第24話 シャドウクロウの死。勇敢な狩人マキシマム
重厚な石の扉が、マッドのブーツによって蹴り飛ばされた。
埃が舞い、扉の向こう側に広がる巨大な空間が、ララの灯す魔法の光によってゆっくりと浮かび上がる。
「龍の穴」の最深部近くに位置する龍の祭壇
そこは、今まで通り抜けてきた遺跡とは格の違う、静謐でかつ圧倒的な魔力の密度に満ちた場所だった。
「リリー! 無事かッ!」
マッドが声を張り上げ、祭壇の中央へと駆け寄る。
だが、返ってくるのは冷たい残響だけだった。
「……いない。どういうことですの、リリーの魔力反応は確かにここにあったはずですわ」
インディが震える手で眼鏡を直し、周囲を見回した。
バイザー越しに空間を解析していたアーサーも、その場で立ち尽くした。
「……微弱な反応はある。だが、魔力反応が移動している。……マッド、上だ! 奥の上を見ろ!」
アーサーの叫びに、ヴィクターがポーチから高輝度ケミカルライトをパキッと折り、広場に投げ込む。
化学反応を起こした緑色の光が、空間の暗がりを鮮烈に照らし出した。
祭壇のさらに奥、深層へと続く巨大な扉。その上部の岩盤が酸でドロドロに溶かされ、暗く巨大な縦穴がポッカリと空いている。
そこを、信じられないほどの巨体が、音もなく這いずり上がっていくのが見えた。
「……さっきのプレトリアン級か?」
ヴィクターの声が戦慄に震える。
その影は、体長五メートルを超える銀蝕虫・プレトリアン級の成体だった。
そして、その鋭利な前脚には、白い繭のような塊に包まれ、ぐったりと横たわるリリーの姿が、まるで忌まわしき神への供物のように抱えられていたのである。
「追うぞ! あのデカブツがリリーを連れていやがる!」
マキシマムが、即席の甲殻装備を軋ませて駆け出そうとする。
「待て! しかしあの扉はパルスライフルでは破壊できんぞ」
アーサーが制止する。この先へ進むには重厚な扉を破壊するか、プレトリアン級が通り抜けた穴を使うしかない。しかしその穴の位置は十メートル以上の高さがあり、垂直の壁を登る手段はない。
「クソッ! 手持ちの武器じゃこの扉は破壊出来そうにねぇぜ」
マッドたちがリリーを目前にして足止めを食らい、焦燥に駆られている中、背後から不気味な「音」が響いた。
「……ヒ、ヒヒ。待てよ人間ども……カハッ……」
湿った、それでいて耳障りな笑い声。
一行が振り返ると、祭壇の背後にそびえ立つ巨大な石柱に、何かが「磔」にされていたのである。
「……なっ!? 片目のゴブリン……!?」
ララが短く悲鳴を上げ、杖を構えたまま後退りする。
かつてリリーを攫い、マッドたちを地獄へ突き落としたあの狡猾な悪党が、そこにいた。
だが、その姿はあまりに凄惨だった。
強固な粘液によって石柱へ磔にされ、全身の骨を徹底的に砕かれたかのように力なく垂れ下がっている。かつて狡猾な光を放っていた唯一の眼球は、ドロドロとした体液にまみれ、死を目前にした者のそれへと変わっていた。
「ケッケッケ……人間、オソカッタ……な……」
磔にされた片目のゴブリンが、血反吐を吐きながら、一行を嘲笑うように醜く口を歪めた。
リリーを救うために血みどろになって辿り着いたその場所は、彼女を救い出すための到達点などではなく、ただの「通過点」に過ぎなかったのだ。
「……そんな、あまりにおぞましい……」
ララが声を震わせ、杖を握る手に力を込めた。インディもまた、磔にされたゴブリンの無残な姿から目を逸らし、数歩後ずさる。
かつて自分たちを追い詰め、策を弄してリリーを奪った強敵の、見るに堪えない成れの果て。
