第十話 D‐13
D‐13は、何もない場所だった。
星図には線がある。古い航路番号もある。
だが肉眼では、暗い宇宙が続くだけだ。
航路標識も補給衛星も撤去され、星図の線だけが残っている。ラスが警告表示を消しても、同じ場所へ数世代分の「立ち入り非推奨」が重なっていた。
「ずいぶん念入りですねえ」
ドギーが古い注記を順に開く。
「最初は戦闘被害。次が機雷。最後は航法異常。閉鎖理由が三回変わってます」
「本当の理由を書けないと、危険だけ増えていくんだな」
クルトが言うと、ヘルは背もたれに沈んだまま答えた。
「嘘は一個じゃ足りねえからな。前の嘘を守るために次を足す」
「本当にここ?」
マヤが艦橋の後ろから訊いた。
『本当にここです』
ラスが答える。
「幽霊船とか出るんですか」
「期待してんのか?」
ミハエルが振り返る。
「少し」
「若いなあ」
「ミハも若いだろ」
「私は幽霊より殿下のほうが怖い」
「何だそれ」
ドギーが吹き出す。ヘルだけが笑わなかった。
*
最初に見つかったのは、船ではなく「跡」だった。
『跳躍航跡の残響、検知』
ラスがホログラムへ薄い線を出す。
『同じ周期。同じ質量。同じ方向。何度も繰り返されています』
「ループしてる?」
クルトが訊く。
『正確には、運行スケジュールだけが生きている可能性があります』
「船は死んでるのに?」
『機械は、人間ほど終戦を理解しませんから』
ヘルの肩がわずかに動いた。
「それ、昔から嫌いだ」
「何が」
「命令だけ残るやつ」
誰もその言葉には返さない。
主機の音だけが床を通り、古い航路の周期と重なる。クルトには違いが分からない。ヘルは何度目かの残響が来る少し前から、右肩を押さえていた。
「背中が痛むのか」
「古傷は天気予報にはならねえよ」
クルトは窓の外の暗闇を見た。
「ここ、天気ないだろ」
「だから当てにならねえって言ってる」
冗談にしたかったらしいが、指は離れなかった。
「前に来たことがある?」
「近くまでは。一隻、止めようとして焼かれた」
それ以上は、探査が始まったため聞けなかった。
*
医務室からマリエンの通信が入る。
『ヘルさん』
「何だ」
『髪がざわざわします』
マリエンの「髪」は、比喩ではない。
シャンブロウの血を引く彼女の髪は、ときどき人間の感覚器官より先に何かを拾う。
『死んだ逃げ鉱。あと、近いもの。すごくたくさん』
「場所」
『船の前。少し右』
ラスが探査範囲を絞る。
『微弱ビーコン捕捉。識別、翼級護送ユニット。複数』
暗闇の中に、点が増えていった。
一つ、二つ、十。さらにその外側にも。
マヤの顔から笑いが消えた。
「何隻?」
『現在確認できるだけで、二十七』
「人は?」
『分かりません』
点の一つ一つへ、途切れた識別番号がついていく。護送用、研究用、医療隔離用。用途は違っても、目的地の欄だけは同じように削られていた。
「二十七隻が、同じ周期で?」
『いえ。七群に分かれています。停止した時計が別々に動き始めている』
スクリーンの点が七色に分けられる。
「最初に落ちるのは」
『ライン・ユニット37。現在の速度なら七十二時間後』
七十二時間。その数字が出ると、目の前の暗い点が急に近くなった。
艦橋が静まる。
チェイン・リンク07一隻でも、ラスタ号は救出者を選ばなければならなかった。
二十七。
「全部見るのは無理ですね」
ドギーが言った。
「分かってる」
ヘルの声が低い。
「いちばん反応の強い一隻へ寄せる。直接接舷はするな。探査艇だけ出せ」
『了解』
*
最も反応の強い船は、《ライン・ユニット37》と名乗った。
船体の半分が焼けている。
外側には翼のような冷却フィンが残っていた。
船体の半分は通常空間にあり、残りは古い跳躍の歪みへ沈みかけている。直接接舷すれば、ラスタ号まで引かれる恐れがあった。ドギーが位置を保ち、カイは機関室で出力の細かな揺れを抑える。
『ルーシ、あと三メートル右。そこなら探査艇を出せます』
ドギーが船を愛称で呼ぶと、ラスは返事の代わりに進路補正を出した。
「だから、うちの船の名前を勝手に短くするな」
「長いでしょう、ルーシッドリ・ラスタ号」
ドギーは操舵盤の端に「ルーシ」と入力した。
「決めたのオマエらだろ」
ヘルがぼやくうちに、探査艇のケーブルがユニット37へ届いた。
クルトはそれを見て、ヘルの背中を思い出した。
「似てるな」
「何が」
「いや」
「またそれか」
不機嫌そうに言う。
ラスが探査艇を接触させる。古い記録が少しずつ戻った。
『内部に低温睡眠ポッド。四百基以上。稼働中、三百前後』
マヤが息を呑む。
「三百」
『他ユニットも同程度と仮定すると――』
「計算するな」
ヘルが止めた。
『はい』
今度はラスも素直だった。
『別件。ユニット37、運行スケジュールが生きています』
「目的地」
『近傍恒星』
意味を理解するのに一秒かかった。
「焼く気か」
ドギーの声が変わった。
『規定時刻を超過した場合、廃棄処分へ移行。そう書かれています』
「二十年遅れで?」
『時計だけが止まっていたんでしょう』
ヘルが立ち上がった。
「止める」
ドギーが彼を見る。
「一隻を?」
「ラインを」
「できるんですか」
「知らねえ」
ヘルは即答した。
「だから行く」
*
クルトは立った。
「オレも」
「留守番」
「なぜ」
「危ないから」
「N‐74では危険がない場所なんか残ってないって言った」
「言ったな」
「じゃあ」
「今回は俺の昔の仕事だ」
その言い方で、クルトは少し止まった。ヘルは続ける。
「だからオマエが行く必要はない」
「それは逆だ」
「何が」
「オレの父の署名も、このラインにある」
ヘルの眉が動く。
「オレにも昔の仕事だ」
「オマエ、二十年前は子供だろ」
「それでも名前は残ってる」
少しの沈黙。
ドギーがため息をついた。
「ヘルさん。連れてったほうが早いですよ、この顔」
「ミハ」
ヘルが振る。
「はいはい。私も行きます」
「オマエに訊いてねえ」
「殿下が行くなら行きます」
「面倒くせえな、王族って」
「元王族です」
「余計面倒だ」
それで決まった。




