第32話 大崩落からの大脱出! 俺の拳に砕けねぇ物はねぇ!!
だが、迷宮が最後に仕掛けた「悪あがき」が、光に向かって走る彼らの前に立ち塞がる。
出口へと続く最後の一本道。そこが、巨大な岩盤の崩落によって完全に閉鎖されようとしていた。
数トンもの巨岩が、ゆっくりと、だが確実に、外の世界への唯一の光を遮っていく。
「……塞がるぞ!!」 マッドが叫ぶ。
「マキシマム、リリーたちを頼む!! 先に行け!!」
マキシマムは一切の迷いを見せることなく、両脇に抱えたインディとララを、閉まりかけの隙間へと強引に滑り込ませた。それに続いて、ヴィクターとマキシマム自身も、地面を転がるようにして岩の向こう側へと飛び込む。
残されたのは、マッドと、彼に背負われたアーサーだけだった。
岩盤が「ズズズ」と腹の底に響く音を立て、隙間はもはや数十センチまで狭まっている。
「……私を置いていけ、マッド。この重量では間に合わん……!」
「黙ってろッ!! てめえに『貸し』を作るのが、俺の趣味なんだよ!!」
マッドは背中の大柄なアーサーを、まるで砲丸投げのような力任せの動作で、隙間の向こう側へと全力で放り出した。
そして自分自身が飛び込もうとした瞬間、巨大な岩盤が重々しい音を立てて完全に接地し、外からの光を完全に閉ざしたのである。
「パパァァァッ!!」
分厚い岩の向こう側から、リリーの悲鳴が微かに聞こえる。
「……チッ、図体がデカいのが裏目に出たか」
完全な暗闇に取り残されたマッドは、静かに、だが重く、右拳のナックルガードを握りしめた。
未知のアンプルの影響で、彼の右腕は今や赤黒く変色し、太い血管が破裂せんばかりに浮き出ている。
「……どけと言ったら、どけ。地獄の門番にもそう言ってきたはずだぜ」
……。
「おい、聞いてるか……地獄の門番さんよ」
「俺の拳は徹甲弾だ。ブチ抜けねえ壁はねえ!」
彼は、赤黒く変色した右腕をゆっくりと引き絞った。
ナックルガードが、持ち主の極限の「殺意」に共鳴するように、眩しい銀色の光を放ち始める。
エリア51が「オーパーツ」と呼び、古代の英知が結晶化したというその武具は、今やマッドの肉体の一部となって、周囲の空間そのものをビリビリと震わせていた。
マッドは獰猛に笑い、数トンはある岩盤に正拳を突き立てる構えを取った。
「……俺にはモンタナに帰って、リリーにパンケーキを焼く仕事が残っている。こんな薄暗い穴倉でくたばる訳にはいかねえんだよ!!!」
「ウオォォォォォォォォォッ!!!」
マッドの喉から、自らの魂を削り出すような咆哮が上がった。
次の瞬間、彼の右拳が、数トンの岩盤へと真正面から叩き込まれた。
ドォォォーーーーンッ!!!!!
「暴力」という名の拳が岩盤に衝突し、洞窟全体が激しく揺れる。
ナックルガードから放たれた衝撃波が、巨岩を無理やり粉砕し、クモの巣状の亀裂が岩全体へと一気に広がっていく。
「……まだまだだァ! ……砕けろ!!」
アンプルによって感覚を失っていたはずの右腕から、骨が砕けるような鈍い激痛が走る。だが、マッドは一切構わず、さらに深く拳をねじ込んだ。
ズガァァーーーーンッ!
