第10話 戦場の死神達! 異世界に降り立つ!
セクター9の最深部、ドロドロに溶け落ちた鋼鉄の門をくぐり抜けた瞬間、世界の「音」が劇的な変貌を遂げたのである。
それまでの閉鎖された施設特有の、機械的なハミング音や冷たい静寂は跡形もなく消え去り、代わりに耳を打つのは、湿り気を帯びた冷たい風が吹き抜ける「ヒュウッ」という不気味な風切り音だったのである。
マッドは軍用ブーツの分厚い底で、初めて踏みしめる異世界の乾いた土の感触を確かめ、静かに顔を上げたのだった。
「……なんだ、ありゃあ」
マキシマムが、巨大な重機関銃を構えたまま、呆然とした様子で空を見上げていたのである。
そこには、地球の常識を根底から覆す、狂気じみた光景が広がっていたのだった。
毒々しい紫がかった、どろりとした夜空。
その天頂近くには、大小二つの歪な形をした月が不自然に並んで浮かび、地上の荒野を冷たく、青白い光で不気味に照らし出しているのである。
空気は薄く、鉄錆と腐った獣の肉を混ぜたような、鼻を突く強烈な異臭が湿った風に乗って流れてきたのだった。
「……情報が……情報が全く合わない!」
アーサーのパワードスーツが各部から異常を知らせる警告音を激しく鳴らす中、彼は狂ったようにタクティカル・バイザーのデーターを操作し始めたのである。
「事前のドローン映像……サラが我々に見せた偵察データでは、ゲートの先は広大な地下空洞のはずだった! 無数のスター・カスケイダーが密集し、そこは巨大な『蟻の巣』のような構造をしているはずだったんだ。なぜ、いきなり『外』なんだ!? 座標が致命的にズレたのか、それとも……」
極限のパニックに陥り混乱するアーサーを横目に、マッドは冷たく吐き捨てるように言葉を投げつけたのである。
「落ち着け、プロフェッサー。お前の立派な機械が嘘をついてるか、お前の飼い主が最初から俺たちを騙してたか。……答えはそのどっちかだ」
アーサーは深呼吸を繰り返し、懸命に冷静さを取り戻そうと足掻いたが、あまりの衝撃にうろたえ、暗闇の中で足をもつれさせて無様に地面を這ったのだった。
その様子を冷淡に見守りながら、マッドは脳漿で汚れたショットガンを肩に担ぎ直し、人外の鋭い眼光で周囲の闇をジッと見つめて現状を確認していたのである。
「……クソッ、光学センサーが安定しない! 暗視モードに切り替える……リフレッシュレートを最大に、熱源探知を併用……」
アーサーはバイザーの横にあるスイッチをカチカチと激しく叩き続け、激しいノイズで増幅された緑色の視界を必死に確保しようともがいているのだった。
「どうしたアーサー。お前のその自慢の『未来の目ん玉』は、夜目がきかねえのか?」
マッドが、鼻で短く笑いながらアーサーの震える肩を力強く叩いたのである。
「昼寝のしすぎで鳥目にでもなっちまったか。そんな不甲斐ない体たらくじゃ、この先リリーを見つける前に自分の足につまづいて無様に死ぬぜ」
「……黙れ! 君たちの野蛮な網膜と一緒にしないでくれ! 私は一キロ先の熱源を正確に特定しようとしているんだ。この異世界の光の波長が、地球のセンサーと致命的に干渉しているだけだ……!」
アーサーがプライドを懸けて必死に弁解している横で、ヴィクターはすでに影のように荒野の岩陰に身を隠し、機械に頼らない生身の鋭い目で遠方を見据えていたのである。
「アーサー。無駄口を叩いてる暇があるなら、あっちの丘の上を見てみろ。お前のその『高価なおもちゃ』にも、流石にあれほどデカい焚き火くらいは映ってるだろ?」
ヴィクターが指をさした方向へ、アーサーは慌ててバイザーの焦点を合わせたのである。
「……なっ……なんだ、あれは……」
アーサーのバイザーが、緑色のノイズを激しく撒き散らしながら、巨大な未知の構造物の輪郭をようやく捉えたのだった。
バイザーの光学ズームと高度なデジタル補正機能により、闇に沈んでいたその輪郭が、徐々に鮮明な恐怖となって浮かび上がってきたのである。
それは、巨大な石と丸太を無造作に、だが軍事的な視点で見れば極めて堅固に組み上げた、醜悪極まりない「砦」だったのである。
高さは十メートルを超え、所々には威嚇するように巨大な獣の骨や、色が剥げ落ちた不気味な皮の旗が揺れていたのだった。
砦の至る所に設置された巨大な篝火からは、青白い不気味な炎が激しく立ちのぼり、周囲の荒野を冷徹に照らし出していたのである。
「……馬鹿な。ゴブリンの砦なのか? ゴブリンという下等な種族に、あんな巨大な建造物を作れるほどの知能があるというのか?」
アーサーが、その圧倒的な存在感を前に愕然として呟いたのだった。
「私の知るあらゆるデータによれば、奴らは知能指数が極めて低い、略奪と捕食しか脳にない単なる獣のはずだ。あんな、組織化された軍事拠点を自力で作れるはずがない……。重力計を無視したような歪な丸太の組み方だ、建築学的には完全に破綻している。だが、壊れる気配が微塵もない」
混乱の極致にあるアーサーとは対照的に、ヴィクターは愛用の軍用双眼鏡を取り出すと、砦の入り口付近を詳細に観察し始めたのである。
