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階下の庭は青く輝く  作者: 森の 緑


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蓮は普通ですか?

 朝、窓を開けると、ひんやりとした風が入ってきた。

 季節は確実に夏から秋へと移り変わっていた。

 前橋支社長から連絡があったのは、10月も半ばを過ぎた頃だった。

 「高崎の桜木から聞いたんだけど、また短期のパートお願いできるって?」

 マンションの管理組合の会議以来顔を合わせることもなかった桜木だったが、パートの件は覚えていてくれたようだ。

 「はい、こちらこそ、是非お願いしたいと思っています」

 「よかったー。知ってる人が来てくれると安心だ。今度は10月下旬から12月下旬までの予定なんだけど大丈夫?早速、来週から来てもらいたいんだけど」

 来週か・・。

 もう少し早く言ってくれれば、いろいろと予定できたのに・・と思ったが、まあどうにかなるだろう。

 「はい、大丈夫です」

 亮介には、11月くらいから、また短期パートが入るかも・・とは言ってあった。

 特に問題はないだろう。

 だが、亮介に1つだけ言っていないことがあった。

 パート先の高崎支社の支社長が階下に住んでいる桜木だということだ。

 別段隠すわけでもなかったが、何となく言わなかった。

 古巣で働けるというのもうれしかったが、桜木とまた何らかの形で繋がりができるるのもうれしかった。

 憧れの生徒会長の先輩と一緒に生徒会役員をやる時のドキドキ感に似ている。

 LOVEの好きではなく、ちょっといいな・・と思うLIKE程度の先輩だ。

 舞子にとっての桜木は、話ができるとちょっとうれしい憧れの先輩という位置づけだ。

 先輩・・と言っても、舞子の方が明らかに年齢は上なのだが。


 幼稚園から電話があったのは、職場でお昼ご飯を食べ終わった頃だった。

 みんなで楽しくおしゃべりをしていたところ、突然呼び出し音が鳴ったのだ。

 スマホに映し出されたのは、「朝日山幼稚園」の文字。

 蓮の通う幼稚園だ。

 こんな時間にかかってくる電話は、必ずといっていいほどイヤな内容だ。

 「はい、一色です」

 「蓮くんのママですか?朝日山幼稚園の高橋です。今、お電話よろしいですか?」

 電話の相手は、蓮の担任の高橋だった。

 「はい、大丈夫です」

 そう言って、みんなに、ごめん・・という仕草をしてその場を離れ、部屋の外に出た。

 「実は、今日、おゆうぎ会のリハーサルだったんです。蓮くんは、うさぎの衣装を着るんですが、急に嫌がって頑として着なかったんです。結局、最後まで嫌がるので、とりあえず制服のまま行うことにしたんですが、踊りも踊ってくれなくなって・・」

