第七話 幽霊護送船
《チェイン・リンク07》は、船というより冷えた骨だった。
細長い船体に収容モジュールが連なり、外壁には何度も焼かれた跡がある。
航行灯は死んでいる。
それでも船内のどこかで、ごく弱い電力が流れていた。
旧帝都海軍のエンゲルス級。前部に管制と護衛の区画、その後ろへ規格化された収容箱をつないでいく造りだ。何人運ぶかではなく、箱をいくつ曳けるかで数えた船だった。
「詳しいな」
クルトが言うと、ヘルは外壁の継ぎ目を見たまま答えた。
「視察で何度か乗った」
「総統として?」
ヘルの指が、船腹の古い識別番号をなぞる。
「軍人としてだ。肩書きが増える前から、こういう船はあった」
ドギーが接舷口の気圧を確認し、全員へ簡易マスクを配る。
「空気は残ってます。ただし、おいしくはないでしょうねえ」
「味見する気はない」
ヘルはマスクを一つ、ミハエルへ投げた。
「殿下は特に。みっちゃん、見張っといて」
ヘルに急に呼ばれ、ミハエルはマスクを手にしたまま眉を寄せた。
「誰がみっちゃんですか」
「オマエ」
ミハエルは受け取ったマスクの留め具を確かめた。
「せめて作業中はミハエルと呼んでください」
「じゃあミハエル。王子サマを頼む」
言い直しが早すぎて、ミハエルは文句の続きを失った。
「誰がつけっぱなしにしてるんでしょうねえ」
ドギーが接舷操作をしながら言う。
「消し忘れにしては長すぎます」
『二十年以上ですからね』
「二十年、誰も来なかった?」
クルトが訊く。
『来ても記録しなかった可能性もあります』
その答えに、艦橋が静かになった。ヘルだけが何も言わない。
*
船内は冷えていた。ヘル、クルト、ミハエル、マリエン、マヤ。後方支援はラスとドギー。
カイはラスタ号側に残った。
最初の隔壁までは護衛区画だった。壁の留め具には空の武器箱が並び、床には靴底の跡が幾重にも固まっている。
その先で通路の幅が半分になり、扉の内側に番号だけが増えた。
「ここから先が収容区画」
ヘルの歩幅が少し狭くなる。迷っているのではなく、曲がり角の先を知っている歩き方だった。
「ラス。酸素循環は」
『残量より装置の寿命が問題です。二時間を目安に』
ヘルは腕の計時表示を一時間半へ合わせた。
「一時間半で出る」
誰も返事だけはしなかった。予定どおりに終わる種類の仕事ではないと、この船では皆が知っている。
マヤはノートを胸に抱えている。
「それ、持ってくる必要あるのか」
「あります」
「端末でいいだろ」
「紙は勝手に消えません」
『端末も勝手には消しませんよ』
「ラスは黙ってて」
『傷つきました』
少しだけ空気が緩む。
収容区画の手前で、生命反応が一つ見つかった。
簡易ベッドに、一人の人間が横たわっている。痩せた男だった。
生きているのか死んでいるのか、見ただけでは分からない。
「呼吸あり」
マリエンがすぐ処置に入る。
『照合します。収容番号E‐183』
手首には外した拘束具が片方だけ残り、もう片方はベッドの脚へ引っかかっていた。
自分で外したのか、誰かが外したのかは分からない。そばの給水パックは空で、吸い口に歯形がついている。
「名前」
マヤが訊く。
『削除されています』
「削除?」
『空欄ではなく、消された痕跡があります』
マヤはノートを開いて「E‐183」と書き、その横を空ける。
「また余白か」
クルトが言う。
「はい」
「好きだな」
「空いてないと、後で書けないから」
その返事が、クルトには妙に気に入った。
*
さらに奥には、低温睡眠カプセルが並んでいた。
ほとんどは停止していて、動いているものは一割もない。
『ラスタ号へ全部は運べません』
ラスが言う。
「分かってる」
ヘルの声が硬い。
「先生、生存見込みの高い順に選べ」
「はい」
マリエンは一つずつ確認していき、マヤは番号を書き写す。
クルトとミハエルは、運べるものへタグをつけた。
生体反応のあるものへ青、停止しているものへ白をつけていく。
マヤは番号と状態を書き、ミハエルはカプセル側面の手書きまで読み取った。「咳あり」「光を嫌がる」「起こすな」。正式な分類の横に、現場で世話をした者の文字が残っている。
「これも写す?」
ミハエルが訊く。
「全部」
マヤは即答した。
「名前じゃなくても、その人のことだから」
――E‐001。
番号以外、何もない。
「ラス」
『そこだけ妙です。記録層が二重に封じられています』
「生命反応は?」
『あります。かなり深い』
「運ぶ」
クルトが言うと、背後でヘルが止まった。
「待て」
「生きてる」
「分かってる」
「なら」
「俺の古い認証が噛んでる」
クルトは振り向いた。
ヘルはカプセルを見ている。いつもの投げやりな顔ではない。
『確認』
ラスが静かに言う。
『E‐001内部封印。レーゲンボーゲン総統府、特別承認コードの断片を検出』
マヤのペンが止まった。
「ヘルさんの?」
「正確には、昔の総統府のだ」
「違うの?」
「違うことにしとけ」
ヘルは目を逸らさない。
「これも運ぶ。ただし開けるな。ラスタ号へ戻ってから考える」
「逃げないんですね」
クルトが言った。
「オマエ、俺を何だと思ってる」
「二十年前の書類を見ると嫌そうな人」
「正解だ」
ヘルは少し笑った。
*
船を離れる直前、ラスが護送ログの断片を見つけた。
『最終記録。航路変更。帝都本部指示。総督府承認』
画面に複数の署名が出る。その中に、クルトは父の名を見つけた。
息が止まった。
「殿下」
ミハエルが横へ来る。
「……知ってたのか」
「いいえ」
ヘルが振り返った。
「クルト」
「何だ」
「今ここで答えを出すな」
「誰が出すと言った」
声が思ったより強くなった。
「父が何に署名したか、オレは知る権利がある」
「ある」
「じゃあ」
「権利があるのと、今すぐ分かるのは別だ」
ヘルの声も低い。
「死人の署名一つで、死人の頭の中まで決めるな」
「あなたに言われたくない」
クルトが吐き捨て、ヘルの目が細くなる。
数秒、誰も動かなかった。
「そうだな」
ヘルが先に目を逸らした。
「その通りだ」
それが余計に腹立たしかった。
クルトは黙ってカプセルの牽引具を持ち、ミハエルも何も言わなかった。
ラスタ号へ戻るまで、二人は一度も話さなかった。




