亮介の口から出た真実
日付が変わる頃、玄関の鍵を回す「ガチャ」っという音が聞こえた。
そして、扉を開けて中に入る音。靴を脱ぐ音。
鍵置きにしている小皿に鍵を放り込む音が続けて聞こえた。
リビングに向かって一歩一歩足音が近づいてきた。
「おかえり」
いつもの調子でそう言った。
大丈夫、声は震えていない。
「ただいま。めずらしいなー。こんな時間に起きてるなんて」
そう言いながら、ちょっと驚いた様子の亮介。
その通りだ。いつもなら、この時間、とっくに寝ている。
亮介は、リビングで水をコップ一杯勢いよく飲みほしてから、シャワーを浴びに風呂場へ行った。
シャワーの音が聞こえるのを確認してから、舞子は寝室へダッシュした。
逢引きの証拠を探そうと、スーツのポケット、財布の中、カバンの中をくまなく調べた。
しかし、レシートの1枚すら出てこなかった。
証拠は捨てたのか?まあ、持ち帰るバカはいないだろう。
自分の行動がバカバカしくなり、自嘲気味に笑った。
そして、気を取り直してリビングに戻り、椅子に座って亮介を待った。
なんと言って切り出そうか。
どう言えば、亮介の言葉が真実かウソか見抜けるだろうか。
いや、あっさりと認めたら、次に何を言えばいいのだろうか。
とてつもなく長い時間に思えた。
あれほど飲んだワインだったが、まだ飲み足りないくらいだ。
風呂場からドライヤーの音が聞こえてきた。
もうすぐ、リビングに戻ってくる。
そして、足音が聞こえてきた。
妙な緊張感を感じとったのかもしれない。
リビングに入ってくると、いつもならソファに座るところを亮介も椅子に座った。
「どうした?」
そう言って、舞子の顔を正面から見た。
「久美さんって誰?」
遠回りに言うのはやめだ。ストレート直球勝負。
一瞬、「え?」となった亮介。
確かに、突然、舞子の口から「久美」という名前が出てきても繋がらないだろう。
「あー」
あのことか・・とでも言いたげな口ぶりだったが、次の言葉が続かない。
頭をかきながら、ちょっとの間があった。
少し考えているようだ。
そして、続けた。
「ライン見たんだ」
亮介は、淡々と言い放った。
だが、責めているような口ぶりではない。
「うん、見た。スマホ、テーブルに置いて寝てたよね?画面の久美って名前が目についたから、気になってもう一度見た」
こっちも隠し事無しだ。
「私ね、ずっと考えてた。『亮介くん』って、普通の関係じゃないよね。自分の名前だって、親しくなければ、下の名前を名乗ったりしない。ということは、普通の関係じゃないんだなって。さっき、2人で食事してきたんでしょ?土日の社員旅行もあやしいと思い始めたよ。社員全員じゃなくて、社員2人っきりだったのかなって。そうやって、いろいろとイヤな想像する自分が嫌なの。不愉快になる。私に納得いく説明して」
舞子は言いながら、これは私なのだろうか?と思った。
誰かが舞子の口を借りてしゃべっているのではないかと錯覚するほど流ちょうに、感情を出さずに淡々と話す自分がいた。
亮介は、ただじっと聞いていた。
だが、何を思っているのか、その表情からはうかがい知れない。
舞子が話し終わったのか、まだ続きがあるのかを確認するように、少しの間があった。
そして、亮介が口を開いた。
「知ってたよ」
え?何を・・?
「多分、舞子はラインを見たんだろうなって気づいてた。だって、月曜日の朝から、おまえ変だったぞ。ラインにあんな文章が届いてたから誤解してると思ったんだ」
誤解?何を?
「じゃあ、何で今まで何も言わなかったのよ」
それこそ、やましい気持ちがあったからではないのか?
