表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
推しの倫理  作者: 桔梗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/3

vol.2 太客、まさかの婚約者

帰宅したのは、夜の十一時を少し回った頃だった。


メイクは半分落ちて、髪はスプレーでバキバキ。

足の小指は、もう完全に壊死しかけている。


家に着くなり、あたしは玄関でヒールを脱ぎ捨てた。


「ただいまー」


返事はない。


うちは、芸能事務所を経営している。

といっても、大手ではない。むしろ中小も中小ってとこ。

地下アイドルや若手俳優、配信者を抱えて、なんとか食いつないでいるような会社だ。


昔はもっと羽振りがよかったらしいけど、今は違う。

社長であるパパは、毎日資金繰りに追われているし、ママはママで、昔の華やかだった頃の話ばかりする。


家の中には、いつもさびしい匂いがする。

何かが燃え尽きた後のーーさびしい匂い。


***


「璃々花。帰ったならちょっと話があるから、こっちに来なさい」


リビングからパパの声がした。


リビングに入ると、パパとママが並んで座っていた。

テーブルの上には、やたら分厚い封筒がある。

嫌な予感がして、あたしは眉をひそめた。


「なに。借金?離婚?」


二人は気まずそうに黙り込む。


「璃々花。お前に、婚約の話がある」


一瞬、意味がわからなかった。


「……は?婚約?」


「小鳥遊家から正式に申し入れがあったんだ」


ーー小鳥遊家。


その名前は、世間知らずのあたしでも知っている。


不動産、金融、流通ーーいろんな場所に名前が出てくる巨大財閥だ。

つまりーー金持ちの中の金持ち。大金持ちってこと。


「……え、ちょっと待って。何時代の話?今、令和だよ?」


「もちろん、すぐに結婚という話ではない。まずは婚約という形だ」


「いやいや……。てか、あたし、アイドルだし。恋愛禁止どころか婚約発表とか、炎上どころの話じゃないじゃん!アイドル生命絶たれるって!」


「先方は、お前のアイドル活動を考慮して、この婚約を公にはしないそうだ」


「ういう問題じゃないっしょ」


「璃々花……頼む。事務所のためでもあるんだ」


「……つまり、あたしを売るってこと?」


「……そんな言い方するな。小鳥遊家の支援が入れば、事務所は持ち直すことができるし、お前たちの活動環境も今よりずっと良くなるはずだ」


パパは疲れた顔で言った。


ーーそれはずるいじゃん。


あたしだって、メンバーと一緒にもっと大きなステージに立ちたい。

それは本当だけどーーこれは違うでしょ。


その時、インターホンが鳴った。

母が立ち上がる。


「あら、ちょうどいらしたわ」


「……誰が?」


母は答え図に、玄関に向かう。


しばらくして、リビングの扉がそっと開く。


そこに立っていたのは、黒いスーツの青年だった。

黒い髪。整いすぎた顔。


数時間前、ライブハウスの特典会で、あたしの隣に立っていた男ーーRINRIさんだった。


「……は?RINRI……さん?」


RINRIさんは、あたしを見る。


ステージを見る時と同じ目だ。

熱のない、どこか冷めた目。


「数時間ぶりですね、リリカさん」


彼は丁寧に頭を下げた。


「小鳥遊透夜です。どうぞよろしく」


「……ねえ、嘘でしょ?」


あたしは勢いよく立ち上がった。

右足の小指がひどく痛んだ。


***


反射的に顔が歪む。


やばい。

今日イチ盛れてない顔を、顔面偏差値バグ男に見られた。


メイクはボロボロだし、髪はスプレーで固まっている。

靴ずれで足は死んでるし、ほんとに最悪。


最悪。地獄。

でも、それより何よりーー意味がわからない。


数時間前まで、特典会の列に並んでいた古参ファンが、今はうちのリビングに立っている。

しかもーー婚約者として。


「ちょ、待って待って待って!情報量が渋滞してる」


あたしは片手で額を押さえた。


「RINRIさんが、小鳥遊透夜?小鳥遊透夜が、RINRIさん?で、その小鳥遊透夜が、あたしの婚約者?」


「はい」


透夜さんが微笑む。


あたしの中の警戒アラームが、爆音で鳴っている。


ーーRINRIさん。

ーー小鳥遊透夜。

ーー古参ファン。

ーー婚約者。


この男に関する単語を並べるだけで、脳がバグりそうだ。


「改めまして、あなたの婚約者の小鳥遊透夜です。これからよろしくお願いしますね」


「……いやいや、よろしくできる空気じゃないんだけど」


「そのようですね」


透夜さんが再び微笑む。

その笑顔は、まるで作り物のようだった。


「リリカ、まずは落ち着きなさい」


パパが割って入る。


「いや、パパ。落ち着ける要素が一個もないんだけど?さっきまであたしのライブにいたファンが、うちのリビングで婚約者名乗ってんだよ!?普通にホラーじゃん!!」


「璃々花」


パパが低い声で言った。


「まずは、落ち着いて話を聞きなさい」


「だから、聞いてるじゃん!聞いた結果、脳がバグってるだけで……。ねえ、パパ。あたしをファンと婚約させようとしてる自覚ある?」


パパは言葉に詰まった。

ママは困ったように笑う。


「でもね、璃々花。透夜さんは、とても誠実な方よ。あなたのことを、きっと大切にしてくださるはずよ」


「……ママまで……」


しばらくの間、沈黙の時間が流れた。


「しかも、あたし今、ライブ終わりでメイクはボロボロだし、髪バキバキだし……婚約者に見せるコンディションじゃないんですけど?」


「今のあなたも十分綺麗だと思いますよ。メイクが崩れていることと、あなたの魅力が損なわれていることは同義ではありませんので」


さらっと透夜さんが言った。


あたしは固まった。

パパとママも固まった。


透夜さんだけが、平然としている。


「……は?」


「……なんだか、私たちはお邪魔みいたいね。ね、あなた?」


ママがあたふたしながら言い、パパが頷く。


「璃々花、透夜さんと少し二人で話してみたら?透夜さんだって、私たちがいると話しずらいでしょうし」


「いやいやいや、無理無理無理!」


「そうだわ!璃々花のお部屋で少し話したら?」


「そうだな。それがいい」


ママの意見にパパがすかさず同意する。


「パパもママもおかしいでしょ!それに、自室にファン入れるとかーーアイドル的にアウトだわ!」


とは言ったもののーーたしかにパパとママの前でこれ以上話しても、余計にややこしくなる気がした。


あたしは透夜さんを見る。

透夜さんは、相変わらず穏やかな顔をしていた。


「僕は、どこで話しても構いませんよ」


「……もういいや。わかった。とりあえず……色々聞きたいこともあるし、二階に行こ」


そうして、あたし達ははそのままリビングを出て、二階のあたしの部屋へ向かったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