ついに、出口を完全に塞いでいた巨岩が、内側からの異常な圧力に耐えかねて、外側に向かって大爆散した。
巨大な石礫が四方八方に飛び散り、猛烈な粉塵の煙が周囲を包み込む。僅かな外の世界の「光」が、再び視界に差し込んだ。
「……ゲホッ、ゲホッ!!」
土煙の中から現れたマッドの姿を見て、待ち構えていた戦友たちが、驚愕に目を見開いた。
「……バカな。……あの岩盤を、素手で……?」
ヴィクターに支えられていたアーサーが、信じられないものを見るように呟いた。
マッドの右腕は血に染まり、オーパーツのナックルガードさえも異常な熱で歪んでいるように見えた。だが、彼は立ち止まらない。
「……何ボサっとしてやがる。……地下のパーティーの時間は終わりだ」
一行は、完全に崩壊する遺跡の入り口から、ついに外の世界へと飛び出した。
背後では、数千年の時を刻んだ「龍の穴」が、巨大な口を閉じるようにして完全に崩落し、その悍ましい姿を地上の地図から永遠に消し去ろうとしていた。
「……終わったのね。……何もかも」
ララが、ボロボロになった杖を握りしめ、崩壊する巨大な洞窟を見ながら呟いた。
ドラゴンの宝玉、古代の秘宝、そして銀蝕虫の軍勢。その全てが、今、深い土の下へと完全に埋没していった。
「……いいや、まだ終わっちゃいねえ」
マッドが、荒い息を吐きながら、暗がりに見える前方の「光」を見据えた。
「……アーサー、スカウターの調子はどうだ。……俺たちの『お迎え』が来てるか?」
アーサーは、ひび割れたバイザーの数値を、血走った眼で読み取った。
「……マッド、喜べない知らせだ。……前方、迷宮の出口広場。……熱源反応、多数。……その数、五十……いや、百を超えている」
「……なんだと?」
マキシマムが、ミスリル・ソードを握り直し、忌々《いまいま》しげに毒づいた。
「……せっかく地獄を這い出してきたってのに、出口に『お代わり』が待ってやがるのかよ」
「……残ったローチか。あるいは、魔獣の群れか」
ヴィクターが、刃の欠けたボロボロのナイフを抜き放ち、低い構えを取った。
彼らの肉体は、すでに一歩歩くことさえ奇跡という極限状態だ。アンプルの効果も切れかかり、全身を耐え難い疲労と激痛が襲い始めている。
マッドは、腕の中で震えるリリーを、ララとインディへと託した。
「……リリー。……目をつぶって、十まで数えてろ」
「パパ……?」
「いいから、言う通りにしろ。……十、数え終わる頃には、……全部片付いてる」
マッドは、ボロボロになったナックルガードをもう一度、強引に締め直した。
右腕の骨は折れている。拳の感覚もない……神経は完全に焼き切れているかもしれない。
だが、マッド・ボーンズという男の「戦士の勘」が、彼に明確に告げていた。
ここが最後の一線だ。ここを越えれば、モンタナの朝に帰れるのだと。
「……行くしかねえぞ、野郎ども。……最後のゴミ掃除だ。……俺が最後の一匹まで、殴り殺してやるだけだ」
満身創痍の死神が、無数の松明の光が揺れる出口へと、最初の一歩を踏み出した。
「……九、十」
リリーが小さな声で、最後の手を指折った瞬間だった。
「龍の穴」の崩壊現場、その立ち込める粉塵の幕を突き破って、男達が大群の中へと躍り出た。
マッド……。
その姿は、およそ生還者と呼ぶには凄惨すぎた。右腕は折れ、皮膚は裂け、ナックルガードは激しく損傷している。
だが、マッドの瞳にはまだ決して消えない闘志の火が宿っていた。
彼と背後の戦友たち――マキシマム、ヴィクターは守るべき者のために最後の力を振り絞る……だが。
「……マッド、見ろ。……全くだ、プロフェッサーのバイザーもブッ壊れていたようだな……」
ヴィクターが、構えていたボロボロのナイフを鞘に収め、力なく笑った。
マキシマムもミスリル・ソードを地面に突き立て、安堵したように膝を落とした。
マッドも周囲の様子をみて、固く握りしめた拳からゆっくりと力を抜く……。
彼らが見た者……それは、殺意を剥き出しにして襲いかかってくる魔獣の群れなどではなかった。
「……おお……」
「出たぞ……出てきたぞ! 蛮族の戦士たちだ!!」
出口を幾重にも囲んでいたのは、アステリア王国の正規騎士団、そして近辺から集まったであろう数多の冒険者たちの軍勢だった。彼らは武器を手にしていたが、その矛先はマッドたちではなく、夜空を、そして大地を向いていた。
一瞬の静寂の後。
地を揺るがすような、凄まじい大歓声が山脈に木霊した。
「銀蝕虫の災厄が消えたぞ! 女王が死んだんだ!!」
「英雄だ! 伝説の『龍の穴』を攻略した、英雄たちだ!!」