「……ああ、アーサー。お前の言う通りだ。あそこにいる連中のツラを見てみろ。知能なんて高尚な言葉は、あいつらの汚ぇ辞書にはなさそうだぜ」
ヴィクターの視線の先、砦の正門前では、十数体のゴブリンが巨大な焚き火を囲んでいたのである。
彼らは自分たちの身長よりも長い錆びた剣や歪な棍棒を地面に投げ出し、手掴みで「何か」の魔獣の死骸をむさぼり食っていたのだった。
一匹が肉の塊を独占しようとすれば、隣の個体がその頭を力任せに殴り飛ばす。
同族同士であっても血まみれになって争い、喉笛を食い破らんとするその振る舞いは、文明とは程遠い、ただの凶暴な獣そのものだったのである。
「……あんな低知能な連中が、あの巨大な砦を自力で築き上げたとは到底思えねえな」
マキシマムが、重機関銃の給弾ベルトの噛み合わせを指先で確認しながら毒づいたのである。
「誰かが裏で指図して無理やり作らせたか……あるいは、どこかの誰かから力ずくで奪い取ったかだ。ただ一つ言えるのは、あいつらも所詮はただの『番犬』に過ぎねえってことだ」
マッドは一歩前へ出ると、深く、大きく鼻を鳴らしたのである。
冷たい夜風が運んでくる微かな匂いを、特殊部隊時代に地獄の戦場で培った人外の嗅覚で分析したのだった。
だが、その顔は険しく、殺意を孕んで歪んでいたのである。
「……チッ。あそこには、リリーはいねえ」
「何だって? マジなのか、マッド」
マッドの確信に満ちた断言に、思わずヴィクターが聞き返したのである。
「ああ。……愛しい娘の匂いより、もっと鼻を突く『腐った鉄』の臭いが周囲に充満してやがる。あそこはリリーが囚われている最終目的地じゃねえ。……リリーを連れ去ったあの片目の野郎が、ここを『関所』か『中継地点』として通り抜けただけだ」
常識を逸脱したそのコメントに、ヴィクターも一瞬唖然としたが、それがマッドなりの戦場感覚であることを即座に理解したのだった。
しかし、マッドの鋭い瞳の奥には、氷のように冷たい殺意が宿っていたのである。
「あいつら、俺の獲物をさらに奥へと運びやがったんだ」
「待て、マッド! 闇雲に突っ込むのはあまりに危険だ!」
アーサーが、パワードスーツの警告音を鳴らしながら必死に制止したのである。
「あの砦の規模から推定して、内部に潜伏しているゴブリンの数は少なくとも三百……いや、五百は優に超える可能性がある。残弾数にも細心の注意を払わなければならん。この先、どれだけの未知の敵と遭遇するかも不明だ。火力不足を考慮して慎重に進むべきだ」
「火力が足りねえだと?」
マキシマムが、ニヤリと凶悪な、野獣のような笑みを浮かべたのである。
「アーサー。お前、さっきからデータの数値ばっかり追ってて、俺たちの顔を見るのを忘れてねえか? ……俺の機関銃は、あんな木の板で作ったようなおもちゃの砦ごと、連中を纏めてミンチにするために存在してるんだぜ」
マッドもまた、ショットガンの銃身を手のひらで荒っぽく叩き、アーサーを冷徹に見つめたのである。
「アーサー。お前のその高価なおもちゃ(バイザー)で、一番デカい焚き火がどこにあるか教えろ。……そこが、あいつらの司令部か、あるいは一番『偉そうな野郎』が座り込んでいる場所だろ?」
アーサーは逆らっても無駄だと悟り、砦を再スキャンして熱源反応を元に詳細な立体データーを作成したのだった。
「……中央にそびえ立つ、最も大きな塔の真下だ。熱源反応がそこに集中している」
アーサーは、もはや消え入りそうな声で答えるしかなかったのである。
「上等だ。……そこから正面突破の殴り込みだ。喋れる理性が残っている野郎がいるなら道を訊く。喋れねえなら、全員まとめて地獄の底へ送って、リリーの足跡を探し出すだけだ」
マッドは銀色に輝くナックルガードを強く握りしめ、二つの月が照らす呪われた荒野へと力強く足を踏み出したのである。
「おい、アーサー。ボヤボヤしてると地獄に置いてくぜ」
ヴィクターが超硬ナイフを指先でもてあそびながら、アーサーの横を風のようにすり抜けていくのだった。
「お前のそのナイトビジョンに、俺たちが生ゴミを掃除する歴史的な瞬間を、瞬きせずにしっかり刻んどけよ。……ただし、腰を抜かして大事なセンサーを壊すんじゃねえぞ?」
「……クソッ! 全員、狂ってる……私も含めてだ!」
アーサーは半ば絶望的に叫びながらも、パワードスーツの出力を戦闘モードへと引き上げ、マッドの逞しい背中を追ったのである。
荒野に、重厚な金属音と、乾いた風の音が不気味に混ざり合うのだった。
遠くの砦からは、何も知らないゴブリンたちが上げる、耳障りで不快な叫び声が、夜の静寂を激しくかき乱していたのである。
「ゴミ掃除の時間だ。弾丸の準備はいいか、野郎ども」
マッドの声が、冷たい月光の下で、低く、そして重く響き渡ったのだった。
「「――おうよッ!!」」
マキシマムとヴィクターの咆哮が夜空に重なり、異世界の静寂が、圧倒的な暴力によって無慈悲に塗り替えられようとしていたのである。




