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第五章 17 悪魔の子─②

 結局約束を果たせないまま、母さんは死んでしまった。私の胸を埋め尽くしたのは悲しみややるせなさ、それとたっぷりの絶望で、もう自分はこのまま立ち上がれないんじゃないかと思ったほどだった。


 いろいろ大変なことはあったけど、それでも頑張ってこられたのは希望があったからだった。

 母さんの病気が治れば、父さんが帰ってこれば、またあの頃と同じ家族に戻れる。幼い私は、そんな夢を心から信じていた。でもその夢も打ち砕かれた。もう二度と、家族が揃う日はない。


 もう無理だ。そう思っていたけど、でも。


「お姉ちゃん……」


 泣きながら私を呼ぶ妹の声で、はっとした。現実に戻ってきたばかりのぼんやりした意識でセイへ視線を移すと、セイは相変わらずぼろぼろと涙を零していた。お姉ちゃん、ともう一度セイが私を呼ぶ。私はほぼ無意識のうちに、セイを抱きしめていた。


 泣きじゃくる妹の体は熱くて、無理なんて言ってる場合じゃないなあ、とぼんやり考えた。夢はもう敵わないけれど、まだセイがいる。私は姉としてセイを守らないと。きっと母さんもそれを望んでいる。


 私は抱きしめる両腕に力を込めた。


「セイ。大丈夫だからね。私が……お姉ちゃんが守るから」


 セイがいる限り、私はまだ立ち上がれる。




 翌朝には、最近お世話になっていた人たちと一緒に母さんを弔った。弔うと言っても山に穴を掘って花と一緒に埋葬するだけだったけど、この谷では立派な弔いだったと思う。関係ないのに手伝ってくれた人たちには本当に感謝しかない。


 それからはまた朝から働きに出て食べ物を探す日々が再開された。二日ほど経つとセイも落ち着いて、でもまだ家でぼうっと考え事をしているようだった。そんなセイの口に無理やり食べ物をねじ込むのが帰宅後の私の仕事だった。


 そんな日々が何日か続いたある朝、私は一つの仕事を任された。それは、山を降りて、この時期になると来るという行商人から荷物を受け取ることだった。


 谷の外へは出てはいけない。それが父さんと母さんの口癖だった。でもその二人ももういない。それどころか、父さんはあれだけ口うるさく咎めていた谷の外へ消えてしまった。そのことを考えると、今でも少しだけ苦しくなる。


 山を降りるのは初めてだったから早朝に家を出たけれど、思っていたよりも時間はかからなかった。休憩を挟みながらも昼過ぎには着いてしまって、なんというか、少し拍子抜けだった。生まれた時から私が閉じ込められていたあの谷は、数時間ほどで抜け出せるほどの場所だったんだ、と。


 特別な解放感に満たされていたわけではないと思うし、残念だったわけでもなかった。ただ驚いただけだ。そして、気になってしまった。


 無事に行商人と会って荷物を受け取った後、私は母さんの上着を頭から被り、山とは反対方向に歩き出した。行商人から少し歩けば村があると教えてもらったのだ。好奇心には逆らえなかった。顔をなるべく隠して見えないようにしながら、木に隠れてそうっと村の様子を窺った。


 真っ先に私の目に飛び込んできたのは、タヌキの家族だった。父親と母親、あと兄と妹。四人で笑いあいながら、家の中へ入っていく。母親と兄は野菜や果物がたくさん入ったバスケットを抱えていた。


 私がどれだけ足掻いても手に入らない光景がそこにはあった。食べ物にも困らなくて家族みんなで笑っていられる暮らし。それ以上見ていられなくて、その時はすぐに背を向けて走り出してしまったけれど。

 それ以降、私は時間を縫ってはその村を覗きに行くようになった。一度知ってしまった外の世界は残酷で魅力的で、今なら父さんの気持ちがわかるような気がした。



 どうしようもなく私と父さんは似ていたのだと思う。外の世界に心を奪われて、大切なものが見えなくなってしまうところまで。



 例によって村を覗き終えた私は、日の暮れかかった山を急いで登っていた。いつもより時間が遅いから、早く帰らないと真っ暗になって帰れなくなってしまう。セイには村に行っていることは伝えていない。一人きりの家で私を待っているだろう。とにかくその時の私は、家に帰ることで頭がいっぱいだった。


