第9話 破られた扉!? セクター9の真実?そして異世界へ!
セクター9の心臓部である「繁殖場」での凄絶な死闘は、マッドによるソルジャー級の粉砕という、衝撃的な結末を迎えたのである。
周囲には、粉々になったローチの漆黒の外殻と、青白い不気味な体液、そして周囲に激しく飛び散った脳漿が、鼻を突くおぞましい死臭と共に散乱していたのだった。
マッド・ボーンズは、返り血で無惨に汚れながらも、依然として鈍い銀色の神秘的な輝きを放ち続けるナックルガードを、静かに見つめていたのである。
エリア55が誇る最新のパワードスーツさえも一瞬でグズグズに溶かすソルジャー級の強酸をまともに浴びてなお、その古代技術の結晶には、傷一つ付いていなかったのだった。
その光景を冷徹な瞳で見据えていたマッドは、ゆっくりとソルジャー級の死骸へと歩み寄っていったのである。
「……おい、アーサー。こいつの脳みそ、まだ生きてるか?」
マッドが、足元に転がっているソルジャー級ローチの巨大な頭部の残骸を、軍用ブーツの先で乱暴に突っついたのだった。
アーサーは、過負荷を起こしたパルスレーザーの冷却を待ちながら、困惑を隠せない様子でタクティカル・バイザーのスキャンを開始したのである。
「……生化学的には完全に死んでいるが、神経の反射……いわゆる脊髄反射的な信号はまだ微かに残っているはずだ。だが、それがどうした? もはや脅威ではないと断言できるが」
マッドはアーサーの問いに答えず、無造作にヤツの死骸のそばに腰を落としたのである。
そして、あろうことか自らの素手でローチの叩き割られた頭部から、ドロリとした粘り気のある青白い脳漿を、力強く鷲掴みにしたのだった。
「な、何を……何を考えているんだマッド! 狂ったのか!」
アーサーが、生理的な嫌悪感から悲鳴に近い声を上げたのである。
マッドはアーサーの切迫した制止を完全に無視し、掴み出した脳漿を、自らのコンバットブーツ、そしてパワードスーツの剥き出しになった関節部、さらには愛銃ショットガンの銃身に至るまで、執拗に塗りたくり始めたのだった。
「……さっきのタイマンで分かった。こいつらは、自分の強酸で自分自身を溶かさねえように、中身が特別な成分でコーティングされてやがる。……なら、これがお似合いの『防護服』になるだろ」
「……本気かよ、マッド」
「鋼鉄の刺客」ヴィクターが呆れ顔で歩み寄ったが、その瞳の奥には、戦友の冷徹な判断に対する隠しきれない感心の色が混じっていたのである。
「ヘッ、確かに合理的だぜ。……アーサー、お前の高価なパワードスーツより、こっちの生臭い汁の方が戦場じゃ信頼できそうだぜ」
ヴィクターもまた、一切の迷いを見せることなくローチの脳漿を手に取り、自慢のナイフの柄や、予備の弾倉に塗りたくっていったのだった。
「歩く要塞」マキシマムに至っては、豪快に笑い飛ばしながら顔面にまでそのドロドロの液体を塗りつけ、もはや人間というよりは野獣そのものの恐ろしい風貌へと変貌を遂げていくのである。
「これで強酸の雨も怖くねえ。……アーサー、お前もだ。エリート様自慢のスーツが溶けて、中身が真っ裸になっちゃ困るからな」
マッドが、脳漿まみれの巨大な手をアーサーに向かって差し出したのだった。
「私は……私は遠慮しておく。生理的に受け付けないし、スーツの精密センサーが狂う恐れがある……」
アーサーは一歩後ずさり、吐き気を懸命にこらえるようにバイザーの視線を逸らしたのである。
「……信じられん。野蛮すぎる。君たちは、自分が今、どれほど正気から遠ざかっているか理解しているのか?」
「正気じゃあ、娘は救えねえんだよ」
マッドの放った重い一言が、血の臭いが立ち込める通路の静寂を、鋭利な刃物のように切り裂いたのである。
