第五章 9 わたしが殺した
妖精図書館に着いたわたしは、両開きの扉をゆっくりと押し開けた。もう夜も遅いのに、扉の向こうからは暖かな光が差し込んでくる。
そして。
「彩、セイ!」
聞こえてきたその声に、わたしはびくりと固まった。身動きが取れない。そこからもう一歩も、みんなの方へ歩み寄れない。
テーブルの方から駆け寄ってきたナオは、心配と安堵が混じった顔をしていた。
「こんな時間までどこで何をしてたの? いつもだったらもう寝る時間じゃない。奏ちゃんはもう寝ちゃったわよ……って」
そこで、不思議そうに言葉を切った。きょろきょろと辺りを見回して、妹を探す。
「あれ、彩だけ? セイは?」
「…………ごめん、なさい」
「え?」
少し向こうのテーブルにいるみんなの視線が、わたしに集中したのを感じた。咄嗟に俯いて顔を背ける。みんなの顔を見れなかった。正面にいるナオなんて、もっと直視出来るはずがなかった。
言わなきゃ。言わなきゃ。わたしが……。
へばりついたような喉の奥から、声を絞り出した。
「わたしが、セイを殺した」
ナオの瞳がゆっくりと、大きく見開かれていく。
「……何を、言っているの?」
それから、わたしは自分が知っている限りのことをみんなに話した。
森を歩いていたら子供たちがいなくなったこと。
みんなを探している最中に、どこかから現れた腕にセイを攫われたこと。
魔女が現れて攫われた人たちの居場所を伝えてきたこと。
その場所に行って、セイではなく子供たちを選んだこと。
子供たちは帰ってきたけど、セイは帰ってこなかったこと。
すべてを包み隠さずに伝えた。そもそも、自分が上手く話せたのかもわからない。もう自分が何を言っているのかさえわからなかった。
「じゃあ、セイは」
話し終えたとき、ナオがそう呟いた。ナオは静かに涙を流している。大きく取り乱しもせず、ただただ、静かに。
「もういないの?」
ナオはぼんやりとわたしを見つめている。わたしはその問いに答えられなかった。代わりに口をついて出たのは、「ごめんなさい」だった。
「ごめん。わたしが、もっとちゃんとしていれば、こんなことにはならなかったのに。あの時わたしが駆け寄ってくるセイに気づけていれば、来ないように言っていれば……。違う。わたしが魔女の話に乗らなければ。もっと考えていれば。他の方法だって、絶対にあったはずなのに……」
「アヤ君!」
全部全部わたしが悪い。わたしが、わたしが、わたしが。
上手く働かない頭の中で、たった一つの声が響いている。繰り返し繰り返しその声はわたしを責め立てる。
わたしはほとんど縋り付くように、それを口にした。
「セイじゃなくて、わたしがいなくなればよかったんだ」
「――ふざけないで」
わたしを現実に引き戻したのは、ナオの冷たい声だった。
目の前に立つナオは、俯いて目元にかかった前髪の向こうからわたしを見つめている。さっきまでとは全く違うその雰囲気に気圧されて、思わず一歩後ずさった。
「セイは私の妹よ。大切な大切な妹で、私に残されたたった一人の家族。私にとってセイがかけがえのない存在だったことは間違いない。でもね。今の私にとって大切なのは、セイだけじゃないの」
ナオの手が伸びてきて、わたしの肩を掴んだ。潤んだナオの瞳がわたしを捉えている。
「ここにいる全員が私にとって大切な存在なの。もちろん彩を含めて。セイじゃなくて彩がいなくなればよかったなんて、そんなこと思うわけないでしょ!? 彩は、私がそんな馬鹿げたことを言うと思ってるの!?」
ナオの声は真っすぐ胸に突き刺さる。お前のせいだとずっと耳元で囁いていた声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
「……思わない」
半ば呆然としたまま首を振ると、ナオは「そうでしょ」と赤い目を細めて微かに微笑んだ。
「それに……セイは自分の命に代えても、あんたを守ることを選んだ。そうまでして守った相手に『自分がいなくなればよかった』なんて言われてたら、あの子も浮かばれないでしょ。そんな顔するのはやめなさい。…………彩だけでも、無事に帰ってきてくれて、良かった」
ナオは絞り出すようにそう言うと、顔を伏せてわたしの横を早足で過ぎて行った。「部屋にいる」とだけ残して廊下へと消えていく。わたしの肩を掴む震えた力が、まだ残っている気がした。
まだ呆然と立ち尽くすわたしの方へ、リンとユーリがやってくる。リンはそっと微笑みかけてきた。
「ナオ君の言う通りだ。アヤ君は悪くないよ。ボクがアヤ君の立場でも……きっと、そうするしかなかったと思うから」
「でも、わたしが、」
「そう自分を責めるなって。向こうで何を言われたかは知らないけど、お前が悪かったことなんてない。今日はもうゆっくり休んだ方がいいよ」
違う。わたしが悪いことは間違いないのに。二人の声や言葉が痛くて辛くて、優しくて温かくてほっとして。思わず頷いてしまいそうになって、そんな弱い自分を慌てて押し殺す。
「でも、まだわたしは休むわけには……」
「どうせ今のお前の状態じゃ何も出来ないよ。大人しく休んどけ」
ユーリがわたしの頭に手を乗せて、ぽんぽんと軽くたたいた。それから「リン」と肩越しに妖精を振り返る。それだけで通じたのか、リンは滑らかな動きでわたしの目の前に進み出てきた。
「アヤ君、今はゆっくり休んでね」
そう悲しそうに微笑んで、リンは優しい声で何かを呟き始めた。それが呪文だと気づいた時には、もうわたしは魔法による眠りに引きずり込まれていたのだった。




