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宇宙の帳尻合わせ屋 ルーシッドリ・ラスタ号  作者: さんけい


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8/12

第八話 名前を取り戻す

 E‐183が目を覚ましたのは、三日後だった。


 クルトはその場にいるつもりはなかった。ヘルとも父のこととも、まだ話したくなかったからだ。

 だがマヤが食堂へ飛び込んできた。


「起きた!」

「誰が」

「番号の人!」


 それで分かった。


     *


 医務室のベッドで、男は天井を睨んでいた。

 マリエンが水を少しずつ飲ませる。


「ここは?」

「ラスタ号ですぅ」

「……帝都か」

「帝都じゃないです」


 男の肩から力が抜けた。ほんの少しだけ。

 右手首には古い拘束具の跡が二重に残り、左の親指だけ爪が短い。眠る前、外すために何度も金具を探ったのだろうと、マリエンがあとで説明した。

 マヤがノートを持って近づく。


「あなたは《チェイン・リンク07》から救出されました。収容番号E‐183。お名前を――」

「番号で呼ぶな」


 掠れた声だ。それでも怒りははっきりしていた。


「E‐183は、あいつらがつけた札だ」


 マヤがすぐノートを閉じる。


「すみません。では何と呼べば」


 男は考えた。長い時間をかけて、自分の中を探すように。


「……エイ」

「エイ?」

「Eの音だけ借りる。本名は、もう思い出せねえ」


 マヤはページを開き直した。E‐183の横へ「エイ」と書く。


「これでいい?」

「ああ」

「あとで変えてもいいですよ」

「名前って、そんな簡単に変えていいのか」

「わたしは医療ユニットと同じ名前でした」


 エイが初めて笑った。


「そりゃ勝てねえな」


 マリエンが吸い口を外し、代わりに小さな氷片を唇へ当てる。


「お話はそこまで。喉がまだ起きてませんよぅ」

「医者は昔から偉いな」


 エイは氷片を舌の上で転がした。


「番号で呼ばれる人よりは、たぶん」

「言うねえ」


 エイは目を閉じたが、口元にはまだ笑いが残っていた。名前を一つ決めただけで、ベッドの上の人間が少し近くなった。


     *


 体力が戻るにつれ、エイは少しずつ話した。


 ――もとは護送する側だったこと。

 ――終戦前、ある日突然「要監視対象」にされたこと。

 ――理由は最後まで知らされなかったこと。


「護送船には、変なのが混ざるようになった」

「変なの?」


 マヤが訊く。


「人間を人間として書かない荷物だよ。逃げ鉱の研究者。融合種。天使化の実験から外れた奴ら。書類じゃ“資源”になってた」

『補給扱い、という分類もありましたか』


 壁のスピーカーからラスが訊いた。


「あった。生きてるのに、食料や部品と同じ欄だった。最初のうちは俺も、そういう書類を受け取って運んだ」


 エイは水差しへ手を伸ばしかけ、マリエンに止められて顔をしかめた。


「そのうち、運ぶ相手の顔を見た。見たあとで上へ聞きに行った。返ってきたのは異動命令で、その次が収容番号だ」

「質問したから?」


 マヤの声が強くなる。


「たぶんな。ほかにも何かあったかもしれねえが、教えちゃくれなかった。人間を荷物に替えるのに、本人の納得はいらないらしい」


 クルトは第一話の接舷口で、自分も荷物と呼ばれたことを思い出した。

 同じ言葉でも、ヘルは条件を言い、こちらの返事を待った。護送船にはそれがない。

 クルトは壁際で聞いていた。


「父の署名を見た」


 自分から言った。エイの目がこちらを向く。


「冬の星の王子か」

「元、だ」

「そうか」

「父は、あの船をどうした」


 ミハエルが少し動く。止めようとしたのかもしれない。

 エイは長く息を吐いた。


「知らねえよ」

「……知らない?」

「俺らみたいな下っ端に、総督の考えなんか分かるか。署名は見た。航路変更もあった。だからって、それが処分命令だったか、移送命令だったか、俺は知らねえ」


 クルトは口を閉じた。


「知りたい気持ちは分かるがな」


 エイが続ける。


「分からねえものを、自分に都合よく悪くするな。後で困るぞ」


 ヘルと同じことを言われた。それがまた腹立たしくて、でも今度は怒鳴れなかった。


「……分かった」

「分かってねえ顔だな」

「分からないままにしておく」

「それなら上等」


 エイはそこで疲れ、目を閉じた。マリエンが毛布を直す間に、マヤはノートへ「元輸送隊」とだけ書き足す。


「質問したことも書かないのか」


 クルトが小声で訊いた。


「本人が、たぶんと言ったから」


 確かなことだけを書き、分からないところは空ける。マヤはもう、そのやり方を船の中へ持ち込んでいた。


     *


 その夜、クルトは一人で貨物区画へ行った。

 E‐001のカプセルが、臨時電源につながれている。

 ヘルが先にいた。


「何だよ」

「こっちの台詞だ」

「俺は仕事」

「オレは見に来た」


 二人とも、しばらくカプセルを見た。


「この中、誰なんだ」

「知らねえ」

「本当に?」

「本当に」


 ヘルが面倒そうに頭を掻く。


「ただ、旧総統府のコードが使われてる。ラスの解析じゃ、俺の個人鍵に近い」

「開ける?」

「いつかな」

「逃げるのか」

「保留する」


 クルトが笑った。


「同じじゃないか」

「違う。逃げる奴は、戻る日を決めねえ」


 ヘルは端末を叩いた。


「こいつは次の補給港まで保留。その間にログを洗う。オマエの親父の署名もな」


 クルトは少し黙った。


「昨日は悪かった」

「どれが」

「あなたに言われたくない、と言った」

「正しいだろ」

「そうなのか」

「昔の俺なら、死人の署名一つで何人も処分したかもしれねえ」


 あまりに淡々としていて、クルトは何も言えなかった。


「だから今、やらないようにしてる」


 ヘルがカプセルから離れる。


「オマエも好きにしろ。ただし、急ぐな」


 貨物区画に一人残され、クルトはE‐001の霜に触れた。

 冷たい。でも、生きている。

 空欄は空欄のまま、まだそこにあった。


     *


 翌日の昼、エイには薄い豆のスープが出た。


「肉は」

「三日後」


 マリエンが即答する。


「酒」

「三十日後」


 エイは露骨に眉を寄せた。


「長えな」

「飲めるとは言ってませんよぅ」


 医務室へスープを運んだレオが笑い、エイはようやく船の名を聞いた。


「ルーシッドリ・ラスタ。長いな」

「ドギーさんはルーシって呼びます」


 船内放送の回線が勝手に開いた。


「勝手に略してるだけですよ」


 船内放送でドギーが抗議した。


「いいじゃねえか、ルーシ。覚えやすい」


 エイはスプーンを持ち直した。名簿へ戻れないと言った男にも、次に覚える名前はあった。



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