その四肢は無惨に捻じ曲げられ、まるで古代の残酷な処刑場のような光景が祭壇を支配していた。
「ヴィクター、周囲を索敵しろ。罠かもしれない」
マッドが極めて低く、冷徹な声で命じる。ヴィクターはレミントンM700を低く構え、祭壇の影や天井の梁をひとつひとつ、スコープで舐めるように確認していく。
「……マッド、こいつは仕置きだ」
ヴィクターが吐き捨てるように言った。
「見てみろ、この傷。ローチにやられたもんじゃない。もっと鋭利で、正確で……冷徹な刃物の跡だ。……シャドウ・クロウの仕業に違いねえ」
アーサーがバイザーの解析モードを切り替え、柱に刻まれた傷跡とゴブリンの裂傷を照合する。
「……ああ。彼らにとって、この神聖な祭壇を汚す不浄な存在は、狩りの対象ですらない『害獣』に過ぎない。……奴らはこのゴブリンがリリーを利用して何かを企んでいたことを知り、その誇りを汚されたことに激怒したんだ」
その時、ゴブリンが再び、喉の奥で乾いた笑い声を漏らした。
「……オ、オレ……ハ……ただの……前座……。本当の……地獄ハ……下ダ……」
血まみれの独白。ゴブリンの濁った視線は、プレトリアン級がリリーを連れ去った巨大な扉へと向けられていた。
「私、この扉に刻まれている紋章に見覚えがあるわ」
ララは顔面蒼白で震えだした。
「ララ、強気のお前がどうしたんだ。この先に何があるというのだ」
ヴィクターが、怯える彼女を落ち着かせるように優しく問いかける。
「ドラゴンの間よ……この先はドラゴンとの謁見の間。龍の穴の本当の最深部。真の強者のみが入れる場所なのよ」
「ケッケッケ……我ら……魔獣の頂点……全てを滅ぼす」
「黙ってろ。吐きたいことがあるなら、後でじっくり聞いてやる」
マッドが冷酷に言い放ち、片目のゴブリンを完全に無視して扉へと歩み寄り、パワードスーツの出力を全開にする。
「待ってください、マッド様! ここから先は危険すぎますわ! 銀蝕虫のみならば勝てる可能性はございます。しかし、ドラゴンを一緒に相手にするのは無謀ですわ!」
インディが悲痛な声で叫ぶが、マッドの足は止まらない。
だが、マッドが重厚な扉に鋼鉄の拳を叩き込もうとしたその時、祭壇の影……光の届かぬ死角から、かすかな熱反応が検出された。
「……待て。まだ『掃除』しきれていないゴミが残っているようだぜ」
マキシマムが、背中の甲殻装備を軋ませながら、右手の銀蝕虫の剣を握り直した。
影。そこには、光学迷彩の揺らぎさえ維持できなくなった、一体の傷ついた異形の者が潜んでいた。
「……いたぞ。不可視迷彩が死にかけてやがる」
マキシマムが油断なく異形の者へ一歩踏み出すと、完全に光学迷彩が解除され、一体のシャドウ・クロウが姿を現した。
だが、そこに「最強の狩人」の威厳はなかった。
全身の装甲はひび割れ、プレトリアン級の強酸を浴びたのか、肉体の一部からは腐食した体液が滴り落ちている。自慢のプラズマ・キャノンも中ほどからへし折れ、その姿は死を待つだけの敗残兵そのものだった。
「こいつ……殺すのか?」
ヴィクターがレミントンの銃口を、その眉間へと固定する。引き金にかけられた指には、迷いも慈悲もない。
ララとインディは、その異形のおぞましい負傷に息を呑み、さらに数歩距離を置く。彼女たちにとって、この祭壇の間で起きていることは、もはや理解の範疇を超えた凄惨な儀式の残骸にしか見えなかった。
「……マッド、どうする。放っておいても長くは持たねえだろうが、後腐れなく仕留めておくか?」
マキシマムが問いかけるが、マッドの視線はシャドウ・クロウを通り越し、リリーが連れ去られたドラゴンの間へと向けられる。
