夫への疑心暗鬼
その夜、亮介は9時過ぎに帰って来た。
その頃には、亮介と普通に会話できるくらいには舞子も落ち着いていた。
「おかえり」
「ただいま」
という短い会話を交わした後、亮介は風呂に入った。
仕事から帰ってくると、まず風呂に入り、それからご飯だ。
この順番が変わったことは一度も無い。
一日の疲れを風呂で取ってから、ゆっくりと晩酌する。
亮介にとって、至福の時間だろう。
風呂場の方からガラガラと風呂のふたをする音が聞こえてきた。
そのタイミングで、料理を温め始める。
子供たちと舞子はすでに食べ終わっているので、亮介1人分を温め直して食卓に並べるのだ。
濡れた髪をタオルでふきながら亮介がリビングに入ってきた。
「お、今日は麻婆豆腐か。よかったー。昼のランチ、唐揚げ定食か麻婆豆腐か迷ったんだよ。唐揚げにしてよかったよ」
私が一日中悩んでいたのに、のんきなもんね・・と、舞子は嫌味1つでも言ってやりたかった。
「そうなんだ」
かろうじて、それだけは言えた。
「あ、そうだ。木、金と連チャンで飲み会入ったから、夕飯要らんわ」
亮介が続けてそう言った。
必死に頭の中から追い出そうとしていた事が、また蘇ってきた。
どちらかが、彼女との食事だ。いや、木金と2日続けてなのかもしれない。
その後は、亮介の話をうわの空で聞いていたようだ。
「・・だよな?」と聞かれても、
「あ、うん」と、とりあえず返事を返したに過ぎなかった。
どうして、私はラインの事を聞けないのだろう。
『この人誰?』って、軽い冗談を言うみたいにさらっと言って聞けばいいじゃないか。
その一言が、なかなか言い出せなかった。
そして、そのまま木曜日になった。
朝から、亮介のスーツとネクタイをチェックした。
特にめかしこんでもいない。いつものスーツにネクタイだ。
大きな商談や気合を入れなければならない時には、勝負タイと称して赤いネクタイをしめる。
アメリカの大統領が大統領選でよくやる戦法だ。
それ以外ではグッチとアルマーニのネクタイを1本ずつ持っている。
これも、ちょっと特別な日に締めるネクタイだ。
念のため、パンツもちらっとチェックしてみたが、いつも履いているトランクスだった。
ならば、逢引きは明日なのか・・?
いや、男には勝負パンツなどないのかもしれない。
夜11時を回った頃、亮介は帰ってきた。
酔ってはいない。
近づいて、さりげなくにおいを嗅いでみた。
酒とたばこ以外には特に感じなかった。
石鹸や香水の香りがするのかも・・と、少し覚悟していただけに、拍子抜けしてしまった。
いや、ということは、勝負は明日だ。
亮介が寝た後も、枕元に置いてあるスマホを遠目に見ていた。
もし、久美からラインがきたなら、画面が明るく光るからだ。
亮介が寝返りをうつと、腕の下にスマホが入り込んでしまい、画面が見えなくなってしまった。
引っ張り出したい衝動に駆られたが、起き出して、要らぬ腹を探られるのは勘弁願いたいところだ。
結局、寝たのか寝なかったのかわからないような状態で朝を迎えた。
何の証拠も握れなかった。
昨日に引き続き、服装のチェックをした。
パンツはいつものトランクスのようだ。
だが、ネクタイはえんじ色と白のストライプ柄のアルマーニだった。
やはり、今日か・・。
こんな時、自分が優秀な探偵だったなら、どんなによかっただろうかと思う。
仕事が終わった夫の後をつけ、女と待ち合わせてご飯を食べるのを確認する。
そして、その後、どこへ行くのかも突き止め、動かぬ証拠を掴むのだ。
興信所にでも頼みたい気分だった。
一応、浮気調査の相場を調べてみた。
基本料金3万円からで、プラス調査者1名1時間1万円。
1時間で現場を押さえられるはずはないので、どう少なく見積もっても5万円以上はかかる計算だ。
離婚を考えての調査であれば、念入りに調べてもらうのもありだろうが、今回は、自分の自己満足のためだ。
その為に、5万円も使えるのだろうか。
実際、事務所に行って頼むなんていう恥ずかしい真似ができるはずもない。
亮介に言って聞けば済む話ではないか。
そもそも、浮気していたとして、その後どうしたいのだろう。
夫の浮気を知った妻は、やり場のない怒りをどこにぶつけているのだろう。
夫にぶつけるのか?
そして、離婚するのか?
なかったことにして、元の生活を続けるのか?
まさか、自分がこんな事で悩む事になろうとは、思いもしなかった。
夜、子供たちを寝かしつけながら、このまま自分も眠ってしまえれば、どんなに楽だろうと思った。
だが、眠れるはずもなかった。
ならば、べろんべろんに酔っぱらうまで飲むというのはどうだ?
半分以上残っているワインを冷蔵庫から取り出してグラスに注いだ。
キレイな紅い色。
ワインの赤色がこんなに美しいと思ったことがあっただろうか。
この世のすべてには、色がついているのだと改めて思い知った。
不思議なものだ。
いつもの日常が非日常になった途端、物体が色を帯びて見える。
自分の感覚が極限まで研ぎ澄まされているからこそ、そう感じるのかもしれない。
亮介に正面切って問いただす。
舞子は、そう決めた。
そして、グラスに残ったワインを一気に飲み干した。




