第五章 11 「星詠み」
気が付くと、わたしは花畑の中に立っていた。辺り一面に広がる、白と黄色の小さな花。そして見上げると満天の星空。まるでこの世とは思えないほどの美しさだ。
……いや、本当にこの世ではないのかもしれない。わたしは本に飲み込まれてここへ来たはずだから。
「ああ」
その時、背後から声が聞こえた。声というよりは、吐息の方が近いだろうか。振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
「ああ……よく、ここまで来てくれたわね」
橙色の髪を耳の下で一つに束ねた、二十代くらいのエルフの女性だ。どこか見覚えのあるような雰囲気を纏っているけど、間違いなく初対面だろう。
「ここは?」
わたしが尋ねると、女性は柔らかく微笑んだ。
「自己紹介がまだだったわね。私はステラ。そして、ここは星の力を求めた人が訪れる場所よ」
「星の力?」
すごい胡散臭い話だな、と思ったけど、そういえば本のタイトルも「星の導き」だった。
「星の力を求めた人って……わたしは求めたつもりないですよ。本を開いたら突然ここに連れてこられただけで。本に転移の魔法がかけてあるだけなんじゃないですか?」
「わあ冷めてる。そんなに警戒しなくてもいいのよ。ほらほら、リラックスして。あなたとゆっくり話したくて、ほら、とっておきの場所も用意しておいたんだから」
ステラと名乗った女性が手で示す先には、お洒落なテーブルと椅子が二脚揃っていた。白いガーデンテーブルみたいなものだ。
「あなたの考えが正しかったとしても、ここがどこなのかはわかっていないでしょう? 帰る手段もわからないはず。焦らずにのんびりお話ししてくれると嬉しいな。それに……」
そこで、ステラさんは含みのある笑みを浮かべた。
「星の力は求めていないかもしれないけど、他の何かを探してここへ招かれたのは確かよね? 吉田彩ちゃん」
「!」
見知らぬ女性に名前を呼ばれ、わたしは一歩後ずさった。身構えながら「どうしてわたしの名前を?」と聞く。
「星が教えてくれた。たったそれだけよ。ね、早く向こうでお話ししない?」
ステラさんは、微笑んだまま小さく首を傾げる。わたしは「『一隻眼』」と小さく唱えた。……特に、悪意や敵意は感じられない。
それならこの人と少し話してみよう。この人の言う通り、どうせ安全に帰る手段も知らないんだから。
わたしは一つ息を吐くと、頷いた。
「わかりました。質問したいことならたくさんあるので」
「まあ嬉しい。私に答えられることならなんでも聞いてね」
ついてきて、と歩き出したステラさんの後に続いて、椅子に座る。星空と花畑をバックに初対面の年上の女性と向かい合う、何とも不思議な状況になった。
「じゃあ早速質問しますね。ここは、どういう場所なんですか?」
「私のお気に入りの場所よ。星がよく見えるでしょ? あなたが求めている言い方をすれば、ちょっとだけ普通とは違う異空間ね」
「どうやったら帰れますか?」
「あなたが望むなら帰してあげる。閉じ込めるつもりはないわ。でもせっかく会えたんだから、もう少しお話ししたいな」
ステラさんはまた微笑んだ。その顔を注意深く観察する。少しだけ口元が強張った、完璧とは言えない笑みだ。まるで強がっているかのような。
どうしてわたしの前でそんな顔をしているのかわからないけど、そんな歪な微笑みは逆にわたしを安心させてくれた。わたしはステラさんに尋ねる。
「ステラさんは星がお好きなんですか? 星の力、とか仰ってましたけど」
「そうね。いろいろあったけど星は好き。星の力っていうのは、うーん、どこから話せばいいんだろう」
ステラさんは顎に指を添えて考え込む。その様子が誰かと重なって、記憶を辿っているうちにナオに行き着いた。喋ってる時はそうでもないけど、こうして考え込んでいるとなんだかナオを思い出す。
「私がエルフなのは見たらわかるわよね。私はエルフの中でも『星詠み』という特別な力を持って生まれたの」
「星詠み」
「そう。星の声を聞くことが出来る力。星はいろいろなことを知っているけれど、私が聞くのは主に未来の話かな」
さらりと出てきた突拍子のない内容に、わたしは思わず目を見開く。
「未来? 未来がわかるってことですか?」
「ほんの一部だけね。私の場合だと自分の未来なんかを知ることは出来ないし、すべては星に委ねられているから最初から最後までわかるわけじゃないわ」
それでも、この人は未来を知ることが出来る。そんな力が存在するのか。少し緊張しながら尋ねる。
「それって、能力ですか?」