「……構うな。先を急ごう」
マッドの声は、硬く、乾いていた。
「弾の無駄だ。それに、こいつはもう戦士じゃない。ただの敗者だ」
マッドは背を向け、一歩を踏み出す。
だが、その背中を追おうとしたマキシマムの前に、地を這うような低い声が響いた。
「……待……テ……」
傷ついたシャドウ・クロウが、震える腕を伸ばし、マキシマムを見上げた。正確には、マキシマムが身に纏っている「プレトリアン級の甲殻」を、その傷付いた瞳が見つめていたのである。
「……ソレハ……我ラガ……獲物ノ……殻……」
「カチ、カチ……」というクリック音が、今度は喉の奥から血を絞り出すような音となって響く。
「……戦士……カ……? 貴様ハ……真ノ……戦士ナノカ……?」
その問いは、マキシマムが手にした近代兵器に向けられたものではなかった。
己の肉体と、狩り取った獲物の皮を纏うという、彼らシャドウ・クロウが最も重んじる「狩人の法」に適応した者への、最後の確認だった。
重苦しい静寂が祭壇を支配する中、マキシマムは一歩、また一歩と傷ついたシャドウ・クロウの前へと歩み寄った。
パワードスーツを溶かされ、剥き出しの筋躯に銀蝕虫の無骨な甲殻を括り付けたその姿。それは高度な文明を誇る兵士のそれではなく、この「龍の穴」という死地に適応し、獲物の骨肉を喰らって生き延びる、原初の「狩人」の姿そのものだった。
「……戦士か、だと?」
マキシマムは、手にした即席の甲殻の剣を無造作に肩に担ぎ、鼻を鳴らした。
「ああ、そうだ。地獄の底から這い上がってきた、ただの戦士だ」
その答えを聞いた瞬間、シャドウ・クロウの表情に変化がみられた。それは驚きでも敵意でもなく、己の最期に見出した「同類」への、深い敬意の証だった。
「……良キ……回答ナリ……」
シャドウ・クロウは、震える右腕を自らの腰へと伸ばした。そこには、彼らの一族でも高位の者にしか許されない、魔銀で鍛え上げられた一振りの長剣が収まっていた。
「……ヤツヲ……殺セ……。我ラノ……聖域ヲ……汚ス……不浄ナル……プレトリアンヲ……」
ガチリ、と金属の噛み合う音がした。
シャドウ・クロウは最期の力を振り絞り、その重厚な長剣を鞘ごと外し、マキシマムへと差し出した。
「……受ケ……取レ……。戦士ヨ……」
マキシマムは黙ってその剣を受け取った。
手にした瞬間、ずしりとくる重み。そして、パワードスーツのセンサーを介さずとも伝わってくる、背筋を凍らせるような鋭利な魔力の波動。それは、今のマキシマムの「野性」に最も相応しい、異界の工匠が打ち出した最高傑作だった。
「……受け取ったぜ。あんたの仇、俺たちがキッチリ取ってやる」
そして、シャドウ・クロウはドラゴンの間へと続く扉を指さした。その先には、剣の形をしたレリーフが刻まれていたのだ。
「これは鍵なのか?」
マキシマムが剣を抜き放つと、青白い残光が回廊の闇を切り裂いた。
その光を確認したかのように、シャドウ・クロウは「カチ、カチ……」と満足げな音を一度だけ漏らし、そのまま事切れた。
「……マキシマム、そいつは死んだのか?」
ヴィクターが呆然と呟く。
「ああ……『プレデター』からの最後の贈り物だ。悪くねえ気分だぜ」
マキシマムは新調した長剣を正眼に構え、その切っ先を扉へと向けた。
種族も、世界も、技術体系も違う。だが、戦場で散る者が、生き残る者に託す「意志」の重さは、他の世界でも何ら変わりはなかった。
「……行くぞ。トカゲの旦那に、最高のハントを見せてやらなきゃなんねえからな」
一行の視線は、再びドラゴンの間へ続く扉へと向けられた。




