第五章 10 一縷の望み
目を覚ますと、わたしは部屋のベッドに転がっていた。窓からは爽やかな日の光が降り注いでいる。明るさからして、もう昼ごろだろうか。普段なら清々しく感じるはずの明るさが、今は毒のように感じられた。重い体を起こして立ち上がる。
部屋を出てシャワーを浴びると、少しすっきりした。魔法で強制的に眠らされたわけだけど、それでもちゃんと疲れは取れるらしい。タオルを頭にかけて、髪もろくに乾かさないまま図書館へ入る。
「アヤ君、おはよう」
テーブルで向かい合って話していたリンとユーリが、わたしに気づいてこちらを向いた。ここには二人しかいないみたいだ。わたしの表情を読み取ったのか、リンがわたしの奥の廊下へ視線をやった。
「カナデ君にはもう事情を説明した。……ナオ君もカナデ君も、それぞれの部屋にまだいるんじゃないかな」
「そっか。ありがとう」
奏はセイと特に仲良くしていたから、それだけショックも大きいだろう。何の前触れもなく、急に友達を失うなんて。
その場で俯いていると、「こっち来て座れよ」とユーリに声をかけられた。
「まさか、まだメソメソするためにここに来たわけじゃないだろ」
「はは、厳しいなあ」
わたしは少し笑って定位置に座った。いつもの半分しか揃っていないテーブルは、とても虚しく感じられる。リンが紅茶を一口飲んだ。
「昨日のことをいろいろと考えていたんだ。でも、曖昧な点が多くてね。ちょうどアヤ君に話を聞きたいと思っていたところだったから、来てくれて助かったよ」
「わたしに聞かれても、役立つようなことは教えられないと思うよ。情けないことに、全然状況がつかめてないからさ」
いくら考えても魔女の狙いがわからなくて、結局そのまま突入してしまった。もう少しわたしの頭が良ければ良い手が見つかったのかもしれないけど、あの時のわたしは何もわからなかった。
「三人で話せば何かわかるかもしれない。まず、セイや子供らを連れ去ったのは『腕』なんだよな。それは魔女のものだった?」
「……違う、と思う。わたしも何回も思い返してみたけど、あれは魔女の腕じゃなかった。もっとこう……恐ろしい、もの」
「魔女ではないんだね。彼女が何か操っているのか、それとも別の協力者なのか」
「ま、彩に話しかけてる時点でアイツが絡んでるのは確定だからな」
そこで、かなり重要なことを思い出した。わたしは顔を上げて尋ねる。
「魔女って魔法界でしか見たことなかったよね? 二人は当たり前のように魔女が獣人界に出てきたことを受け入れてるけど……」
「ああ、その話は既にしていたんだ」
リンが納得したように頷き、人差し指を立てる。
「ここ最近は、界境に揺らぎを感じることが多くあったからね。特に魔女に関しては、覚えているかな。マリー姫を捜していた時のこと」
「そりゃもちろん、まだ記憶に新しいし」
そう答えたところで、リンの言わんとすることに気が付いた。ハッとして手を叩く。
「空間魔法か!」
「そう。魔女はマリー姫を閉じ込めるために、空間魔法を使っていた。あの時点で魔女側に妖精の協力者がいる可能性には思い当たっていたからね。また厄介なことになってきたよ」
リンが額を押さえる。
「魔女の協力者に空間魔法を使える存在がいるのなら、何もないところから生えてくる腕にも説明がつく。大方空間魔法を使って向こうから腕だけ伸ばしてきてたってところだろう」
「そう、向こうが使ってきた手段については納得できるんだ。問題は向こうの目的だね」
「それはわたしも考えたよ」
わたしは椅子の背もたれに体重を預け、天井を仰いだ。妖精図書館の天井は高く、大きな照明が柔らかい色の光を灯している。
「向こうの狙いがわたしじゃないっていうのは、何となくわかるんだ。わたしを殺す機会ならいくらでもあったのに、向こうは何もしてこなかった。子供たちをするっと返したところから、子供はわたし達をおびき寄せるために攫ったんだと思う。そうなると……向こうは、セイを狙っていた?」
「なんだ、そこまで考えてたのか」
ユーリが意外そうな顔をする。
「別に、何も考えずに動いてるわけじゃないから。考えてもわからないだけで……」
自分で言ってて虚しくなってきた。どうせわたしの頭は役立たずだ。
「じゃあ、次に考えるべきは『なぜセイ君を狙ったのか』だよね。それは考えたかい?」
落ち込むわたしに、リンが質問を投げかけてくる。リンたちもわたしと同じ考えらしい。なぜ。理由か。セイが狙われた理由……。
少し考え込んでから答える。
「セイが、妖精と魔法使いの両方の血を継いでるから? それで、邪魔になる前に……」
「始末したって?」
言い淀んだわたしの後を引き継ぐように、ユーリが言い放った。思わずびくっとしてしまったところで、リンがわたしを諭すように覗き込む。
「アヤ君は、自分がセイ君を殺したと言ったけれど……。ボクたちは、そんなことはないと思ってるよ」
「っ、そんな気遣わないでよ。そんな風に庇われても、わたしがセイを見捨てたのは事実で……!」
「話をちゃんと聞け。あたしたちが言いたいのは、セイは生きてるんじゃないかってこと。別にお前に気を遣ったわけじゃない」
