第四話 船の熱
ラスタ号には、役に立たない音がほとんどない。
朝の低い振動は主機。
短く二回鳴る金属音は配膳用リフト。
夜中に廊下を走る足音は、たいていカイかマリエン。
ヘルの足音は小さい。ドギーは無駄に口笛を吹く。
それをクルトが覚え始めたころ、主機の音が一度だけ変わった。
「今の、何だ」
『よく気づきましたね』
ラスが言う。
『第三冷却枝の流量が少し揺れました』
「危険か?」
『危険になる前に、カイが怒ります』
そのカイから、十秒後に呼び出しが来た。
*
「殿下、そこ持たない」
「前にも聞いた」
「前にも持ったから言ってる」
機関室は暑かった。
主機の外殻に、死んだ逃げ鉱を加工した冷却材が淡く光っている。
冬の惑星では、同じ光をもっと大きな坑道で見た。
あちらでは採掘量の数字だったものが、ここでは船の体温になっている。
カイが細い配管へ耳を当てる。
「第三枝。異物か、接合部の焦げ」
『圧力変動、小。まだ止めるほどではありません』
「止めなくていいから見るんだよ」
点検口の奥は、肩を斜めにしなければ入れなかった。
カイが先に潜り、クルトは工具袋を腹へ抱えて続く。主機の熱は壁一枚向こうにあり、背中は暑いのに、目の前の管だけが指先を冷やす。
「上の枝、見える?」
「三本ある」
カイの指が、クルトの肩越しに中央を示した。
「真ん中。光が薄くなる間隔、数えて」
クルトは息を止めずに青い筋を追った。十を数える前に一度だけ濁り、また戻る。二度目もほぼ同じだった。
「九秒か十秒。一定だ」
『記録と一致します』
カイが接合部へ耳を寄せ直す。
「じゃあ詰まり。漏れなら、もっと勝手な動きする」
カイが接合部を指で押すと、光の濁りが一瞬消えた。
「そこだ」
「王子の目も使えるな」
クルトは青い筋から目を離さない。
「坑道では、機械より先に人が脈を見ることもあった」
「じゃあ支えて。外すから」
今度は触る場所を確かめてから手を出した。
二人で重みを受け、カイが留め具を半回転ずつ緩める。正解が手の中にある仕事でも、雑に触れば船を止める。その程度には難しい。
カイはクルトへ工具を渡した。
「今日は触っていい?」
「今日は触っていい」
狭い点検口へ二人で潜り込む。ボルトを外し、管を抜くと、黒い粉がわずかにこぼれた。
「逃げ鉱?」
「たぶん死んだ粉。吸うな」
『マリエン先生へ検体回します』
「また怒られるな」
『怒られる前提で作業しないでください』
クルトは笑いながら、管の内側を拭いた。
こういう仕事は嫌いではない。正解が手の中にあるからだ。
王家も帝都も父の署名も関係なく、詰まっていれば掃除し、漏れていれば締める。
単純なことが、少しありがたかった。
*
医務室へ検体を届けると、マリエンは長い髪を一本の束にして顕微鏡を覗いていた。
「はい、そこ置いてくださぁい」
「先生、その髪、動いてないか」
「動きますよぅ」
あっさり言われた。
「聞いていいのか、それ」
「聞くだけなら」
「シャンブロウ種?」
マリエンが顔を上げる。
「よく勉強してますねぇ」
「王家の教育は、役に立たないことばかりでもない」
「そうみたい」
髪の先が、検体容器をつまむように支える。クルトは目を丸くした。
「便利だな」
「よく言われます」
「怖がられないのか」
「それも、よくあります」
マリエンは気にした様子もなく容器を機器へ入れた。
「融合種は、帝都では長いこと“扱いづらいもの”でしたからねぇ。便利なときだけ使って、怖くなったら遠ざける。人間って器用です」
クルトは返す言葉を探した。
王宮でも、似た言い方を聞いたことがある。
資源――管理対象――例外。
人間を、人間以外の棚へ置くための言葉。
検体容器を分析器へ収めたあと、髪の一本がクルトの袖口を軽く叩いた。
「では、そこへ座ってください」
「なぜ」
髪の先が診察台を二度叩いた。
「逃げ鉱の粉を運んできた人を、そのまま帰す医者はいませんよぅ」
診察台へ座らされ、血中酸素と肺音を見られた。マリエンは手袋の縫い目にも目を留める。
「その中の欠片、生きてるほうです?」
「父は死んでいると言っていた。王家の証として加工した石だと」
マリエンは手袋へ顔を近づけず、髪も触れさせなかった。
「お父さまも、全部は話してなさそうですねぇ」
マリエンの髪が、手袋からわずかに離れた。触れて確かめようとはしない。
「調べないのか」
「いま眠ってるなら、起こさないほうがいいものもあります。ヘルさんが見たら、たぶん同じことを言いますよぅ」
クルトは縫い目を上着の袖で隠した。
「危ないものは遠くへ置け、と?」
「遠くへ置けないなら、せめて勝手に開けない、かなぁ」
肺に異常はなかった。
ただし、次からは点検口を開ける前に簡易マスクをつけること。食事を抜かないこと。眠れるときに眠ること。
マリエンは項目を増やすたび、端末のチェック欄を髪先で押していった。
「最後の二つは、機関室と関係ないだろ」
「新しい人の定期検査も兼ねてますから」
端末にはすでにクルトの名前が作られている。
「いつ決まった」
「いま」
この船は、ラスだけでなく医者まで勝手に担当を作るらしい。
「先生は、どうしてこの船に?」
「夫が死んだから」
答えは思ったより近かった。
「それから、住んでたところもなくなって。ヘルさんに拾われました」
「ヘルさんが?」
「正確には、ドギーさんが船に乗せて、ヘルさんが追い出さなかった、かなぁ」
マリエンは笑う。
「この船、だいたいそんな感じです。熱が残ってるものを、とりあえず捨てない」
「夫もシャンブロウだったのか」
「いいえ。でも、わたしの髪が拾うものを、気味悪がらない人でした」
マリエンは分析器の数字を見た。検体は死んだ逃げ鉱の粉で、生命性はない。ただ、熱を移す性質だけが残っている。
「番を失ったあとの髪は、しばらく変なものを拾うんですぅ。もう切れたはずの声とか、死んだ石の残りとか。だから、こういう船では役に立ちます」
「便利だから乗っている?」
マリエンは分析済みの容器を廃棄箱へ落とした。
「ご飯を食べる場所が要ったから。役に立つのは、そのあとです」
順番を間違えるな、ということらしい。N‐74でマーサにも似たことを言われた気がした。
*
医務室を出るところで、ヘルとぶつかった。
「何してる」
「検体を届けた」
「機関室の粉か。吸ってねえだろうな」
「カイにも言われた」
「ならいい」
ヘルが上着を脱いで診察台へ置く。そのとき、背中が見えた。
肩甲骨から腰近くまで、白く縮れた火傷の跡が二枚に分かれて広がっている。翼に似ていた。
きれいな翼ではない。焼かれて、皮膚ごと縫い直された跡だ。
クルトが見ていることに、ヘルも気づいた。
「何だ」
「……別に」
「なら見るな」
「見えたんだ」
「そうかよ」
それ以上は何も言わない。マリエンも説明しなかった。
クルトは廊下へ出た。
主機の中には、死んだ逃げ鉱の熱が残っている。
医務室には、生き残った人間の傷が残っている。
ラスタ号そのものが、そういうものの寄せ集めなのかもしれない。
だが、その考えを誰かに説明する気にはならなかった。
きれいに言ってしまうと、何か違う気がした。




