第五章 13 星の告げる場所
「ここで、間違いないんだよね……?」
頭からすっぽりと外套を被った奏が、不安げに辺りを見回す。わたしも、頷いて地面に視線を落とした。
「合ってると思うよ。雑草が全く生えてない。なんか気味が悪いくらい静かな場所だし」
わたし達が立っているのは、本当に何もない平地だった。城下町から歩いて二時間ほどの場所だろうか。一応、ここに来る前にオーガや兵士長たちに連絡をしておいた。一日経ってもわたし達から連絡がなければ、この場所へ来てほしい。そこに獣人界を脅かす存在があるだろうから、と。
「何も起こらないじゃん」
「まあ、星詠みさんも何もない場所だって言っていたみたいだし、何もないのは想定内なんじゃないかな。とりあえず歩いてみるかい?」
リンがわたし達の周りをぐるりと回った。わたしはぎゅっと目を瞑って、首を横に振る。
「いや、ちょっと待って。何かある」
「え?」
この場にいる全員の視線がわたしに向けられた、気がした。
「どういうこと? 私には何も見えないけど」
「わたしにも見えないよ。でも、なんとなく、何かある。違和感がある。なんだろう、見えてるものと感じるものが違うっていうか」
どうせ役に立たない視覚からの情報をシャットアウトして、違和感に意識を集中させる。ここには何もないはずなのに、なぜかぞっとするほどの存在感を感じる。何かが隠されているのかもしれない。
どこかから感じる存在感を手繰り寄せるように、わたしは一歩踏み出した。目は瞑ったままだから、躓いて転ぶ危険性は大だ。足音がいくつもわたしを追いかけてきて、誰かの――多分ナオの手が、わたしの肩にそっと乗せられる。それだけでだいぶ安心した。
朧げな違和感、存在感が少しずつ輪郭を帯びていく。確信も膨らんでいく。間違いない、この先には何かがある。
わたしはゆっくりと手を上げ、感じ取った違和感を指さした。
「そこ」
瞼を持ち上げる。わたしが指さす先には、やっぱり何もなかった。
「そこって、何かがあるようには見えないけど」
背後からリンの不思議そうな声が聞こえる。わたしは背負っていたリュックから、タオルを出して投げやすいようにぎゅっと縛った。そのまま振りかぶって投げてみる。
投げられたタオルは、十メートルほど先の場所にぽてんと落ちた。特に何も変わった様子はない。わたしの腕力からいって、飛距離も妥当だろう。
後ろにいるみんなの、「何してるんだコイツ」という空気が強くなる。
タオルはダメだった。じゃあ能力なら。わたしは唱えた。
「『風魔』」
能力による風の刃を、さっきタオルを投げたのと同じ場所にぶつける。さっきは何も起きなかった。でも。
キンッ、と何かに弾かれたような甲高い音が、辺りに響き渡った。後ろから小さな声が上がる。奏の声かな。
隣でナオが驚いたように呟く。
「今の……」
「手荒なことはやめてもらえますか。その程度では神殿は傷つきませんが、それはそれとして良い気分にはなりませんから」
突然、背後から声が聞こえた。知らない男の声だ。わたし達が一斉に振り向くと、そこには白いローブを身にまとった人物が立っていた。顔は深く被ったフードでほとんど見えないけど、体格とさっきの声からして男だろう。
「誰だ? いつの間にここに現れた?」
ユーリがローブの男に尋ねる。男は「今です」と簡潔に答えた。
「我らが神から神託がありました。あなた方を神殿へ招くようにと。それでお迎えに上がったのですよ。あなた方に危害を加えるつもりは一切ありません」
「神託? 神殿?」
「ええ、そうです」
状況が理解できない。眉を顰めるわたし達に、男は「見た方が早いでしょう」と言った。
「後ろを振り返ってください」
言われた通りに振り返る。そして、目の前に広がっていた光景に絶句した。
さっきまで何もなかったはずのそこには、大きな建物がそびえたっていた。真っ白な石造りのその建物は、確かに神殿と表現するのがぴったりな姿をしている。神殿といっても形はいろいろあるだろうけど、目の前にそびえたつこの建物は確かに神殿だ。
「さっきまで何もなかったはずじゃ……」