「能力だとは思うけれど、妖精の持つ能力は、龍神がこの世界の住人に授けたものとは少し性質が違っているの。あなたが使うことは出来ないと思うわ」
「……当たり前のようにわたしの能力のことも知ってるんですね。それも?」
「星の力。星の声ね」
ステラさんは楽しそうに笑った。対するわたしは苦笑いだ。この人には何を隠そうとしても無駄……というより、隠すまでもなくすべて知られている気がする。それなら。
「一つ、わたしの話をしてもいいですか」
わたしは姿勢を正してステラさんを見つめた。ステラさんは「どうぞ」と柔らかく微笑む。
「ありがとうございます。……ステラさんはもうご存じかもしれないんですけど、わたしの不注意のせいで、仲間が一人いなくなっちゃったんです」
こんな言い方をしたら、またナオやリンに怒られるだろう。でも、やっぱりこれはわたしのせいだ。
ステラさんはゆっくりと頷く。
「うん。セイのことね」
「はは、やっぱり知ってるんだ。そうです。セイです。かわいい後輩みたいな子で、いつも彩先輩彩先輩って、わたしのこと呼んでくれて、本当に、笑顔がかわいい子で……」
今でも、瞼を閉じればセイの笑顔を鮮明に思い出すことが出来る。胸が締め付けられたみたいに苦しくて、わたしは俯いた。
「いつもみんなを元気づけてくれるような子でした。その子がわたしのせいでいなくなりました。でも、仲間はまだセイが生きてるんじゃないかって言ってて。ねえ、ステラさん」
わたしは顔を上げて、縋りつくようにステラさんを見た。
「教えてください。セイは、まだ生きていますか」
この人なら、いや、星なら知っているはずだ。真実を。今わたしは、推測でもない真実を求めた。どちらを突きつけられても構わないから、答えがほしかった。
ステラさんは目を閉じて黙っている。わたしは更に身を乗り出して続けた。
「お願いします。何でもします。わたしに出来ることなら……」
「生きているわ」
静かに、ステラさんが言った。ステラさんはゆっくりと瞼を持ち上げ、わたしと目を合わせる。その瞳はさっきまでとは違い、黄金に輝いていた。
「星たちが囁いているわ。セイはまだ生きている。彼女がどんな状況にあるかはわからないけれど。最後まで希望を捨てないで。あなたなら、あの子を救える」
ステラさんの瞳は、覗き込んでいるだけで飲み込まれてしまいそうな力を持っていた。目を逸らすことが出来ない。
「一つだけ、私にわかることを教えましょう。獣人界の城下町からしばらく北に進むと、何もない場所に出る。植物も生き物もいない、本当に何もない寂しい場所。そこに向かいなさい」
そこまで話し、ステラさんは目を閉じる。次にその目を開いた時には、もう目は元の色に戻っていた。
「そこに、セイがいるってことですか」
「ごめんなさい。あの子の未来はあまり見えないから、そこにいるかどうかまではわからないの。でもその場所に行けば何かが起こることは確かよ」
何か。何かって、なんだろう。それは果たして良いことなのか悪いことなのか。わからないけど、たとえそこに何が待ち受けていようと行くしかない。
わたしは「わかりました」と強く頷いた。
「城下町から北ですね。ありがとうございます。何も手がかりがなかったから、すごく助かりました」
「お礼なんていいよ。これが私の仕事なんだから」
ステラさんは胸に手を当てる。やることがわかれば、もうのんびりしている暇はない。わたしは席を立つ。
「今すぐにセイを探しにいきます。妖精図書館に帰りたいんですけど……」
「そうね。私が送り届けるわ」
ステラさんも立ち上がる。わたしはステラさんに歩み寄ると、ふと思いついて顔を上げた。
「そうだ。せっかくだし、アドバイスとかもらえませんか? なんでもいいです。ラッキーフードとか、ラッキーカラーとか」
せっかく未来視能力者に会えたんだから、それくらいせがんだっていいだろう。
ステラさんは隣で苦笑している。
「残念ながら、そんなに細かいことまでは私の力じゃわからないわ。でも、そうね。これだけは伝えておかなきゃ」
ステラさんの手が、わたしの頬を包み込んだ。固定された視界の中心で、ステラさんは祈るように囁く。
「これから先どんなことが起こっても、決して諦めないで。立ち上がって、前に進んで。私にこんなことを言う権利なんてないけど、でも、あなたは私達の主人公だから」
訳がわからなかった。でもわたしを見つめるステラさんの瞳は痛いほど真っすぐだった。だから何も言えなくて、結局何もわからないままで。
ステラさんは、取り繕うのをやめた自然な表情で、どこか未練がましく微笑む。
「ナオとセイを、よろしくね」
そこで、ぶつんと。
唐突にわたしの意識は途切れた。




