れだった。
両親は、少し落ち込んでいたが、生活の中心である仕事が群馬では仕方ない。
孫が生まれてからは、両親の方が年に1,2度遊びに来ている。
一緒に草津温泉へも行った。
ただ、空港が無いのだけは不便で仕方ない。
福岡から群馬に来るまで丸1日かかるのだ。
夏休みに、舞子と子供だけで帰省する時は、本当に大変だった。
電車、新幹線、山手線、モノレール、飛行機と乗り継がなければならない。
しかも、飛行機の中で赤ん坊が泣き止まない時は、乗客の冷たい視線が突き刺さる。
泣かない年齢になった今となっては、いい思い出だ。