人々が熱狂の波のように押し寄せ、マッドたちの周囲を取り囲む。
ある者は感極まって涙を流し、ある者はマッドのボロボロのタクティカル・ジャケットに触れようと、尊敬の念を込めて手を伸ばす。
彼らは外から目撃していたのだ。
地響きと共に「龍の穴」が崩壊し、そこから溢れ出していた毒々しい銀蝕虫たちの動きが一斉に止まったことを。統率を失ったローチたちは、冒険者たちでも容易く倒せるただの虫へと成り下がった。
それはつまり、この世界に理不尽な厄災をもたらす「絶対の司令塔」が死んだという、何よりの証明であった。
「……マッド。……聞こえるか。……彼らは、我々を……『英雄』と呼んでいるぞ」
アーサーはぐったりと地面に座り込み、バイザー越しに信じられないものを見るように呟いた。
彼らは元・特殊部隊として、国家の使い捨ての駒として暗躍してきた影の戦士だった。
称賛も、名誉ある勲章も持たない男たちが今、異世界の月光の下で、割れんばかりの喝采を浴びている。
「……ケッ。英雄だとよ。笑わせんじゃねえ」
マッドは、恭しく差し出された騎士団長の握手を完全に無視し、泥のついた手でリリーをマキシマムから受け取った。
「パパ……」
「ああ。……十、数え終わったな。約束通り、片付いたぜ」
マッドはリリーの頬に付いた泥を、大きな親指で優しく拭った。その手はまだ、モンスターの分厚い装甲を殴り殺すための熱を帯びていたが、愛娘に触れる時だけは、モンタナの朝と同じ柔らかさを取り戻していた。
人波を掻き分け、ララとインディの師匠筋と思われる、豪奢なローブを纏った高位魔道士たちが息を切らせて駆け寄ってくる。
「おお、爆炎のララ! そして風光のインディ! よくぞ、よくぞご無事で……! して、ドラゴンの核はどうなりました? あの奥にあったという古代の秘宝は!?」
ララは、自分を支えるヴィクターの無骨な腕を一度だけ強く握ると、権威に塗れた魔導士たちに向かって、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「……秘宝? あんなのゴミ溜めに捨てて来たわ! ……おじい様、宝物ならここにあるじゃない。……最高に馬鹿で、最高に強い、世界一の『護衛』たちですわよ」
インディも、ひび割れた眼鏡の奥で誇らしげに胸を張った。
「……遺跡の記録は全て、私の記憶の中にありますわ。……でも、教えるのはうんと高くつきますわよ?」
一行は、歓喜に沸く軍勢の間をゆっくりと歩き出した。
豪勢な馬車や、回復魔法を唱えようとする神官たちが群がってくるが、マッドはそれらをすべて無言で退ける。
「……マッド様、どこへ行かれるのですか。まずは休息をとり、後に王都で盛大な祝宴が用意されるはずですわ」
インディが声をかけるも、マッドは真っ直ぐに歩みを止めなかった。
「祝宴なら、この世界の奴等で勝手にやってくれ。……プロフェッサーを早く医者に診せねえとな」
マッドは、彼らがこの世界にやってきた際の名残であるピックアップトラックのドアを乱暴に開けると、ボロボロのアーサーを助手席に詰め込んだ。
「お別れの時間だな、お嬢さん方」
「楽しかったぜ、ララ、インディ」
マキシマムとヴィクターが二人の方を優しく見つめ、リリーをトラックの荷台に乗せた。
「何言っているの、バカなの? 武器も持たないで夜の街道を走るなんて自殺行為よ」
「私達がいなければ、皆さん、帰る前に道に迷って死んでしまいますわよ」
二人の魔法使いは、周囲の魔導士たちの制止を振り切り、平然と泥だらけのトラックに駆け寄った。
「おいおい、楽しくなってきたじゃねえか」
「道案内を頼むぜ、お嬢さん方」
ヴィクターとマキシマムは咥えたタバコに火を付け、二人の細い手を取ると、トラックの荷台へと軽々と引き上げた。
キュルルル……ブルルゥゥォォォォンッ!!
マッドがキーを回すと、V8エンジンが火を吹き、野性的な鼓動を夜の空気に鳴り響かせた。
「ララ様、インディ様、どちらへ行かれるのですか! あなた方にはドラゴン秘宝や銀蝕虫の秘密について聞きたいことがたくさんあるのですぞ!」
魔導士たちが慌ててトラックを追いかける。
「マッド、ジジイ達がうるさいから早く出しなさいよ」
バックミラー越しに、生意気に笑うララを見つめるマッド。
「……勝手にしやがれ」
マッドがアクセルを踏み込むと、太いタイヤが泥を蹴り上げ、トラックは力強く前へと動き出した。
影の戦士として散るはずだった男たちは、愛する家族と、異世界で見つけた最高の仲間たちを乗せ、次元のゲートを超えてアメリカ――彼らの故郷を目指し、夜の荒野を疾走していくのであった。