 何とか無事に家まで辿り着くと、どっと疲れが押し寄せてきた。大きく息をついて、外れかかった家の戸をこじ開ける。


「セイ、ただいま」

「あ、おかえりなさい」


 部屋の隅で膝を抱えて座っていたセイが、私の声を聞いて顔を上げた。それからこちらを見て不思議そうな顔をする。


「お姉ちゃん……」

「何? ご飯なら今から持ってくるから、もう少し待ってて」

「後ろの人たち、だれ?」


 え? と手を止めて振り返った瞬間、鳩尾の辺りを蹴り上げられた。息が詰まり、今まで経験したこともない激痛に濁った呻き声が洩れる。その場に崩れ落ちて咳き込む。セイの甲高い悲鳴が、何だか遠くに聞こえた。


「おーおー、すげえボロ家だなあ。流石は奈落」


 上から知らない声が降ってくる。知らない声。誰? 誰がこの家にいるの?


 混乱しながらもとにかく立ち上がろうとしたけれど、背中を思い切り踏みつけられて床に這いつくばった。


「あんま雑に扱わないでくださいよ。傷がついてたら怒られるかもしれないでしょ」

「悪ぃ悪ぃ。やっぱ改めて見てもわからんな。何だコイツら。耳が横から生えたウサギとかか?」

「あの人に言わせれば妖精らしいっすよ」

「妖精!? マジで? 実在すんの?」

「さあ……俺もあんま信じてないっすけど」


 頭上ではそんな会話が交わされている。私の頭は混乱するばかりだった。

 妖精ってバレてる? どうして? どうして私の家が分かったの?

 

 痛みと恐怖で思うように体が動かない。背中を踏みつけられているから立ち上がることもできない。それでも何とか顔だけ上げて、目の前にいるセイを見た。


「セイ……逃げ、て……」


 震えているセイと目が合った。するとさっきまでの混乱が嘘のように、ああ、私のせいだとすとんと理解できた。

 私が村にいたところを、こいつらに見られていたのだろう。それで妖精だってバレて、ここまで後を尾けられていたに違いない。父さんと母さんの言いつけを破ったから、罰が当たったんだ。


「ごめんね……。お願い、逃げて……!」


 外は危ないって、わかっていたはずなのに。こんな簡単なことさえ忘れていた自分が、情けなくて嫌になる。セイは目を見開くと、大きく頭を振った。


「やだ。いやだっ。一人で逃げるなんてできないっ。いやだよ、お姉ちゃんっ」

「セイ、」

「あー妹ちゃん? お姉ちゃんはね、お兄さんたちと一緒に来ないといけないんだ。妹ちゃんも一緒に来ようか? それだったら一人じゃないもんね?」


 もう一人の男が、セイに歩み寄って声をかける。セイに近づくなと叫びたいのに声が出ない。お願い、セイ。そいつの言葉に耳を貸さないで。早く逃げて。


「いっ、いやだ」


 膝をがくがくと震わせながら、セイが立ち上がった。両手を握って男を睨みつける。


「お姉ちゃんを離して! お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

「うるせえなあ!」


 私を助けようとしてくれたのだろうか。こちらへ走り出したセイを、男が鬱陶しそうに突き飛ばした。軽いセイの体は後ろへ吹っ飛び、棚の角に頭をぶつけて動かなくなった。


「……セイ?」


 ずるりと床に倒れたまま、セイは微動だにしない。私の声にも顔を上げない。家に静寂が訪れて、北風の音だけがやけに大きく聞こえた。


「おいお前馬鹿、俺には雑に扱うなって言っといて……」

「ま、まあまあ。コイツうるさかったし、気絶してくれて良かったじゃないすか。おまけに持ち運びも楽になりましたよ。ね?」

「……まあいいか。バレないうちにズラかるぞ」


 男がセイの腕を引っ張り、乱暴に担ぎ上げる。思わずセイ、と叫んだ。私のせいで。セイは悪くないのに。悪いのは私なのに、どうしてセイまで酷い目に遭わないといけないの。お願い。セイだけでも……。


「うるせえよ」


 必死で叫んでいると、首筋に激痛が走った。そのまま意識が遠のいていく。最後にもう一度だけ妹を呼んで、それから私の意識は抜け落ちた。



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