「ええ、先ほどまでは隠されていましたから。この神殿は、真に我らが神の力を求めている者にしか辿り着くことのできない特別な場所なので」
男は抑揚のない口調で答え、わたし達の前へと進み出る。前には長い長い階段が伸びていた。
「ついてきてください。我らが神がいらっしゃるところへ案内します」
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男の後に続いて、わたし達は神殿の中に足を踏み入れた。中には男と同じ白いローブを着た人が何人もいて、何やら忙しなく動き回っている。声はほとんど聞こえないものの、足音や何か物を運ぶ音がうるさく、静寂といった雰囲気ではない。
動き回っているうちの一人がわたし達に気が付き、手招きをする。どうやらわたし達ではなく、先導する男を呼んでいるらしい。男は「少々お待ちください」と言って離れて行った。
男との距離が十分開いた辺りで、ナオが口を開いた。
「驚いた。こんなところにあったのね、『真世界』の本部は」
「真世界?」
初めて聞く言葉だ。奏は当然のこと、リンも不思議そうな顔をしている。知っているのはナオとユーリだけみたいだ。
「昔から続く教団の名前だよ。真世界。何か正式名称があったはずだけど、やたら長かったから覚えてないな。真世界の方が短くて覚えやすいから、そっちの名前で通ってる。獣人界に何か悪いことが起きたときに、よく聞く名前だな」
まあ、神の力を求める時は大体苦しいときだから、とナオは話す。確かに。
「獣人界全体を考えると、結構な数の信者がいると思うわよ。私がクロスに拾われる前にいた町でも、真世界の名前はよく耳にしたし。ただ名前の知名度のわりに、詳しいことが何もわからない教団でもあった。今やっと納得がいったわ。神殿を隠すなんて、かなり秘密主義な教団みたいね」
ナオが軽く肩をすくめた。つまり、わたし達が今いるのは謎多き教団「真世界」の神殿らしい。いや全然わからん。もっと説明がほしい。
「あのさ、」
「しっ」
わたしがさらに質問しようとすると、ナオが唇に人差し指を当てた。
「男が戻ってきた。一応この話はここまでにしておくわよ」
見れば、確かに男がこちらへ歩いてくるところだった。内緒話の時間はここまでみたいだ。わたしは頷いて、不自然にならないよう、奏に適当な話題を投げかける。
「お待たせしました。さあ、こちらへ」
戻ってきた男は軽く頭を下げた後、すぐに歩き出してしまう。早足でそのあとを追いかけた。
「わたし達が今向かっているのは、神様のところなんですか?」
「そうです。こんなことは今までにありませんでした。私たち信徒の中でも、拝謁できるのはほんの一握りだというのに」
男は声に苛立ちを滲ませている。突然現れた、完全に部外者の子供が特別な扱いを受けるというのは、面白くないだろう。当然だ。
「どうして私たちは招かれたんでしょうか」
「私にはわかりません。私如きがその答えに至ることなど不可能ですから」
ただ、と男は続けた。
「我らが神が間違えたことは、ただの一度もございません」
男はある扉の前で足を止める。高さ三メートルほどはある、大きな石の扉だ。男は扉を無言で見つめた後、わたし達を振り返った。
「私が案内できるのはここまでです。扉を開けて中にお入りください。くれぐれも、無礼のないように」
「わかりました」
「…………」
男は釘を刺すような視線をわたし達に投げかけると、今来た道を引き返していった。そのローブ姿が遠ざかっていくのを見送って、わたしは扉に向き直る。
「さて、この先に神様がいるみたいだけど」
「本当にいるのかな……?」
奏が、隣で不安そうにフードを被り直している。ナオが一歩前に進み出た。
「本当かどうかはともかく、ここで退くわけにはいかないでしょ。セイにもう一度会うためにも」
強い口調でナオが言いきる。わたしは微かに笑って、「そうだね」と頷いた。
「ナオの言う通りだ。じゃあ、開けるよ」
わたしはナオと一緒に、石造りの扉を押した。見た目のわりに重くはない。むしろ、少し力をくわえただけで扉は独りでに開き始めた。
神様へとつながる扉が、ゆっくりと開かれていく。