「そりゃあ、そうだろう?『オレのスマホ見た?』って、わざわざ聞くか?ただ単に機嫌が悪いだけなのかもしれないと思ったし、いちいち説明するのも面倒だし・・。変に勘ぐられるのも気分悪いし」
亮介の口ぶりは、あくまでも自分は被害者だとでも言いたげだ。
「私が悪いの?そんな風に聞こえる」
ちょっと、むっとして言い返した。
「誤解だから」
ドラマでもよく見るありがちな展開になりそうだ。
「彼女は、取引先でお世話になってる人。社員旅行だったけど、集まった人数が少なくて、団体割引が使えなくなると予算オーバーになるから、取引先からも何人か募って参加してもらったの。無理を言って参加してもらったから、お礼に食事を御馳走しますって言ったの。別にあの人とは何でもないよ」
確かに、筋は通っている。
でも、何かが抜け落ちている。
自分の聞きたかったことはそこではない。そうだ。
「じゃあ、何で名前なの?亮介くん、久美って職場で呼び合ってるの?おかしくない?」
そこは、スルーしたかったのかもしれない。
言いたくないって顔をしていた。
「呼び合ってはいない。そう呼ばれることはある。あのさ、あの人、7歳も年上なんだよ。40後半っておばさんだぜ。あり得ないだろう?」
「歳は関係ないでしょう?」
間髪入れず、言い放った。
何をわけのわからない言い訳をしているのだ。
「実はさ・・。オレに気がある・・みたい。仕事上、お願いする事が多くてさ。飲みにも誘われた。断れなかった。だから、何度か飲みには行ってるけど、そんな関係ではない。オレにとっては、あくまでも取引先の人だし、年齢的にも無理」
亮介の口から出た言葉を頭の中で何度も反すうしてみる。
これも、筋は通っている。
一方的に恋心を募らせられ、実は迷惑している。
でも、仕事上、むげにもできず困っている。
決して恋愛対象ではない。
なんだか、意外な展開に、一番戸惑ったのは舞子だ。
浮気をしている亮介がどう言い訳をするのか、いく通りも考えていたのだが、全く想像もつかないストーリーだった。
これは、本当の事なのか?
練りに練った本当に聞こえる作り話なのか?
「土曜日は何?」
「え?何が?」
何の事だ?と言いたげな亮介。
「ラインに、昨日はいろいろありがとうって書いてあった。旅行に行ったのに、何で土曜日だけありがとうなのかなって」
それも言うのかよーって顔の亮介。
「土曜日、本当は会社からバスが出たんだけど、佐々木さん、ああ、久美さんの名字ね。佐々木さんは用事があってバスに間に合わないって言うから、オレが迎えに行って車で連れて行ったんだよ。土曜日だけ車で、日曜日はバスでみんなと一緒に帰ってる。だから、土曜日はありがとうってこと」
舞子が何か言おうとしたが、亮介が口を開いた方が早かった。
「あー、そう。バスが出るのに、わざわざ車を使ったのを黙ってたのは、どうせ責められると思ったから。それに、知らない人、しかも女性を乗せると言ったらいい気はしないだろう?」
そう、畳みかけるように続けた。
『なーんだ、そういうことだったのか』と、晴れ晴れとした気持ちには、もちろんなれるはずもなかった。
この1週間の重い気持ちが、そう霧が晴れるようにすっきりするわけがない。
亮介の話は、すべてつじつまが合っている。
すべて舞子の思い過ごしだった。これが真実だったとしよう。
だが、一度生まれた疑念というものを、そう易々と取り去ることなどできない。
これからは、事あるごとに、亮介の事を疑い始めるだろう。
夫は妻に不貞現場を見られても、絶対に認めてはいけない・・と、よく言われる。
浮気の決定的瞬間を見られても、マッサージをしていただけだ・・と言い訳しろと言うのだ。
その話を聞いた時には、そんな言い訳が通じるわけないじゃないと鼻で笑っていた。
だが、今ならそれがよくわかる。
そうだ。何があったとしても、否定してほしかったのだ。
絶対に浮気はしていないと。
「浮気してました。ごめんなさい」と言われていたなら、どうしていただろうか?
きっと、許せなかっただろう。
浮気ぐらいで・・と、人の話を聞いた時にはそう思っていた。
だが、当事者になってよくわかった。
信用していた人からの裏切りは、ダメージだ大きすぎる。
多分、その時許したとしても、一生疑い続けるのだろう。
そして、執拗に責め続け、結局愛想をつかされて別れることになるのだろう。
今回の事も、別に何もないのだと思う。
多分、舞子が疑っているような関係ではない。
これでも夫婦を10年以上続けてきているのだ。
亮介が、その人にのめり込んでいるのか、いないのかぐらいはわかる。
いや、そう思うこと自体、欺瞞だ。
誰も、人の心を掌握することなんてできるはずがないのだから。
「わかっただろう?全部舞子の誤解だ。不愉快な思いをさせたなら悪かった。でも人のスマホを見る舞子も悪い。お互いさまだ。もうこの話は終わり。オレは疲れたから先に寝るぞ」
そう言って、亮介はさっさとリビングを出て行った。
もやもやした気持ちは残った。
一方的に幕引きされてしまった。
手に着いたアイスクリームが、いつまでもべたべたとして気持ち悪い感じを連想させた。
もう少しキレイに拭くことができれば、すっきりさっぱりするのに。
ああ、もうどうだっていい。
これ以上は、どうせ何もわからないのだから・・。




