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宇宙の帳尻合わせ屋 ルーシッドリ・ラスタ号  作者: さんけい


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5/12

第五話 凍った朝

 S‐14からのビーコンは、救難信号ですらなかった。


『在室表示です』


 ラスが言った。


「在室?」

『古い病院や役所で使っていたやつですね。“まだ誰かいます”というだけの信号』


 前方スクリーンには、小さな軌道ステーションが映っている。

 外殻は灰色。照明はほとんど落ち、ドッキングポートのそばで弱い灯りが一つだけ点滅していた。


「記録では?」


 ドギーが尋ねる。


『仮設難民収容ステーションS‐14。終戦後に閉鎖。収容者は全員移送済み。職員も撤収済み』

「じゃあ誰が在室してるんだ」


 クルトの問いに、ラスは数秒黙った。


『それを見に行く仕事です』


 S‐14は終戦直後、帰る場所をなくした者を一時的に収容するために作られたものだ。

 設計上は三年。実際には十年以上使われ、最後の責任者が処分されたあとは、担当部署そのものが二度変わっている。


「閉鎖確認をした人間は?」

『書面では三名。現地へ行った記録はありません』


 ラスが三人分の承認印を並べる。


「収容者を全員移した根拠は」

『移送完了の一行だけ。人数も、移送先もなし』


 ヘルが鼻で笑った。


「閉じたことにした施設か」

「また名簿の穴ですか」


 クルトは、数字だけの収容者一覧を見た。どこかにいる誰かの名前を、彼らはこれから拾いに行くのだ。

 ヘルが椅子から立った。


「マリエン、カイ。準備。クルトとミハも来い」

「また殿下を?」


 ミハエルが眉をひそめる。


「嫌なら残れ」

「私が残るとは言っていません」

「じゃあ決まりだ」


 ヘルはもう歩き出している。クルトはミハエルの顔を見た。


「オレが行かなければ安心か」

「ものすごく」

「でも行く」

「知っています」


 ミハエルは諦めの早い男だった。


     *


 S‐14の中には、人が暮らしていた痕跡だけが残っていた。


 壁に貼られた子供の絵。

 壊れた給水機。

 食堂の入口に「水曜はパンの日」と手書きされた紙。

 クルトは足を止めた。


 給水機の横には、背丈を測った線が何本も残っている。低い位置に同じ名が三度あり、日付のたびに少しずつ上へ伸びていた。仮設の三日ではつかない跡だ。


「子供がいた」

「大人もいましたよぅ」


 マリエンは壁際の椅子を指した。脚の一本だけ別の金属で継いであり、座面には何度も張り直した布が被せてある。


「長く暮らすと、物のほうが先に教えてくれます」

「仮設難民収容所、だったんだよな」

「仮設って言葉は便利ですからねぇ」


 マリエンが言う。


「三日でも三十年でも、作った人がそう呼べば仮設です」


 廊下の先に、医療区画があった。扉は半分開き、その内側だけ電源が残っている。


『生命反応、一』


 ラスの声がイヤピースに響いた。


『ただし、かなり低いです』


 中央に一基だけ、低温睡眠カプセルが立っていた。

 中には若い女が眠っている。痩せていた。年齢は分からない。


「名札は?」


 ヘルが訊く。カプセルの脇に、小さなプレートがあった。


 ――マヤ・フローレス。


「帝都の収容者名簿には?」

『いません』

「職員名簿」

『いません』

「死亡者」

『いません』


 ヘルが舌打ちした。

 そのとき、天井のスピーカーから音がした。


《……来訪者……確認》


 一同が顔を上げる。


《S‐14医療補助ユニット…… マヤ。エラー継続…… 患者、一名。退院処理、未了……》


 クルトはカプセルとスピーカーを交互に見た。


「同じ名前?」

『おそらく、人間のマヤ・フローレスが医療補助ユニットを拡張して、自分の名前をつけたんでしょうね』

「自分が眠ったあとも?」

《名簿…… 空白。患者…… 未処理》


 古い機械は、それだけを繰り返した。

 ヘルがカプセルへ手を置く。


「先生。起こせるか」

「起こすことはできますが」


 マリエンはモニターを見た。


「生きられるかは、別です」

「確率」

「数字にします?」

「やめとく」


 ヘルは即座に言う。クルトは少しだけ驚いた。

 値札の話をした男にも、数字にしないものがあるらしい。


     *


 S‐14の電力では、覚醒処置と環境維持を同時に続けられない。ラスが使っていない区画を一つずつ落とす。


『居住区C、停止』


 廊下の照明が消える。


『食堂、停止』


 「水曜はパンの日」の紙が暗闇へ沈む。


『託児区画、停止』


 クルトは反射的に振り返った。さっき見た子供の絵が、もう見えない。