三人がおぞましき脳漿コーティングを黙々と施している間、アーサーは現実逃避するように、慌てて小型の回収ドローンを起動させたのだった。
ソルジャー級ローチの心臓部付近から、結晶化した「核」や細胞組織を慎重に採取し、予備の真空ケースへと収めていくのである。
「なんだ、エリート様が直々に生ゴミ拾いか? 似合わねえな」
マッドが、脳漿を塗り終えた手を破れた軍服の切れ端で拭いながら、皮肉たっぷりに吐き捨てたのだった。
「これは科学班にとって極めて貴重なデータになる。今後の対スター・カスケイダー戦におけるワクチンや、新兵器の開発において不可欠なサンプルだ。これも任務の一環だよ」
アーサーは自らに言い聞かせるように、必死にキーボードを叩き、採取したデータを本部に送信しようと試みたのである。
だが、マッドは鼻で短く笑うと、アーサーの眼前でショットガンを肩に力強く担ぎ直したのだった。
「……そんなもん、何の意味もねえよ」
「何だと?」
「なぜなら、俺たちがここでこいつらを一匹残らず全滅させるからな。対策を練るべき相手が、この世からいなくなるんだぜ? 生ゴミを拾って研究する暇があるなら、一秒でも早くその細い指をトリガーにかけな」
アーサーは言葉を詰まらせたのである。
マッドの言うことは、決して理論的なものではなかった。
だが、この繁殖所と化した「セクター9」という地獄においては、マッドの言葉こそが唯一の真実であるかのような、圧倒的な説得力を持っていたのである。
一行は、さらに施設の手を離れつつある深部へと歩みを進めたのである。
進むほどに通路は不自然に広がり、かつての軍事機密施設としての無機質な面影は、無慈悲に失われていくのだった。
壁を覆っていたはずの頑丈な金属プレートは無惨に剥がれ落ち、代わりに異世界の剥き出しの岩肌のようなものが、不気味に露出していたのである。
「……おかしいぜ。マッド」
先行していたヴィクターが、何かを察知して急に足を止めたのだった。
「何がだ、ヴィクター」
「……レベル1と2しか出てこねえ。さっきのレベル3を叩き潰してから、それ以上の強敵がまったく姿を現さねぇんだ。……まるで、ここにはもう《《いねえ》》みたいだぜ」
「歩く要塞」マキシマムも、巨大な重機関銃を構えたまま周囲を不審げに見渡したのである。
「ああ。これだけの規模の繁殖場にしては、静かすぎる。さっきの五十体や百体が最後だなんて、あまりに拍子抜けだぜ」
アーサーがタクティカル・バイザーを最大出力のスキャンモードに切り替えたのだった。
「……そんなはずはない。本部のドローンが捉えた最新映像によれば、この先にある最重要区画『プライム・ゲート』は、特注の超硬合金で作られた鋼鉄の隔壁によって厳重に封印されているはずだ。ローチどもはこのセクター9の檻から、一歩も外へ出られないはず……」
だが、通路の終点に到達した瞬間、アーサーの自信に満ちた言葉は、恐怖と共に凍りついたのである。
そこには、想像を絶するほど広大なドーム状の巨大空間が広がっていたのだった。
中央には、かつて「プライム・ゲート」と呼ばれた、異世界の扉を固定するための巨大なリング状の装置が鎮座しているのである。
だが、その光景はアーサーの知る設計データとは、似ても似つかない代物へと成り果てていたのだった。
「……なんだ、ありゃあ」
マキシマムが、M60機関銃を構えたまま絶句したのである。
ゲートを完全に封印していたはずの、厚さ数メートルはあろうかという超硬合金の隔壁。
それが、まるで熱したナイフで冷たいバターを切り裂いたかのように、ドロドロに溶け落ちて巨大な大穴が開いていたのだった。