 「はあ・・」

 またか・・。次の言葉はわかっている。

 「その後、お昼ご飯の時間になったんですが、給食も食べない・・の一点張りで、何も食べようとしないんですよ」

 「はあ、そうなんですね」

 またか・・。次の言葉もわかっている。

 「ご飯を食べない状態で午後の時間を過ごすのは、体調面を考えても心配ですので、お迎えに来ていただけませんか?」

 やっぱり・・。

 「わかりました。今、職場にいますので、自宅に戻ってから車で行きます。少し時間がかかりますがいいですか?30分はかからないと思いますけど」

 「はい、お手数おかけしますが、よろしくお願いします。蓮くん、帰る準備をして養護室に連れて行きますので、そちらに迎えに来て下さい」

 高橋の、ほっとした様子が声から伝わってきた。

 「はい、わかりました。ありがとうございます」

 電話を切って、すぐに支社長の元へ行った。

 今の電話のやり取りを伝え、早退するためだ。

 前回も一度あった。

 あの時は、夏祭りの踊りの練習を嫌がって・・だったはず。

 蓮は、みんなと同じ行動をすることを嫌がる傾向がある。

 ただ、いつも嫌がるわけではなく、気分が乗らない時・・が特にひどい。

 幼稚園の年少の時には、運動会のかけっこを嫌がり走らなかった。

 5人でスタートラインに並ぶのだが、それをなぜか嫌がった。

 結局、先生が手を引いてゴールまで走ってくれたが、真剣に走る姿を見たかった舞子はがっかりした。

 年中になってからは、夏祭りの踊りをボイコット。

 そして、今回はおゆうぎ会だ。

 こういう事が何度も続くと、頭の中に『発達障害』の文字がちらついてくる。

 友人の子供が、やはり他の子と少し違うな・・と思っていたところ、発達障害の1つであるアスペルガー症候群と診断された。

 その子は、とにかく癇癪持ちだった。 

 幼稚園に入る前までは、まだまだ幼いと特に気にも留めていなかったが、園生活では支障をきたすようになったのだ。

 時間割に沿って行動するのが難しかったという。

 先生が、「おもちゃを片付けて、給食の準備をしましょう」と言って、片づけを始めると暴れ出す。

 目の前のおもちゃで遊ぶことが最優先となり、それを邪魔されるのを極端に嫌がるのだ。

 友人は幼稚園の先生に指摘され、病院で診てもらったところ、「アスペルガー症候群」と診断されたという。

 幼稚園には、理解してもらい、なんとか卒園したのだが、小学校でもいろいろと大変だったと聞く。

 とにかく、熱中すると、中断するのが極めて困難らしいのだ。

 先生も頭ではわかっていても専門家ではないし、他の子の指導もあるので、その子だけ別室に連れて行かれたりしたという。

 それはそれで、その子は理解できず、親子で随分悩んでいた。

 その後、学校の先生の勧めもあり、通級教室というところに通い始めた。

 そこは、発達障害の子供たちが、感情のコントロール方法を学ぶ場だ。

 社会生活をおくる上で、感情のコントロールは欠かせない。

 学年が上がり、少しずつ改善されたけれど、やはり爆発する時があり、将来が心配だとこぼしていた。

 その話を聞いていたので、舞子は蓮も発達障害の傾向があるのではないかと心配していた。

 発達障害は、できれば小さいうちから通級指導などをした方が、適応しやすいと聞いた。

 「発達障害」・・。

 障害と聞くだけで気が重くなる。

 個性・・だと言われるが、やはり社会を生きていくうえで、他の人よりも困難を伴うことは必至だ。

 実家の母に相談すると、

 「大丈夫なのー?しかるべき病院でしっかりと調べてもらった方がいいんじゃないの?」

 と、言われたが、なかなか重い腰が上がらない。

 発達障害だとわかったとして、それを本人や周りにどう伝えたらいいのだ。

 本人が、他の人との違いを受け入れられるだろうか。

 自分はダメなヤツだと思ってしまわないだろうか。

 舞子がその心配を亮介に話すと、

 「気にしすぎだろう?その年齢の子供にはよくあることなんじゃないの?蓮が発達障害っていうなら、他の子もそうだろう?」

 と、真剣に取り合ってくれない。

 自分の子供がまさか発達障害だとは思っていないだろうし、そうであっても信じたくない気持ちがその言葉を発するのだろう。

 自分の子が他の子と違うという事実。

 それは、とても受け入れがたいだろう。

 見て見ぬふり・・そう思えないこともない。

 幼稚園で、同じ年齢の子をイヤというほど見ている舞子は、その不安を拭いさることができなかった。

 そして、今の今まで、その問題は避けて通ってきた。

 友人も、幼稚園の先生からの指摘があって病院へ行ったと言っていた。

 それまで待てばいいだけの話だ・・と思っていたのだが・・。


 幼稚園の養護室のドアを開けると、ベッドの端っこに蓮がちょこんと座っていた。

 足をぶらぶらさせながら、待ちくたびれた様子だ。

 いつでも帰る準備はできている・・と言いた気に、帽子を被り、リュックも背負って準備万端だ。

 その表情は怒っているようにも見える。

 「すみません、遅くなって」

 そう言って頭を下げると、ベテランの主任先生である南川が笑顔で蓮の方を向いた。

 「蓮くん、ママ来てくれたよー。よかったねー」

 そう言いながら、蓮の両脇に自分の手を差し込み、大きく持ち上げてベッドから降ろした。

 この降ろされ方は、蓮も満足したようだった。

 「蓮くん、給食食べなかったけど、お腹すいてない?帰ったら、しっかり食べるんだよー。いい?」

 そう言って、南川は蓮の顔を覗き込んだ。

 だが、蓮は斜め下に視線を落とし、口をキュッと結んでいる。

 蓮は、多分、自分が少し悪い事をした・・ような気がしていたはずだ。

 いや、案外、自分は悪くない、当然のことをしたまでだ・・と思っていたのかもしれない。

 前者であればいいな・・と舞子は思った。

 どうして、みんなと同じ事ができないのだろうか。

 「お母さん、今日は蓮くん、ご機嫌ななめだったようです。いつもと違う雰囲気にちょっと緊張したのかもしれませんね。一旦へそを曲げるとなかなか治らないみたいですね」

 と、先生は、ははは・・と大きな身体を揺らしながら笑って言った。

 『蓮は普通ですか?』

 何度もそう聞こうと思った。

 けれど、その言葉は口から出なかった。

 何を以て普通だというのだろうか。

 それが証拠に、南川から病院へ行って下さいとは言われてはいない。

 そう。

 ただ機嫌が悪かっただけ。

 明日になれば、きっといつもの蓮だ。

 「明日もバスに乗って幼稚園に来てね。待ってるからね」

 そう言って、南川は蓮の頭に手を置いて、軽くポンポンと叩いた。

 蓮は、さっさと靴箱の方へ向かって歩き始めた。

 「本当に、いろいろとご迷惑をおかけしました。また、よろしくお願いします」

 と、舞子は深々と頭を下げた。

 「お母さん、蓮くんはいい子ですよ。お母さんは、どーんと構えていて下さい。これくらいの年齢の子は、いろいろありますよ。大丈夫ですよ。帰ってからもあまり責めないで下さいね。蓮くんは、イヤな事に対しての拒否反応が他の子より大きいんですよ。見守っていきましょう」

 南川が、舞子の胸の内を見透かしたように、やさいい目でそう言った。

 お見通しだ・・。

 「ありがとうございます」

 そう言って、頭を下げながら、不覚にも涙がこぼれそうになった。

 そう。

 確かにこの言葉を言って欲しかったのだ。

 『大丈夫』

 なんて素敵な響きなのだろう。

 人から大丈夫と言ってもらえるだけで、これほど気持ちが軽くなるものなのだろうか?

 同じ『大丈夫?』とは全く別物だ。

 これからも、こんな事が何度もあるかもしれない。

 病院で検査して下さいと言われる日が来るのかもしれない。

 でも、蓮は蓮だ。

 これから生きていく上で、他の人よりも少々困難な道のりかもしれない。

 先の事をずっと心配しても、果てしないし苦しい。

 そう。

 南川に言われたように、『大丈夫』なのだ。

 どーんと構えるしかない。

 『蓮の母は私』なのだから。

 もう一度、深々と頭を下げ、蓮の後を追って靴箱へと向かった。


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