「消すのか」

「電気は有限です」


 カイが言う。


「こっちへ回さないと、この人が起きない」


 分かっている。

 でも、ひとつの命を戻すたびに、暮らしの跡が一つずつ暗くなるのは妙な光景だった。

 やがてカプセルの霜が解けた。マリエンが酸素と循環液を調整し、マヤの胸が細く上下し始める。


「……さむい」


 最初の声は、それだった。


「寒いですねぇ」


 マリエンが毛布をかける。


「でも、もうちょっとだけ頑張ってください」

「ここ……」

「S‐14」


 マヤの目が大きく開いた。


「まだ?」

「まだ、です」


 ヘルが答える。


「ただし、今日で閉める」


 マヤの目が、ゆっくり彼へ向く。


「誰……」

「ラスタ号。後片づけ屋だ」

「後……」

「オマエを連れていく。嫌なら言え」


 マリエンが小さく眉を寄せた。


「ヘルさん、起きたばっかり」

「後で聞いても答えが変わるとは限らねえ」


 マヤは、かすかに笑った。


「ひどい、人」

「よく言われる」

「……行く」


 声は弱かったが、聞き間違えようがなかった。


「ここ、もう…… 誰もいないから」


 クルトは思わず口を開く。


「医療ユニットがいる」

「それ、わたし」


 マヤは目を閉じたまま言った。


「わたしが、忘れないように…… 作った」


 医療補助ユニットが、天井から途切れ途切れに応じた。


《患者…… 本人確認。マヤ・フローレス。職員権限…… 失効。患者権限…… 継続》

「自分を患者として残したのか」


 クルトが訊くと、ベッドの上のマヤはほんの少し顎を動かした。


「最後に…… ひとり、必要だったから」


 誰かが残っていなければ、医療区画も、名簿も、ここにいた者の記録も止まる。だから自分を眠らせ、自分の名前をつけたユニットへ続きを任せた。


「ひどい分業だな」

「そうですねぇ」


 マリエンは毛布の中へ温度計を差し直した。


「でも、二人とも今日まで仕事を続けました」


     *


 移送準備の間、ラスがS‐14のローカル記録を吸い上げた。


 公式名簿に載らなかった人間のメモが、何百件もあった。

 名前だけのもの――顔の特徴――好きな食べ物――子供が泣くときの癖。

 死んだ日付すら分からず、「春の前」とだけ書かれたもの。


「これ、全部マヤが?」

『人間のほうと、医療ユニットの共同作業ですね』


 クルトは画面を見続けた。


「公式に戻せるのか」

『一部は。残りは無理でしょう』

「なぜ」

『戻す先がもうありません。家族も行政区も消えている人がいる』

「じゃあ、この記録は」

『ラスタ号で持ちます』


 ラスは簡単に言った。


『少なくとも、捨てる理由はありませんから』


 「全部救えない」という言葉より、クルトはそのほうが納得できた。

 最後に医療区画の電源を落とす前、ラスは補助ユニットへ問いかける。


『引き継ぎを受領しました。停止して構いません』

《名簿……》


 最後の表示灯が不規則にまたたく。


『持っていきます』

《患者……》


 ストレッチャーの上で、マヤの呼吸モニターが鳴った。


『ラスタ号へ移しました』


 数秒おいて、天井の表示灯が消えた。返事の代わりに、古い送風機がゆっくり止まる。

 医療区画を出たところで配管が裂け、冷却液が霧になって吹き出した。ヘルがストレッチャーの前へ腕を出し、背中で受ける。


「ヘルさん!」

「止まるな。先に運べ」


 防護上着の背に濃い染みが広がった。裾がめくれ、白く縮れた火傷が一瞬だけ見える。

 医務室で見たものと同じだったが、今度はそれが誰かの前へ出た結果だと分かった。


     *


 ラスタ号へ帰ると、マーサが暖かいスープを用意していた。

 マヤはまだ医務室から出られない。

 クルトたちは食堂で遅い夕食を取った。

 ヘルの上着には、S‐14で漏れた冷却液の染みがついていた。


「それ、洗濯しな」


 マーサが言う。


「あとで」

「いま」

「飯食ってから」

「染みになる」

「総統だった男を洗濯で詰めるなよ」

「総統だったから何だい。染みは染みだよ」


 クルトはスプーンを止めた。


 ――総統。


 知っていた。もちろん知っていた。

 ヘルという名と、レーゲンボーゲンの戦争を結びつけられないほど、王家の教育は甘くない。

 だが本人が口にしたのは、初めてだった。

 ヘルはクルトの視線に気づいた。


「何だ」

「いや」

「聞きたいなら聞け」

「今日はいい」

「そうか」


 またスープを飲む。それだけだった。

 クルトは少し拍子抜けして、そして少し安心した。

 この船では、聞かない自由もあるらしい。



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