それも、ただの物理的な破壊による穴ではないのである。
周辺の金属構造物はすべて、ローチが放つ強酸によって飴細工のように醜く捻じ曲げられていたのだった。
ゲートの向こうから溢れ出した異世界の土壌と施設の残骸が混ざり合い、一つの巨大な「門」を形成していたのである。
「……封印が……完全に突破されている……」
アーサーが絶望に打ちひしがれ、膝をつくようにしてその場に立ち尽くしたのだった。
「馬鹿な……出撃前に上層部から見せられたドローン映像では、封印は完全に健在だったはずだ! ゲートは閉じられ、スター・カスケイダーはセクター9の中に確実に隔離されているはずだったんだ!」
「……お前の見ていた映像が古かったんだよ、プロフェッサー」
マッドが、無惨に溶け落ちた隔壁の縁に静かに手を触れ、プライム・ゲートを冷徹に見上げたのである。
「お前らの組織は、とっくにここが突破されていることを隠蔽してたか……あるいは、部下が嘘をついていることにも気づかないほど、上層部が救いようのないマヌケだったってことだ」
ヴィクターとマキシマムの瞳に、アーサーへの鋭い不信感が宿ったのだった。
二人はゆっくりと、明確な敵意を持って、震えるアーサーの方へ詰め寄ったのである。
「おい、アーサー。俺たちは組織にハメられたのか? 『隔離されている害虫の駆除』だなんて甘い嘘を吹き込まれて、実はとっくに野に放たれた化け物を追いかけてるってわけかよ」
ヴィクターの低い、地を這うような声がドーム内に響いたのだった。
「サラの野郎も同罪か? それとも、お前だけが何も知らされずに踊らされてた、惨めなピエロなのか?」
「私は……私は何も知らない! 私は、与えられた最新データを信じて……!」
アーサーが頭を抱え、自身の誇りであった「最新鋭の科学とデータ」が、組織の隠蔽工作という最も原始的な嘘によって、無価値なゴミへと変えられていた事実に悶絶したのだった。
「もういい、そいつを責めるのは後だ」
マッドが、二人を制するように巨大な片手を上げたのである。
「アーサーを責めても、リリーはこの先だ。……むしろ好都合じゃねえか。ゲートが開いてるなら、わざわざ鍵をこじ開ける手間が省けた。害虫駆除のついでに、異世界の害獣駆除をすればいいだけだぜ」
マッドはゲートの向こう側――そこに広がる、人類が見たこともない異世界の「未知の荒野」を見つめたのである。
不気味な空には、いびつな形をした二つの月が浮かび、遠い地平線には無数の篝火が不気味に揺れているのだった。
そして、風に乗って、遠くから「ローチ」とは明らかに違う、未知の巨大魔獣の咆哮が聞こえてきたのである。
「リリーはあの先にいる。……なら、やることは変わらねえ」
マッドはショットガンのグリップを強く握りしめ、背後の戦友たちを振り返ったのだった。
「あいつらの庭に乗り込んで、ゴミ掃除の続きをしてやるだけだ。……行くぞ。地獄の門が開いてるんだ、招待状がなくても盛大に歓迎してくれるだろうぜ」
マッドの一歩が、冷たい金属の床を離れ、異世界の乾いた未知の土を力強く踏みしめたのである。
それは人類がかつて経験したことのない、最も無謀で、最も困難な「救出劇」の幕開けだった。
アーサーは泥と嘘にまみれたバイザーを乱暴に拭い、よろよろと立ち上がったのである。
「……ああ、そうだ。計算なんて、もうどうでもいい。……狂っているのは私の方だったのかもしれないな」
ローチの脳漿で全身を汚し、未知なる異世界の闇へと突き進む四人の男たち。
彼らの背後で、セクター9の非常灯が力なく最後の点滅を繰り返し、やがて完全に消灯したのだった。
そこから先は、もはや人類の光が届かない、本物の闇に支配された世界だったのである。