立ち上がりかけたわたしを見遣り、ユーリがため息交じりに言った。わたしはテーブルに両手をついた前のめりの体勢のまま、ユーリの方へ首を回す。
「……え?」
「そもそも、どうしてお前はセイが死んだと思ってるんだ? 目の前で殺されてもいないのに。魔女がそう言ったのか?」
「それは……」
わたしは昨日のことを思い返す。そういえば、魔女は「選べ」と言っただけで、選ばなかった方がどうなるのかは明言していなかった。選ばなかった方が死ぬというのは、わたしの予想でしかない。
「さっきアヤ君が話してくれたように、セイ君はとても貴重な人材だ。妖精としての能力も魔法使いとしての能力も両方持ち合わせている。界の行き来も空間魔法も普通の魔法も、セイ君がいたら使うことが出来る。確かに敵に回したら厄介だけど、味方にいたら心強いだろうね」
そこで、ようやく理解した。わたしはぺたんとまた椅子に座る。
「そっか。ああ、そういうことか。そんな貴重な存在を殺すのは勿体ない。セイを仲間に引き入れれば、出来ることが格段に増える」
あの魔女のことだ。人を従わせる手段なんて腐るほど持っていそうな気がする。それなら、わたしを捕まえておいてセイを従わせるための材料にしても良かったんじゃないかとも思うけど。
「それに、セイを殺すなら彩の目の前でやると思うんだよな。アイツそういう悪趣味なこと好きそうだし。彩に選択肢与えるところとか、すげぇアイツらしいもん。わざわざ子供だけを返す必要もないし、今回のお前、ただ魔女に遊ばれただけだと思うよ」
「………………」
まあ、見向きもされてなかったみたいだし、そんなところだよなとは思う。反応する気力も湧かなかった。大きくため息を吐いた後、二人を見る。
「二人は、わたしの話を聞いた時からセイがまだ生きてると思ってたんだね。道理で妙に落ち着いてるわけだ」
「まあ、これはあくまでボクたちの推測に過ぎない。ボクたち自身の願望も含んだ希望的なものだ。だから伝えるかどうかは少し迷っていたんだけど……」
「彩にずっと落ち込まれてても困るからな。伝えたら少しは元気が出るかなと思って。本当に少しマシになった程度っぽいけど」
ユーリがちらりとわたしの顔を覗き込む。わたしは見られないように顔を背ける。
「まあ、この話には不確定なことが多い。ナオ君にはまだ伝えないように頼むよ」
「わかった。さて、これからどうしようかな」
わたしは立ち上がると、タオルでガシガシと髪を拭いた。長話をしている間にほとんど乾いたらしい。髪でも結んでくるか、と一歩踏み出したところで、「アヤ君」とリンに声をかけられた。
「何もすることがないなら、図書館の方で調べ物をしてきてくれないかい? 東から二番目の本棚の辺りを探してほしい」
「いいけど、リンは行かないの?」
漠然と探すならまだしも、そこまで範囲が絞られているのならリンが探した方が早い気がする。リンが一番この図書館に詳しいわけだし。
しかし、リンはゆっくりと首を横に振った。
「ボクはいかない。君じゃないといけないんだよ」
「? ……まあ、いいよ。髪結んだら探しに行くね」
「ありがとう」
リンは微笑んだ。何だろうな、と考えつつ一旦部屋に戻り、髪を結んでまた図書館へ向かう。
リンに指定された本棚は、雑多な種類の本が並んでいた。題名をざっと見ても、妖精や魔術、何かの経典など、関連性のなさそうなものばかりだ。妖精図書館の本棚は整理されている印象が強いから、こういう棚もあるんだなと少し意外な気分だ。
「この中で何を探せばいいんだろう……」
特に詳しいことも聞かずに来てしまったせいで、いきなり詰まってしまった。来たらすぐにわかると思ってたんだけどな。どうして何も聞かなかったんだろう、わたし。
困り果てて本棚を見上げていると、「星の導き」というタイトルの本が目についた。星。セイと交わした会話を思い出して、何となく手を伸ばしてしまう。
古いけど立派な本だ。星に関する本なのか、はたまた物語なのかもわからないけど、とりあえず表紙を開いてみる。
その瞬間、眩い光が開いた本から溢れだした。光に包まれた本のページが、独りでに捲られていく。
「これ……っ!?」
覚えがある。思い出したのは、薄暗い中学校の図書室。
前にも経験したこの現象に目を見開いたまま、わたしは光に――いや、本の中へと飲み込まれていった。
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ゴトン、と音を立てて本が床に落ちた。さっきまで本を手にしていた少女は、忽然と姿を消してしまっている。それを確認してから本の傍へ近づいた。
「いってらっしゃい、アヤ君」
本のすぐ隣に腰を下ろした妖精――リンは、その小さな手で本の表紙を撫でた。優しくいとおしむような、それでいてどこか躊躇いがちにも感じられる弱い力で。
眼鏡の奥の瞳を静かに伏せて、彼女は呟いた。
「ボクは、彼女たちを正しく導けていますか?」
その小さな問いに答える者は、誰もいなかった。




